#6「答え」
店に入ると暖かなオレンジと白のライトに照らされた清潔感のある可愛い店内が目に飛び込んでくる。鼻にはコーヒー豆のほろ苦くどことなくすっぱい香り、耳にはクラシックの名曲。隠す気のないむき出しのCDレコーダーだった。華やかで流行にのった店はあまり見ないこの街でこのカフェはオアシスのような存在だと思う。青く冷たい世界から突然、赤く暖かな世界に踏み入った。
小さめのカウンターを楽しそうに拭きあげている店主。柳の姿を見ると嬉しそうにふきんを握り締めた。
「猫君、いらっしゃい!」
「富士見さん、お疲れ様っす」
若い店主の富士見さんは柳のことを猫くんと呼ぶ。柳の名前が猫屋敷だからだ。
「知真輝君、こんにちは。いつぶりかな?」
「先月の終わりに来ました。実はバイト辞めちゃって金欠で、柳が割引チケットもらったって言うんで、来ようかなって」
「それは嬉しいな」と笑う富士見さんは男の僕でも少し惚れぼれしてしまうほど穏やかな顔立ちをしている。
富士見さんは周辺でちょっとした有名人でもある。生まれつきの障がいで両腕を動かすことが出来ず、当時怪我をしてしまった右目には未だにガーゼを当てている。
富士見さんの恋人が事故死してしまった次の日、彼の両腕は奇跡的に動き始めたのだ。
恋人と経営していたalmondを今では1人で切り盛りしているが、いつも「僕はひとりじゃないよ」と口癖のように言う。
きっと腕が動き始めたのは彼女さんが1人でもきちんと生きていけるようにと治してくれたんだとでも思っているんだろうな。いや、僕でもそう思う。こんな憶測を誰かに話すのは恥ずかしいからいつも心にしまっている。
天然で誠実そうで、少し不思議な雰囲気のある人だ。
「メロンクリームソーダ2つ、だよね?」
にこにこしながら富士見さんはカウンターの奥に消えていった。テーブル席に座り柳は鞄の中をまさぐりながら口を開く。
「愉嬉歓がこれなくて残念だったな。お前が1番仲良いじゃん」
「あぁ、うん…」
柳との会話を楽しみたい反面、話題に愉嬉歓が出てくると複雑な気持ちになる。
僕が愉嬉歓の中で1番であってほしい。その感情がある以上、彼と付き合いたいとか友達のままで居たいとか関係なく、告白の答えは「はい」だ。
だけど、なんだろう。何か欠けている。これは僕が満足のいく答えじゃない。
あと"何か"を付け足さないと。完璧じゃない。
「はい」、と…
柳は3つめの席があいている事に違和感を感じている様子だった。
「またすぐに誘おうぜ。俺らが卒業して、その次の年に愉嬉歓は東京に行っちまうんだし。2度と会えなくなるかもしれないし」
僕と柳の間に暖房のぬるい風が吹き抜け、頬を撫でてはどこかへ行ってしまった。
そうだ。
愉嬉歓が東京に行ってしまう。
僕のそばから、自分の意志でどこかに行ってしまう。僕を置いて。
そんなの、嫌だな。
どうすればいいんだろう、僕は…
その時、勝手に僕の口が動いた。
「そうだな…"今"を大切にしなくちゃな…」
ふと頭にあの日見た碇草が過った。
僕の不思議な言葉に柳は小さく笑うと「俺達の高校生生活もあと少しだしな」と付け足す。
富士見さんがペーパーナプキンとコースターを持って来た。相変わらず腕の動きと体の動きがあまり合わないみたい。