#6「相談」
「この事は誰にも伝えないでください」
机を挟んで向こうに座っている蛇籠先生の顔を見ることが出来ない。
いつもならあの少し間の抜けた落ち着いた顔を見るのは気分が良い。間違えて友達のように「よぉ」って言いそうになるくらい。
「…そうは言っても、東三条君。わかっているとは思うけど、この学園は人が少なすぎるだろう?黙っていてもすぐに犯人がわかるんじゃないかな」
「それでいいです、今は考えたくない」
「泳がせていても良いことはないよ」
「いいんです」
本当は気になる。誰が花如の椅子に画鋲をばら撒いたのか。でもここで犯人がわかってしまえば、これは僕への嫌がらせではなく花如への嫌がらせだということがばれてしまう。結局花如は傷ついてしまう。
僕はただ、いつもの平穏な毎日を過ごしたいだけ。
あの景色…僕の前には猫さんと知真輝と花如の3人がいて…
「心配してくれてありがとうございます。僕、蛇籠先生のクラスでよかった。これから何かされていたら、すぐに蛇籠先生に報告させてください」
蛇籠先生はかなり不服そうだったけど「わかった」と言ってくれた。
教室では花如が1人表情を歪めて待っていた。
「愉嬉歓…何話した?」
「えっと…心配させてごめん。僕、あんまり”犯人捜し”みたいなことしたくなくてさ。他言無用にしてもらった」
「…本当に?」
大きな音を立てて花如が座っていた椅子が倒れた。
「あのさ…正直ムカつく!私の友達にこんなことしてさ、もしかしたら愉嬉歓がこういう穏やかな性格ってわかっててやってるのかもしれないんだよ!?怨みがあるとかないとか、いたずらだったとかそういうんじゃなくてッ…!」
彼女は唇を千切れそうなほど噛み締め、床を睨みながら涙を零し始めた。握り締めた拳の行き場を探してる。さっきまでの僕みたいに。爪がめり込んで痛いのか、震えていた。
花如は優しいから人のことになるとこうやって感情が爆発しちゃうんだ。
「…僕だって悔しいよ」
こんな優しい子に、画鋲を振り撒かれるなんて。
帰りの誘いは全部断ってしまった。
1人になりたかった。
花如を傷つけない為についた嘘が、逆に彼女を傷つけている気がした。事態を黙っていることで蛇籠先生や他の友達にまで嘘をついている気分。
でも、もう遅い。今更言えない。
何かから隠れるように足早に校舎を飛び出し、誰にも話しかけられないようにすぐにイヤホンを耳に詰めた。音楽は流さず、ただただ薄まった日常の音を聞き流す。
脚が進んだのはなぜかあのカフェ。
昨日皆と行ったばかりで小遣いも残り少ないけど。
少し誰にかに話したい気分。富士見さんならきっと誰かにこぼしたりしないかなって思っただけ。
ドアを開けようと取っ手を掴むと、自動でもないドアが勝手に開いた。
「うわっびっくりした!」
綺麗なガーゼを左目に当てた富士見さんが「CLOSE」の小さな看板を持って驚いていた。富士見さんの影越しに店内を見ると、カウンターに放置された台拭きや大きな時計に立てかけられた箒、積み上げられたコーヒーカップやお皿が散乱していた。
つまり今日はもう、
「あ…お店、もう閉めるんですね…ま、また来ます」
少し会釈し、覚束ない足取りで踵を返す。どうやら僕は富士見さんにかなり期待していたようだ。
「まって」
冷たくなめらかな感覚が僕の右手に巻き付いた。人でない、何かの…
「愉嬉歓君、疲れた顔してるよ。お客さんが1人増えたって変わらないから、コーヒー1杯でもサービスさせてもらえないかな」
それは、富士見さんの左手だった。
「いつも店を閉めた後に今日と同じ淹れ方をしたコーヒーを自分で飲むんだ。うまくいったかなって、気になるからね」
僕にはそんな違いは分からないけれど、そう言いながらいつも通りにコーヒーを僕の前に出してくれた。スティックシュガーやミルクの入った小さな籠も。
「すみません、もう閉め作業だったのに…」
「いいんだよ。それに、そんな落ち込んだ顔をした常連客をほっとくわけにいかなくてさ」
富士見さんはカウンターに両肘をつき、僕の顔を覗き込んでにっこり笑った。正直、顔の整った人に顔を覗き込まれれば男の僕でも少し緊張するんだけど、なんだかそれ以外に何かを感じる気がする。
寒気にも似た何か…さっき、腕を掴まれた時にも感じた。他の誰かがそこにいるような感覚が。
「で、何か困ってることがあるの?僕でよかったら話を聞くよ」
ガチャガチャと食器を泡に突っ込みながら富士見さんはそう言う。
こんな、富士見さんには関係のない事を言ったって意味がない事はわかっている。けど、どうしても自分だけじゃ判断がつかない不安が胸を重くする。
喋るだけで少しでも気分が晴れるなら…
「…実は、学校で」