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ろかいの華  作者: 牛蒡
第三章 柳猫屋敷の華
24/31

#4「クッキー」

テレビの左上には22:54の数字。

眺めていたニュースの情報は視覚からも聴覚からも全く入ってこない。文字通り右から左。

キッチンのオーブンから加熱が終わったことを知らせる小煩い音が鳴り響いた。空気ばかりの俺の家にはエコーのように響く。

オーブンを開くと焼きあがったばかりの柔らかいクッキーが並んでいた。表面にはあぶらぎった様な水分が浮かんでいる。鉄板を取り出し、冷ますためにコンロの上へ置く。

うん、いい感じ。どれもきちんと白茶(しらちゃ)色にできてる。血の赤はどこにも見えない。よかった。明日、富士見(ふじみ)さんへもっていくクッキーだ。

何をしても何の邪魔も入らない、1人のキッチンだった。




いつもは鞄を蹴りながら歩く通学路。今日は鞄を食器よりも大切に抱えて歩く。

凍えるような風が体に叩き付けられ凍てついた鼻の感覚が薄れていく。薄墨色の雲の中に似つかわしくない太陽が昇って、俺の目を傷めつける。どんなに混ぜ込んでも馴染まないような、生卵のような風景だった。

長い下り坂を下って、しばらくの上り坂を上り、やっとついた学園。職員室の窓からぼぅっと空の景色を眺める三途川(みとかわ)先生が見えた。珍しく手には何も持っていない。すぐに隣に愉嬉歓(ゆきか)達の担任の蛇籠(じゃかご)先生が現れ、三途川先生に湯気の昇るマグカップを渡していた。


(やなぎ)。お前、昨夜は夜更かしをしたな」

3人しかいない教室での昼休憩はかなり苦痛だ。特に沈黙が苦手な俺には。知真輝(ちまき)は携帯をいじりながら目線も合わせずに話に割り込んだ。

「三途川先生、柳んち覗いてるんですか?」

「いや、そんな人聞きの悪い…カーテンを引く時に、柳の家の窓から光が漏れているのが見えるんだよ」

俺の無駄にでかい家の隣のアパートには三途川先生が住んでいる。少し角度を調整してのぞき込めば互いの1室が見えてしまう部屋がある。

「昨日の夜はちょっと…バイト先の課題で、クッキー焼いてて」

almond(アーモンド)の課題?」

やっと携帯から目を離した知真輝が珍しそうに聞き返す。目をクッキーのように丸くして。その奥で三途川先生が「学校の課題を先にしなさい」と大きなため息をついている。

「サービスで出すお菓子の課題。パスしたらお客さんに提供してもらえるかもしれなくてさ」

そう考えると両頬が痺れるような感覚が残った。

「ふぅん…珍しいね。柳がそーゆーのにちゃんと答えるのって」

心臓がぎくりと大きく動く。あわてて鞄のチャックをしっかりとしめなおした。

「…三途川先生、もう覗かないでくれよな」

「だから違うって!」




待ちに待った帰りのホームルーム。1日が2日にも3日にも感じた。何度も喉が渇いた。知真輝の「さようなら」の挨拶を最後まで聞き、指ではじかれたビー玉のように教室を飛び出す。2人の痛いほどの視線を気にしないように。逸る胸に落ち着くよう頭の中で声をかけながらカフェへの道を急いだ。

almondのドアには「close」のカードが取っ手に下がっていた。ドアの小窓には、レースカーテンに邪魔されながらも富士見さんが白いカーネーションを手に内装のレイアウトを変えようとしている。

ドアを押し開けるとすぐに気が付いた富士見さんが花瓶を置き、満面の笑みで駆け寄ってくれた。

(ねこ)君!昨日の今日で、もう作ったの?!」

「ぁ、はい…1回でクリアできるとは思ってないすから…」

鞄からクッキーの入ったタッパーウェアを取り出して見せた。富士見さんのうるんだ黒い瞳にタッパーウェアの煩い黄色が反射して映っている。

「珍しいね、猫君…そう知真輝君に言われなかった?」

俺が図星と感じて固まっていると、彼は可笑しそうに解れて見せた。その笑顔でまた胸がじくじくと熟れ過ぎた柘榴のように嫌な感覚を作り出している。

「もしかして、悩んだ顔ばっかしてる僕の為かな?だとしたらごめんね、猫君。急かすような提案をしちゃって。オーナーとしてダメだなぁ」

「いやいや!そんなこと…富士見さんが困ってる顔見るの、お客さんも嫌と思うっすから…俺も嫌ですし」

眉を八の字にさせて富士見さんはエプロンで手を拭った。そのままその手で俺の右手首を優しく掴んで店の中へと引っ張った。掴まれた俺の腕は、緊張と嬉しさで震えていた。

顔には眩しい程の満面の笑み。耳が熱くなるのを感じた。恋はこんなに恥ずかしいものだと、富士見さんに出会ってはじめて気付いた。富士見さんに会えるとこんなにも嬉しい。こんなにも恥ずかしい。こんなにも取り乱してしまう自分がいる。

うっかり背後霊の存在を忘れてしまいそうだ。

「じゃあ、早速いただこうかな!」

昨日の激しい妄想を思い出した。

あぁ、現実になればいいのに。

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