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ろかいの華  作者: 牛蒡
第一章 熊埜御堂知真輝の華
3/31

#3「碇草」

碇草(イカリソウ)…?」

その生徒は知っている子だった。アクティブラーニングで何度か教えたことのある、中等部二年生の巡麻(めぐるま)薫子(かおるこ)だった。体操服のポケットから黒いイヤホンが1つ覗いている。

「船に乗っている方のイカリです。花びらの形が似ているからですよ」

「へぇ。てっきりいつも怒ってるからかと思った。もしかしてレアなんじゃない?」

小学部からこの学園に通っているのに、はじめて見る花だった。

巡麻は不思議そうに顔を歪めながら僕の隣にしゃがみ、碇草をまじまじと見つめる。

「レアというかなんというか…どうしてこんな所に咲いてるんだろう?」

「え?」

「今日のアクティブラーニングで知ったばかりだけど、この花がここに咲いてるのはおかしいんです。だってこの花咲くのは春だし、咲くのは山奥ばかりだし」

「こら!熊埜御堂(くまのみどう)、巡麻、さぼりじゃないだろうな!」

僕の疑問を遮るように校庭から三途川(みとかわ)先生の怒鳴る声が響いた。巡麻は驚いて校庭へ駆け出し、「あたしは違います」と叫んだ。




「あはは、じゃあその珍しい花見てたらさぼりと思われて、三途川先生に怒られたんだ」

愉嬉歓(ゆきか)は2人きりになった帰り道で笑う。

蘆薈台学園(ろかいだいがくえん)は高地に建っている。帰り道はその高台に張り付くように作られた鋭いカーブの多い下り道を街を見下ろしながら下る。広い車道だけで歩道はないけど、田舎だから車はあまり通らない。

17時。仄暗い街に次々と明かりが灯る。

木が生い茂る田舎道に間隔的に立つオレンジの街頭だけを頼りに歩いた。制服に冷たい風が吹きつけ、身震いしながらポケットの中のカイロを握るが既に固く、冷たくなっている。

どこかに咲いているであろう金木犀(きんもくせい)の香りが僕の胸をぎゅっと締め付けた。冬の愉嬉歓と2人きりの時の香り。たとえ彼がいなくなったとしても香る度に思い出すことになるだろう、この香りが怖い。気にしないふりを必死に気取っているだけで、本心は愉嬉歓がいなくなることが嫌だ。

今のこの時間を別のことを考える時間にすることがもったいないと思った。

「そう。まあサボろうとしたのは事実なんだけど…」

坂を下り終わり、分かれ道が近付いてくる。僕は歩いている間中俯いていたことに気付き顔を上げた。肩の重みは鞄の重みではなかったことを知る。

「じゃ、また明日な愉嬉歓」

僕はエナメルバッグを肩にかけなおし愉嬉歓へ振り向いた。凍えるような風が2人の吐いた白い息を連れ去っていく。

とても静かだった。車道を走る車の音は遠く、周辺の住宅は空き家の様。僕達だけの空間に彼はいつもより小さな声で「うん」と返事する。軽く手を振って分かれ道を自宅の方へ進んだ。

「…待って」

一瞬、首がか弱い力で締められる。振り向くと愉嬉歓が震える手で僕のマフラーを掴んでいた。

ほんの少しの間があく。

「なに?どうした愉嬉歓?」

愉嬉歓は珍しく表情を曇らせ、いつもの僕のように俯いた。彼らしくない、視線をあちこちに泳がせ結局地面を見る。暗い景色の中、彼の耳の茜色だけがはっきりと見えた。

「あの、あのさ…言いたいことがあって、もう12月だからさ、今言わないと後悔しそうで…」

顎や唇をぶるぶると震わせているのか声は途切れ続け、無理に背中を押されるように喋っている。僕が逃げないようにマフラーを掴んだままだ。

「うん。だから、なんだよ」

震えながら息を吐き愉嬉歓はゆっくりと僕を見上げる。その時、彼の瞳にオレンジと白の光が差した。冷えて赤くなった鼻をすんと言わせ、やっとマフラーから手を離した。ひと呼吸おいてから僕を見つめ、そして

知真輝(ちまき)のことが好きなんだ」

口を埋めたマフラーから少しこもった声で、彼は確かにそう言った。

僕が愉嬉歓の今までの態度とその言葉を照らし合わせ、導かれる言葉の意味を理解するのに数秒かかった。

「…え?」

確かに聞こえたはずなのに口が勝手に巻き戻しと再生を要求していた。

この期に及んで友好的な愛情をわざわざ伝えるわけがない。

ってことはつまり、恋愛的な"あれ"。すぐには計算ができなかった。

「返事はしなくてもいいよ、ただ僕のこの気持ち少しでも知真輝に知ってて欲しかっただけ…じゃあ、また明日っ…」

愉嬉歓はゼンマイを巻かれたばかりのブリキ人形のようにペラペラと喋り、僕と一度も視線を交えることなく別れの言葉を告げた。踵を返し僕が彼の制服を掴む前に離れてしまう。

「ちょっと…まっ…て…愉嬉歓!」

僕の静止を聞くはずもなく、愉嬉歓は分かれ道を足早に去っていく。度々街灯に照らされる愉嬉歓の背中を追いかけもせずにただ眺めていた。僕のすぐそばを車が何度か走り抜け、クラクションを鳴らされたが彼が完全に見えなくなるまでは動けなかった。

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