#7「エスカレート」
「花如ちゃんにそんなことがあったのか…」
富士見さんはいつの間にか閉め作業の手を止めて僕の話を聞いてくれていた。
「はい…僕、本当に良くない癖があって、どうしても嘘ついてしまうんです。こういう時相手のことを考えすぎるというか…結局本当のことを言っておいた方が丸く収まっていた事態になってる。いつもついてから後悔して…」
カップの底に敷いてある茨柄のコースターを見つめる。神様の前で懺悔をするかのように後から後から言葉が口をついて出てくる。
「君達が友達思いなのは僕もよく知ってるよ。だから他の人たちが同じ境遇に陥ったら、きっと同じことをしていたんじゃないかな。嘘をつくのは愉嬉歓君だけじゃないよ」
「ありがとうございます…僕、犯人捜ししたくなくて。富士見さんが話を聞いてくれただけでなんかすっきりしました…すみません、閉めてる時に来ちゃって」
なんでこんなことを富士見さんに喋ったんだろうか。相談したって富士見さんは困るだけだし何もできない。また迷惑をかけた…
隣の席へ置いていた通学鞄を肩にかけ、財布を探す。するといつの間にかカウンターを出ていた富士見さんに手首を掴まれた。
一瞬、背筋が凍る。その手が恐ろしいほどに冷たかったからだ。振りほどこうとする本能をぐっと抑え、富士見さんを覗き込む。
「お代はいらないよ。さっきも言ったけど試飲用にいつも淹れてるものだから、ね」
僕は黙り込んでしまった。富士見さんがそれ以外に何か伝えることがあるような気がして。
「…はい…ありがとうございます」
「いいんだ!また、皆でうちにおいでよ。冬の新メニューのモニターも若い子にやってほしいからね」
富士見さんの手は僕の体温に影響されることなくずっと凍てついていた。
あの時の手首の冷たさを忘れられない。
特に何かを疑うでもなく、あの不気味な空気と奇妙な感触を忘れることが出来なかっただけだ。
考えている中でも花如の嫌がらせは続いていた。1日に1つ。必ず嫌がらせは起こる。
花如の机には、ある日は教室のゴミが所狭しと置かれ、ある日はびしょびしょの使い古された雑巾が叩き付けてあり、ある日は折られたマーカーが散乱しインクが飛び散っていた。
チョークの粉が塗りたくられていたり、首の部分で破られた花如の盗撮写真が置かれていた。僕はその写真を一つにまとめ、自分の鞄に放り込みその日のうちに自宅のゴミ箱に捨てた。
僕は来る日も来る日も薄暗い教室で後片付けをした。
花如が来る前に。校舎に犯人はいるけれど何もできなかった。
そして、その日は来てしまった。
その日、花如の机に置かれていたのは、たった一枚の破り取られた紙。
「しんでしまえ」の文字。
僕はリノリウムの床に僅かな朝食を吐き零し、整わない呼吸を必死に元に戻そうと床に体を預けた。
「愉嬉歓は自分のことは2の次なんだ」
普段はあまり長くは語らない知真輝君が珍しく早口になっていた。
「もし自分の身に何かあっても、何か別の楽しいことをして気を紛らわせて、心配かけまいとするんだ…そういう奴だよ、前からそう。柳と愉嬉歓と僕はずっと蘆薈台だから、大体わかるよ。柳もわかってて呆れてんじゃないかな」
「そっか……どうすればいいかな、私」
私は別の学園から転校してきて、唯一のクラスメイトの愉嬉歓と仲良くなって、知真輝君や猫さんに出会って…この学園の人の少なさにはじめは驚いたけど、後になって同じくらい生徒の温かさにも驚いた。人数が少ないからこその深い友情に心が躍るような日もあった。
だからこそ助けたい。大好きな愉嬉歓を。
「…正直、僕もわかんないんだよ。あいつ優しそうな顔してすぐ嘘をつく。僕ら友達だろ。だけど頑なに嘘をつくんだ。僕らの事守ってる気かもしんないけど、僕らにすれば友達傷つけられてる。気付いてないんだろうな」
知真輝君は通学路の少しむこうを静かに眺めながら後ろ頭をぼりぼりと引っ掻いた。
「なんていうか…僕はそういう、姿を見せない陰湿ないじめ、嫌いだな…うちの学園人数少ないからすぐわれるだろ…ごめん、関係ないな」
黒い小石を足を引きずるように蹴ろうとして失敗した。
私の、愉嬉歓への接し方みたい。
考えを無理矢理変えるように、みんなでalmondへ行った時富士見さんにすすめられた白いゼラニウムを思い出した。そうだ、あれを教室に飾ろう。