9話 涙
「………え?…え?」
レノアは、ひどく動揺した。そして、自分が動揺していることにもっと動揺した。
何故自分はこんなにも動揺しているのだろうか。動揺する必要なんてないはずなのだ。いや、動揺してはいけないのだ。
レオンが、自分の知らない人と一緒にいることは、全くおかしなことではない。
だって、レノアは、ただの友人なのだ。“1番大切な人”なんて言われたけれど、“1番”も、“大切”も、曖昧なものだ。レノアは、ただの友人。
ただの友人に、レオンの交友関係を全て知る権利はない。知らない人と一緒にいるからといって、何か言う権利はない。ただの友人なのだから、動揺する必要はない。動揺すべきではない。
レオンが、誰かと親し気に話していたからといって、何だというのだ。
レノアは、レオンの“1番愛おしい人”ではないのだ。だから、レオンが誰かと親し気にしていても、誰かを愛していても、それは全くおかしくないことだ。以前、愛する人がいる、というようなことを相談もされたのだ。そしてレノアは、それを後押しした。
そんなレノアが、悲しむ理由はない。喜ぶべきなのだ。
なのに、なのに、何故、自分は泣いているのだろうか。
2人を見ていたくなくて、逃げるように、背を向け駆け出した。とにかく離れたくて、城を出て、夜の街を駆け抜ける。
すると、まるでタイミングをはかったかのように雨が振り出し、ポツポツとした雨は直ぐに激しくなり地面を乱打する。雨がレノアの全身を濡らし、流れ続ける涙とも混ざり合い顔をすべる。
気づくと、たくさんの思い出がつまった、そして、レオンの恋を後押しした場所に来ていた。図書館の裏。雨に濡れたそこを見て、足の力が抜けたようにペタンと座り込んだ。
自分は、なんて傲慢なんだろうか。
涙でぼやける視界で目の前の景色をぼんやりと眺めながら、そんなことを考える。
レオンに、“1番大切な人”なんだと言われた。だから、思い上がっていた。自分は、レオンの1番なんだから、きっと何でも言ってくれる。自分に一番に相談してくれる。隠し事なんかしない。そんなふうに思ってしまっていた。
自分は、レオンに隠し事をしているのに。重大な隠し事をしているのに。父親の死を祝福するようなことを考えてしまった、幼い自分。決して誰にも言ってこなかった。それを知って、みんながどんな反応をするのか。怖くて、怖くて。
みんなはその1つのことだけで、自分を嫌うのだと、心のどこかで考えてしまっている。みんながそんな人間なんだと、考えてしまっているのだ。心の底から、信用できていない。今までの優しい言葉を、心の底から信じることができていない。
自分は、隠し事をしているのに。
自分は、心の底から信じていないのに。
それなのに、レオンにはそれを求めるなんて、なんて傲慢なんだろう。レオンがそれをしてくれると思っていたなんて、どれほど自惚れていたのどろう。
自分が、恥ずかしい。自分は、こんな傲慢な考えをするような人間だったのか。
今まで、そんな感情を抱いたことはほとんどなかった。
負の感情をほとんど抱かない自分を恐れ、嫌いつつも、レノアにとって生まれた時からそれが普通で、どろどろとした感情とは本当に無縁だった。だから、人間であれば当たり前にある、嫉妬や慢心。そんな感情を初めて知った。初めてのことで、普通に近付いた喜びよりも、大きな自己嫌悪が生まれた。
どろどろとした感情を抱く自分を素直に受け入れられず、まさかこれが誰もが普通に抱く感情だとは思わずに、酷く恐ろしく汚ならしい感情だと感じた。だから、こんな感情は抱いてはいけないものだと、必死に自分に言い聞かせた。けれど、どんなに言い聞かせてもその汚ならしい感情は溢れて止まらない。それに比例するように自己嫌悪も強くなり、より涙が溢れた。
どれくらいたったのか、いつの間にか雨はやんでいた。冷たい風がふき、濡れたレノアの体をより冷やす。
魔法でどうにかできるのに、ぼんやりとしていたレノアの頭にその考えは浮かばなかった。
とぼとぼと、城に続く道を歩き始める。芯まで冷えきった体に、寒風があたる。
城まであと少しというところで、レノアは立ち止まる。やっと少しずつ働いてきた頭で、こんな姿を誰かに見られたくないという考えに至り、すぐに自分の部屋まで瞬間移動をした。
そして、部屋でしばらくボーッとしていたが、自分のくしゃみの音にようやく寒さを思い出し、急いで風呂に入った。
それから、ベットに入り眠りにつくまで、レノアはずっと今日見た光景や、自分の感情について考えていた。
自分は、どうなってしまったのだろうか。あんなことを考えてしまうなんて……
あんな感情は初めてで、レノアには、自分が随分と醜い存在になってしまったかのように感じていた。
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とある部屋に、2人の美しい男がいた。
「リラン、私の作戦は大成功だ。レオンを選んだのはレノアだからな。2人には夫婦になってもらいたい。レオンはあんなに執着しているし、レノアは天使の血を薄めたことによる変化で戸惑っている。きっと、これからもっと拗れてくれるぞ。ははは、想像しただけで楽しい」
「確かに、この2人は面白いな。アラン、よく見つけたな。あと、雨をあのタイミングで降らせたの、結構良かったよな」
「あぁ、最高のタイミングだった。これで風邪をひいてくれたら最高だな」
「じゃあ、そうするか?」
「いや、私たちは出来るだけ手を出さずに、ただ眺めていよう。その方が面白いからな」
「確かに。全部思い通りに動いてもつまんねぇもんな。じゃ、俺はそろそろあいつのところに戻る。これからもまた覗きにくるな」
「あぁ。では、また」
「おう。またな」
そう言って、リランという男は姿を消し、アランだけが取り残された。
眠りの中にいたレノアが、あの光景を見てしまったことも、雨が降りだしたことも、アランと、リランという男の仕組んだことだったと知ることは、永遠にない。