出発
空が白み始めた頃、豪奢な馬車が邸の前に止まる。
馬車の扉が開き現れた彼……、エルヴィスの姿を見て、自然と顔が綻んだ。
「エルヴィス、おはよう」
「おはよう、ミシェル。 寒くない?」
「えぇ、温かい格好をしてきたから大丈夫よ」
「良かった。 もし道中寒くなったらすぐに言ってね。
ブランケットや防寒具も用意してきたから」
そんな彼の気遣いが嬉しくて「ありがとう」とお礼を返せば、エルヴィスは「どういたしまして」と笑うと、わたしの後ろにいたお母様に声をかけた。
「では今日一日、ミシェル嬢をお借り致します」
「えぇ。 足場が悪いから二人とも、気をつけて行ってらっしゃい。
良い報告が聞けることを祈っているわ」
「はい」
その言葉にエルヴィスは返事をし、私も頷きを返した。
彼はアイスブルーの瞳を私に向けると、「では、行こうか」と言って手を差し伸べてくれる。
その手に自分の手を重ねると、互いにギュッと握り合い、馬車の中へとエスコートされるように乗り込む。
その後に続きエルヴィスも乗り込んだと思えば、いつもとは違い正面の席ではなく、私のすぐ隣に座る。
肩や腕が触れる近さにドキッとした私は、慌てて口を開いた。
「え、エルヴィス? 今日は向かいの席ではないの?」
緊張のあまり若干うわずった声をあげてしまう私に対し、彼はクスリと笑って言った。
「馬車の中は冷えるだろうから、なるべく二人で近くにいた方が温かいだろうなと思って」
「そ、それもそう、よね……」
(にしてもこの距離感で一日中は私の身がもたない……!)
恥ずかしさのあまり内心悲鳴をあげる私に対し、斜め上から吹き出したような笑い声が耳に届いた。
その笑い声を聞いて、きっと赤い顔をしているであろう頬を押さえながら呻くように口にする。
「……エルヴィス、貴方わざとやっているでしょう」
「ふふ、ミシェルが可愛い反応をするから、つい。
だって、僕達はこれ以上のことを既にしてきたはずなのに、あまりにも恥ずかしそうにするものだから」
「エルヴィス、それ以上言ったら正面の席に私が移動するわよ」
「それは駄目。
だって、暖を取ることは口実で、ミシェルの隣に僕が座っていたいんだもの」
「……っ」
不意打ちで甘えたような声を出されて、私は思わず言葉に詰まる。
(っ、絶対わざとだわ……!)
そんな私の反応に、彼は悪戯っぽく笑うと、不意に私の肩を抱き寄せて言った。
「まだ朝も早いし、僕の肩を使って良いからもう少し眠ると良いよ。
道のりは長いし、休憩場所に着いたら起こすよう御者には伝えてあるから、それまでゆっくり休んで」
「……そうしようかしら」
本当はこのままエルヴィスと話していたいが、彼の温もりに包まれて急に忘れていた眠気に襲われた私はそう返し、彼の肩に頭を寄せる。
エルヴィスはそんな私に、置いてあったブランケットをかけ、そっと頭を撫でてくれた。
そんな温かな温もりと落ち着く彼の香りを感じながら、ゆっくりと瞼を閉じたのだった。
「ん……」
「おはよう、ミシェル」
その声に目を開ければ、アイスブルーの瞳が間近にあって。
「あっ」
彼の肩を借りて寝ていたことに気付き、パッと後ろに退けば、彼は微笑みを浮かべて言った。
「良く眠っていたみたいだね。
寝ている姿もまた可愛かった」
「〜〜〜」
彼は笑いながら、「寝癖が付いているから直してあげる」と言って私の頭をそっと撫でながら直してくれた。
(な、何て心臓に悪い朝……!)
嬉しいけれど気恥ずかしさを覚え、そっと視線を逸らせば、窓の外の景色が視界に入る。
「っ、わぁ……」
私の目に飛び込んできたのは、一面の銀世界だった。
元は多分平地なのだろうその場所は、辺り一帯が全て雪で覆われていた。
「ここは春になると花々が一斉に咲く花畑なんだ。 冬は、こういう風に雪一色に染まるんだけどね」
「素敵なところね。 四季によって色が変わるなんて。
春になったらまた訪れてみたいわ」
「二人でゆっくり出来る時にまた来ようか」
「えぇ!」
エルヴィスと二人で、というお誘いに嬉しくて大きく頷けば、彼もまた嬉しそうに笑みを浮かべながら言った。
「最近は雪続きで天候が心配だったけれど、晴れて良かったね。
この平地を抜けたらもうすぐ街があるから、そこで休憩がてら朝食を摂ろう」
「そうなのね! 楽しみ」
まるでデートみたい、と呟けば、エルヴィスは笑って言った。
「そうだね。
二人でお出かけというのは夏休み以来だから、僕も少し浮かれているかも。
国王陛下と謁見しようというのに、ミシェルと二人だからかな、あまり緊張していないな」
「わ、私は逆に緊張して夜はあまり眠れなかったわ。
だから、今はあまり考えないように必死よ」
「そっか」
エルヴィスは私の手を握って言った。
「ミシェルなら大丈夫。 君は堂々としていれば良い。
陛下もミシェルのことは良くご存知だと思うし、君が臆することは何もないよ。
何より、僕が唯一選んだ婚約者なのだから」
最後はそう戯けたように言ってみせるエルヴィスに対し、私は笑って頷いた。
「えぇ。 もし心細くなったら、エルヴィスを見るようにするわね」
「……それは違う意味で僕が緊張するな」
そんなやりとりをしている間に、最初の休憩地である街に辿り着いたのだった。
朝は軽めの食事を摂った後、少しだけ街を散策することにした。
「城下も素敵だけれど、ここもまた違って良いところね」
「あぁ。 この街は古くからの伝統がある家が建ち並んでいるんだ。
最近はこの国の観光地の一つとしても人気らしい」
「そうなのね」
彼の言うとおり、石造りの建物が並ぶ街並みは、雪と相俟って幻想的な風景にも見える。
「長居出来ないのが残念だわ」
「ここにもまたゆっくり出来る時に日を改めて来よう」
「! ……ふふっ」
「どうしたの?」
突然笑みを溢す私に対し、エルヴィスは首を傾げる。
私は握られた手をギュッと握り直し、隣を歩く彼に向かって笑いかけた。
「何だかとても嬉しくて。
こうして貴方の隣を歩いて、この先の未来でも一緒にいられることを当たり前のように話せる、そんなこの時間が、ずっとずっと続けば良いのになって」
「……ミシェル」
エルヴィスは私の名を呼ぶと、口元を押さえて呻くように言った。
「待って、そういう可愛いことをあまり言わないで。
……馬車で長時間二人きりというだけでも緊張するのに、なけなしの理性が効かなくなりそう」
「……!? あ、え……っ」
告げられた言葉に、つられて真っ赤になる私に対し、エルヴィスは「良かった」と笑い言葉を続けた。
「ミシェルがそうやって赤くなってくれるのを見ると、不思議と僕の方は落ち着くから。
馬車の中ではあまり僕を刺激するような真似はしちゃ駄目だよ? 良いね?」
「は、はい……」
これは一体何の約束をしているんだろうと、寒いのにも関わらず火照ってしまった顔を冷ますために、パタパタと繋いでいない方の手で仰いでみたのだった。