#2「発端」
「うん。叶音ちゃんが僕に用があったみたい。薫子ちゃんはその付き添いって感じでさ」
優しくふんわりとした笑顔は冬空の日を暖かくしてくれる。
愉嬉歓は将来保育士を目指している。
当たり前だけど子どもや自分より歳下の人のお世話が好きで、アクティブラーニングではこの学園の下級生にも人気がある。
中等部2年生の叶音ちゃんは今までも特に愉嬉歓に会いたがっていた。幼さゆえにその気持ちを隠すことが出来ないみたい。
「そうなんだ。で、どんな用?」
彼は困ったように鞄の上に頬杖をつく。
「それが、わかんないんだよな。途中ではぐらかされちゃって。薫子ちゃんが隣で慌ててたよ」
わかんないのか。そっか。
よかった。
なんてね。
「あたし達歳上だから、少しびびっちゃったんじゃない?多分、愉嬉歓ともっと仲良くなりたいだけだよ。あんたってば人気者なんだもん」
平常心、平常心。きっとそうよ。
なんとか嫉妬心を抑えて持ち直そうとしたが、彼のまんざらでもなさそうな表情が気に食わなかった。
「ふーん…そっかぁ。嬉しいな」
愉嬉歓は黒板を見て今日の曜日を確認する。次のアクティブラーニングを楽しみにしてるみたい。
本当は知ってる。
堀釜野叶音は、愉嬉歓が好きだってこと。
確かに叶音ちゃんは中等部2年生の割にはかなり大人しくて淑やかで、淑女という言葉が似合う。文武両道で成績も申し分ない。
その上、転入前はお金持ちの子どもが通うことで有名な宗教の教えのある学校に通っていたらしく、動作仕草すらも美しい女の子。故に、逆に男子生徒の視線の先なのだ。
だけど、叶音ちゃんが好きなのは愉嬉歓。
私と同じ。
見栄っ張りで頑固で可愛くない私と。
「蛇籠先生。3つの歳の差ってどう思います?」
「と、唐突だね、長者原さん…」
放課後の教室で長者原さんはいつも通りの真面目な顔で歳相応の質問を投げかけた。
僕の受け持つ高等部2年生には、長者原花如というこの学園の生徒会長がいる。しっかりとした姉御肌で、真面目で気さくな1番頼りにできる生徒だ。
「どう思います?もちろん、恋愛的な意味でです」
長者原さんが自ら恋愛の話を持ち出すのは珍しい。てっきり「学問に恋愛は必要ありません」と断言してしまうような性格だと思っていた。
教師だけど、こんなしがない男の教師に相談していい内容なのだろうか。恋人がいないわけではないけれど。
まあ、信用されているのは嬉しいことだが。
「うーんと…えっと…いいんじゃないかな、その…愛がきちんとあれば」
「…愛かぁ」
長者原さんは心当たりがあるように俯いて落ち込み始めた。
恋愛に壁は付き物だ。年の差、国籍、性別とか…
きっとそんな壁は、愛の大きさの前に無意味だと僕は考えている。
だとしてもこの歳になって、しかも教え子相手に僕は何を言っているんだ…恥ずかしくなってきた。
「どうしたの?誰か、好きな人でもできた?」
彼女は突然顔を真っ赤にして腕の中に顔を埋める。そのまま小さく頷いた。
「…好きな人がいるんですけど、多分、ライバルがいて…歳下なんです。そして私なんかよりずっと可愛くて…最強って感じで…」
恋する女の子ってこんなものなのかな。
長者原さんは十分可愛いし頭も良い。高等部の男子もほっとかないだろうと思っていた。
「気にしないで長者原さんなりに頑張りなよ。その内絶対気付いてくれるし、なにより長者原さんは頑張り屋さんで素敵な人間だっていうことは僕も知っているし、大丈夫だよ」
「…蛇籠先生のくせに、良いこと言うじゃないですか?」
「え、えぇ…恋愛相談なんかされたことないからさ…っていうか、保健室の森園先生の方が共感してくれるよ、こういう話は」
長者原さんに笑顔が戻った。これでよかったのかな。
そういえば、中等部の巡麻薫子さんから放課後に用事があると言われていたような。
この教室に来るように伝えたけど、中々来ないから長者原さんと話が弾んでしまった。