1話 再会
それは、徐々に、徐々に、誰にも気づかれることのないまま、しかし確実に、彼らをのみこんでいた。
彼らの奥底に燻っていた濁ったどろどろとした感情。周りの人間も、彼ら自身も、気づくことはなかった感情。その感情は、彼らの中でゆっくりと、ゆっくりと根をはやし、だんだんと大きくなっていた。それは、何かの拍子に簡単に爆発し溢れてしまいそうな、そんな危ういバランスを保ったまま、彼らの中に存在していた。
--それに気づいた者が、2人
1人は、気づいていないふりをした。自分が刺激し、彼らの中のバランスを壊せば、自分の愛しい人が、必ず傷付いてしまうから。
1人は、その感情を、利用した。彼らを壊し、自分の愛しい人を、手に入れるために。
それに気づいた者は、いなかった。
じわじわ、じわじわと、彼らを呑み込んでいたそれは、彼らの思考を知らず知らずのうちに麻痺させた。
少しずつ、どんなに親しくとも気づかないほど少しずつ、しかし性急に、彼らの思考を乗っ取っていった。
それは、彼らの奥底に隠れていた歪んだ感情をも呑み込んで、彼らを支配し始める。
不安は、疑いに
嫉妬は、怒りに
愛情は、憎しみに--
歪んだ感情を利用し、それは、決められた結末へと彼らを導く。
その思考のほとんどを乗っ取られた彼らに、抵抗などできなかった。
自分の言葉で、大切な人を傷つける。
その行為を、止めることはできない。
なぜなら彼らは、負けてしまったから。
自分を呑み込む得体の知れない何かに負け、思考を、全てを、奪われてしまったから。
もう、自分の体を、自らの意思で動かすことはできない。何かに支配され、彼らに残されたのは、反乱を決意するほどの強い意思と、友情か愛情かわからない、曖昧な少女への思いだけ。
そして、結末にたどり着き、少女が消えた時、全てが絶望に染まり、そのかすかに残されたものすらも、何かに呑み込まれてしまう。
彼らは、生きながらも、死んでしまった。
全てを奪われ、呑み込まれ、支配され、彼らは、生きた人形となった。
--そんな彼らに、一筋の光が差す--
-ギイ-
「誰か、いる?」
--彼らの希望が、帰ってきた--
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そこは、静かな場所だった。
静かという言葉では表しきれないほどの、濃い静寂に満ちた場所。
そこに来る者に入る事を躊躇させるような、なんとも言えない、不思議で、不気味な静寂が、息苦しい程の密度で存在する場所。
そんな場所に、レノアはルイと共に足を踏み入れた。
目の前には、大きな建物、反乱軍の本拠地がある。
かつて過ごしたその場所は、レノアの記憶から人々の喧騒だけを抜き取ったかのようにして、そこに建っていた。
-ギイ-
「誰か、いる?………っ!」
「…………!」
ドアを開けながら、人の気配のない暗闇へと問いかける。しかし次の瞬間、開いた隙間から吐き気を催す程の甘い匂いが流れこんできた。脳を犯し、思考を狂わせ、意思を壊すような、異常で、狂的で、どこまでも甘い匂い。
「っ……………ごほっ、ごほっ」
「………………うっ、ぐっ、はっ」
2人は、すぐにドアから離れた。
「ごほっ……なっ、なに、今の匂い…………って、ルイ!大丈夫!?」
「…ふっ、っ………はぁ、はぁ、はぁ………だい、じょうぶっ」
「そう、良かった。それにしても、なんなの、今の匂い………吐きそう」
「甘い…………魅了の魔法?」
「…え?」
「今の匂い、魅了の魔法の匂いに似てる……その匂いを、すごく濃縮したみたいなかんじ?」
「……魅了?なんで、そんなの……」
何故、魅了の魔法の匂いが流れこんできたのか。
何故、その匂いがこんなにも濃縮されたようになっているのか。
レノアには、まったく見当もつかなかった。
……いや、1つだけ、心当たりがある。
彼らの最後のあの態度。この匂い、魅了の魔法の影響だとしたら説明がつく。
「…………」
しかしもう、レノアの中で彼らへの憎しみと悲しみがが消えたと同時に、興味も関心も消えてしまった。
彼らに何があったかなんて、どうでもいい。そんなこと、今更だ。
レノアが知りたいのは、自分とルイが追い出された時の、真実だけだ。似ているようで、まったく違うこと。
「…………わからないけど、とりあえず入ってみよう」
「…うんっ」
ルイの言葉に、一瞬のためらいの後、その横に並ぶ。
-ギイ-
2人は、先ほどより緊迫した雰囲気でドアを開ける。
そこには、濃密な甘い匂いと、自分の手も見えない程の暗闇が存在していた。
その暗闇の中に、レノアたちが開けたドアから、一筋の光が入る。
「…………」
「………………」
「お前たち、何しに来た」
「「っ!?」」
誰もいないと思われた暗闇に、1つの声が響いた。
「……!」
「…………レオン?」
目が慣れてきた暗闇から現れたのは、かつての仲間で、反乱軍のリーダーであるレオンだった。