見えない壁
「御機嫌よう、ミシェルさん」
「御機嫌よう、学園長」
私は淑女の礼をし、彼女に向き合う。
白髪の髪をびちっと纏めている彼女は、怖いと思われている理由の一つでもある分厚い眼鏡をくいっと持ち上げ、口を開いた。
「今年も生徒会長として、この学園を宜しくお願いしますね」
「はい。 精一杯務めさせて頂きます」
学園長の言葉にそう返せば、彼女は滅多に見せない、朗らかな笑みを浮かべてくれる。
(……良かった。 私が第二王子に婚約破棄され、第一王子と婚約したことについて何か言われるかと思っていたけれど……、そうではないようね)
それどころか、いつもより表情が柔らかく見えるのは気のせいかしら……?
そんなことを漠然と考えながら、私は毎年恒例の一年を通したイベント企画について話し合う。
その中でも、四月に行う“新入生歓迎パーティー”について、学園長から話を聞き、資料を受け取った。
「では、そのように生徒会役員にも伝えておきます」
「えぇ、宜しくお願いね」
学園長の言葉に私は頷き、部屋から立ち去ろうと淑女の礼をしかけたが……、「あぁ、少し待って頂戴」と学園長に呼び止められ、私は視線を彼女に向ける。
すると、学園長は口を開いた。
「貴女は……、その後、何か困っていることはない?」
「困っていること……、ですか?」
私の言葉に学園長は頷いた。
(もしかして……、遠回しに、第二王子に婚約破棄をされ、学園を追放されかけたことを心配して下さっているのかしら……?)
私はそう思い、少し考えてから彼女の言葉に答えた。
「……特に、何もございません。
第一王子殿下には大変、お世話になっておりますが」
私の言葉に、彼女はふっと息を吐き、「そう」と何処か気遣わしげに言った。
「エルヴィス殿下は……、少々危うく、此方の心臓がもたないほどヒヤヒヤさせる言動をされますが……、それでも、根は優しいお方なのですよ」
「!」
その言葉に対し、私は頷きを返した。
「はい、存じております。
彼は、とても……、素敵な方です」
「! ……そう」
学園長はそう言って……、今迄になく、ふわっと自然と笑みをこぼした。
その表情に私が驚いていれば、不意にドアがガチャっと開き……、私の肩に手が回った。
「!? え、エルヴィス殿下!?」
それは、少し不機嫌そうな顔をした殿下の姿で。
彼は金の髪をさらっと流し、アイスブルーの瞳を学園長に向けて言った。
「話が長いですよ、学園長。
そろそろ彼女を返して下さい」
「! え、エルヴィス殿下!」
学園長に向かってなんてこと……と、青ざめる私に反し、学園長は笑った。
「あら、まあまあ。
そんなに彼女が心配なのね」
「「!?」」
学園長の言葉に二人で驚き、顔を見合わせれば……、彼はふいっと視線を逸らし、怒ったように口にした。
「学園長。 彼女に余計なことを吹き込んだりしたら怒りますよ」
「まあ、怖いわねぇ。
……ミシェルさん。 何かあったら、いつでも私に相談しなさい」
「! ……はい、お気遣い下さり有難うございます、学園長」
私はそう言って今度こそ、淑女の礼をし、何処か不機嫌そうな彼と共に、その部屋を後にしたのだった。
「ミシェル嬢。 学園長に変なことを吹き込まれたりしていないよね?」
「え、えぇ。 特に何も……それがどうかしたの?」
「あ、いや。 何も言われていないのであれば、良いんだ」
彼はそう言って、私の頭に軽く手を置き、ポンっと撫でると先を歩き出す。
その背中を見て、私は不意にずっとつっかえていた、ある疑問が頭を過る。
(エルヴィス殿下の本心が見えないのは……、もしかして、彼自身が何かを私に隠し通そうとしているから……?)
だから、彼は学園長に対して、“余計なことを言うな”と釘を刺し、私には“真に受けるな”というような物言いをしたのかしら……。
(でも、どうして?
彼は、一体何を私に隠して……)
「? ミシェル嬢? どうしたの?」
「!」
いつの間にか私の近くにいた彼が、私の顔を覗き込んでいたのに対し、その距離が近くて反射的に距離をとれば、彼は、はははと笑い出す。
「うん、元気そうで何より」
「!? か、からかっているの!?」
「そうかもね」
彼はそう軽い口調で言ってから、頭の後ろで手を組んで歩き出す。
そんな彼の背中を見て、私はやはり、何処か違和感を覚える。
(何でだろう、彼の言葉の中に……、何か、引っかかるものを感じる)
そんなことを考えてから……、私は一つだけ彼に対して尋ねる。
「エルヴィス殿下」
「? 何?」
彼は私の言葉に立ち止まり、腕を組んだまま此方を向く。
そんな彼に対し……、「聞いて良いものなのか分からないけど、」と前置きをしてからおずおずと口を開いた。
「学園長とはどんな御関係なの?」
「……まあ、そうなるよね」
彼がはぁっと息を吐いたのに対し、私はそんな彼を見て慌てて言った。
「ご、ごめんなさい。 聞いてはまずかったかしら?」
私の言葉に対し、彼は「いや、」と首を横に振って苦笑しながら言った。
「いずれ話しておこうとは思っていたから良いんだ。
……この学園は、君も知っての通り王家の管轄だろう?」
「えぇ」
私が頷けば、彼は言葉を続けた。
「学園長や理事長も、陛下が直接指名して決めているんだけど、学園長は……」
彼は私の目を見て口を開いた。
「私とあの馬鹿……、いや、ブライアンの元教師なんだ」
「!? そうなの!?
では、学園長は元は王族直属の教師だった、ということ?」
私の言葉に、彼は「あぁ」と頷いた。
私はそんな彼の様子に、もう少し聞いても良いだろうかと思い、尋ねた。
「あの……、ではもう一つ聞いておきたいのだけど。
貴方と学園長は……、仲が悪いの?」
「! ……はははっ」
「!?」
彼は私の言葉に唖然としたかと思うと、何故か突然笑い出した。
そんな彼に驚き目を見開いていれば、彼は目を細めて「安心して」と言う。
「私と学園長は、仲が良いよ。
寧ろ……、ブライアンの方が今は仲が悪いんじゃないかな」
「……そう」
(ということは……、学園長は第一王子派に近い存在、ということね)
「あれ? でもどうして私に貴方は、“学園長の言葉は真に受けるな”と忠告したの?」
「っ、それは……」
彼が分かりやすく動揺する。
やはり何か隠しているのかしら、そう思った私に対し彼は……、口を押さえて言った。
「……恥ずかしいだろう?
学園長には僕の幼い頃のことやなんかバレバレだ。
それを婚約者である君に言いかねないと思ったから……」
「!」
心なしか、そう言った彼の耳が赤いことに気付いて。
私はふふっと笑って口にした。
「それなら安心したわ。
貴方に害を及ぼさない人物であれば、警戒する必要はない、ということね」
「!」
彼にそう言って笑えば、アイスブルーの瞳を丸くして……、はぁっと溜息を吐いた。
「……あぁ、君に学園長が要らぬことを話しそうで怖い……」
「あら、私が貴方のことを知るのは良くないことなの?」
「っ、それは……」
彼は何故か、その言葉に表情を曇らせた。
その表情に私が首を傾げれば……、彼は突然、私の髪をくしゃっと撫でた。
「え、ちょっと……!」
髪が乱れる! 私は慌てて髪を整え、彼を見上げれば……、一瞬彼はふっと……、何処か困ったように笑い、次の瞬間私に背中を向けて歩き出す。
そんな彼の表情を見て、私の考えは確信に変わった。
(彼はやはり、私に話したくないことがあるんだわ)
……私はあまり、彼に踏み込んではいけない、ということなのだろうか。
私と彼の関係は、この学園にいる一年間の間の“仮”の婚約者。
そんな彼との見えない壁を、初めて感じてしまう私だった。
「……っ」
また彼自身も……、私から背を向け、拳を強く握りしめていたことになんて、私は無論、気が付く由も無かった。




