#4「非日常」
「2人とも、おはよう」
三途川先生がいつも通り3人だけの教室に入り、いつも通り教卓の上に出席簿とバインダーをうるさく叩きつけた。出席簿を開き、ペンを握る。昨日見た動画をもう一度見せつけられているよう。
「熊埜御堂、知真輝」
「はい」
「柳、猫屋敷」
「はぁい」
律儀に2人分の出席を名前を呼んで行うクラスはきっとこのクラスくらい。僕は昨日の夕方から今までをどのように過ごしたかを思い出すのに精一杯だった。朝から思い出しても、記憶に揺らめくのは白い碇草だけ。
「今日は木曜だから授業だ。1限は…美術だな」
自分でもびっくりするくらい上の空。しっかりしないとと感じていても思考は鉛のように重くてついてこない。
三途川先生にピントが合わず、淡い光のさすぼやけた世界を見つめている。先生が何か話しているのが聞こえるけど処理が追いつかず理解できない。まるで音が無くなった世界にいるみたいに。
愉嬉歓のことを考えるのに手一杯なんだ。
昨日愉嬉歓に「好き」と告白されたことが頭から抜けない。目を閉じると瞼にもあの茜色が浮き出てくる。女の子みたいに恥ずかしがりながら、こもった声で「好き」と伝えた愉嬉歓の姿が。
必死に普段の彼を思い出す。年下に優しく、心配性な彼を。ペアを作るときは必ず僕の方へ駆けてやって来た。
刺繍したストラップを渡した時、大切に両手に乗せて見つめた後、その場で筆箱に付けて喜んでいた。
放課後、柳と遊ぶ約束をしたから一緒に帰れないと伝えると、彼は「途中まででも構わないから仲間に入れて」と必死に訴えた。
可愛い弟のような存在だと思っていた。
大切にしてやらないと、突飛なことで泣き出しそうな子。
そっと触れないと驚いて怯えてしまいそうな子。
上京なんてとんでもない。彼を1人知らない土地へ放り出してしまうなんて。
遠くへ行ってしまうのは寂しいし、保育の勉強を手伝うのだって自分で愉嬉歓を遠くへ追いやっているような気がして嫌だった。でも愉嬉歓が望んだからにはと僕も勉強にのめりこんでいたんだ。
1番の友人である愉嬉歓を失いたくなくて。
愉嬉歓の中で1番でいたくて。忘れて欲しくなくて。ずっとそばにいたい。
友人を想う感情として、度を超えているかもしれない。この考えは、
…僕だって、愉嬉歓のことが好き?
「知真輝!美術バッグ、持ってきたか?」
「…えっ…あ、うん」
三途川先生はもう教室にはおらず、柳はすでに机の上を綺麗に片付けていた。スマホは当たり前のようにストラップを垂らしてポケットに突っ込んでいる。僕は急いで鞄を机の横にかけ、代わりに美術バッグを手に取る。急いで席を立ち、椅子を押そうとして倒してしまった。慌てて椅子を立て、今度こそ椅子を押し片す。
その様子を柳は目をビー玉みたいに丸くして見ていた。
「…大丈夫か?なんか、声にも元気がなかったぞ」
「は?別になんともないよ」
「それに、今日は移動教室じゃねぇぞ?」
教室のドアが開き、美術の蛇籠先生がいそいそと入ってきた。
すると、また入口で画用紙をばたばたと落とす。教室に入ってすぐ気を抜いてしまう蛇籠先生はいつも必ず何か失敗をする。情けなく「あーっ」と叫ぶのも聞きなれた。柳はお腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。
読者様のアドバイスを反映し読み難い漢字については、その話数で初めて出た時に限りルビをふるようにしました。
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