第1話 解放者の噂
コントラクトという存在を知り、巻き込まれてから三ヶ月強。小林圭はコントラクトの縛りから解放され、日常を取り戻していた。
そして、圭自身の解放と同時に、ネイティブによって支配されていた生徒たちも解放された。そのことを事実だけでなく、噂でも確実に耳にするようになっていた。
無論、ネイティブと行った契約の効果はしっかり発揮されている。情報が漏れることはなく、圭がその解放に手を貸した人物だということまでは広まらなかった。
ただ、やはり、ネイティブを倒した人物が存在する、ネイティブの支配から解放してくれた人物が存在する。
そんな噂はとどまることを知らず、瞬く間に学校中を駆け巡ることとなっていた。
そう、『解放者』と呼ばれる存在が……生徒間の間で出来上がっていた。
そんな解放者の正体を知っているのは、おそらくその本人と言っていいだろう圭自身、それと次郎、ネイティブだけ。
いや……、もうひとり、少なくとも感づいているのであろう人物はいるか……もっとも、契約で口を封じているため、問題はないだろう。
少なくとも……隣にいるこの亜壽香はそのことを知らない。そんな思考をしながら、今日もいつもどおり登校する時間が続いていた。
「どうかした? いつもよりいい顔してるよ? いいことでもあった?」
「ん? ん~まあな……大したことないけど」
いい顔……そんな顔をしていたのか……? まったく……自分の表情は想像以上に制御がしづらいものだよ。
「何があったの? ねえ、何があったの? 教えてよ」
「教えるほどのことでもねえよ」
「そう? でも……圭の顔……何かをやり遂げたって感じで満足げに見えるんだけど? 誰かを救ったー! とか、苦しみから解放されたー! とか」
「……へえ……随分と具体的に表情を読み取るな」
余りにも事実通りの読みに内心焦ったのは内緒にしておくとしよう。
それこそ、これが当てずっぽうではなく、推理などからだったらネイティブ以上に心理を読み取るのが得意なやつになる。さすがに冗談じゃない。
「当たり? 当たり?」
「いいや、ハズレだな。そんなんじゃない」
「ちぇ、な~んだ。その反応、当たったかと思ったのに」
「当てずっぽう? それ?」
「ううん、なんかね、こう、ビビッと頭にきたんだよ、直感ていうかな?」
「それを当てずっぽうって言うんだよ」
「違うよ! 直感だよ、直感!」
「はいはい、でもその直感は当たってなかったけどね」
「らしいね~」
実際は当たっています。恐ろしいです、はい。
そんな思いを悟られないよう偽りの笑みを亜壽香に向けた。それに合わせるように亜壽香も笑顔で返してくる。そのまま適当に笑って圭は誤魔化した。
亜壽香は解放者なる者の存在は知っているのだろうか?
コントラクトが危ないことに使われているという情報の入手源によってその結果は変わるだろう。どちらにしても圭から話題にだす必要はない。例によって亜壽香から話題を降らない限り、解放者の話はしなくていい。
それに……おそらくこの噂も直ぐに終わる。解放者は……このまま消えることだろう。圭の目的はあくまでもネイティブの支配から逃れる事だ。それができた今、それ以上のことをする理由はない。
今後は……コントラクトで支配されないよう注意を払っていくだけだ。
解放者といくら噂されようとも、これきり誰かが解放されることもなければタダの噂でしかない。解放者は……本当に存在したかも分からないようになるだろう。
「……やはり……違うのか?」
突如、亜壽香がそんな言葉をボソリと言ってきた。圭がいろいろ考えている中での本当に消えるぐらい小さい声だったので、そのまま聞き逃してしまいそうなほど。でも……それでもやはり微かに聞こえてしまったのだ。「違うのか?」と。
「なんのこと? 何が違うの?」
「え!? 聞こえた、今の?」
慌てた様子を見せる亜壽香だったがすぐにまた笑顔を取り戻す。
「いやあ、やっぱり圭はコントラクトの面倒事に巻き込まれてなかったのかな? って」
「それのことか。大丈夫って言っただろ?」
どうやらまだ、そのことを心配してくれていたらしい。だが、ここまでくると逆にこちらのほうこそ心配になってくる。
「そんなこと言って……そっちこそ、面倒なことに巻き込まれているわけじゃないだろうな?」
「こっちは無論、大丈夫」
「なんなら……俺に話してみたら……なにか解決するかもしれないぞ」
ついそう言ってしまった。もし、亜壽香が本当に……コントラクトによって誰かに支配されている立場なら……どうする?
もう、解放者になることはないと思っていたけど……。また……圭は解放者として動くのだろうか? それとももう面倒なことはごめんだと引き下がるか?
だって……今回……自分はもう関係ないのに。
あくまでもネイティブと戦ったのは……自分も支配下にあったからであって、解放された自由の身にある圭に……これ以上……戦うなど。
「それは……あたしがコントラクトで支配されているなら、助けてくれるってこと?」
そう亜壽香から言われ……本当に助けることができるか、改めて考えてしまう。やはり無理か……これで解放しようと戦って負けたら……また支配されてしまう。
でも……
「まあ……俺にできるならな」
「解放者として?」
突如として同様で足を止めかけてしまった。それでもなんとか平常を保ちつつ前へと足を勧め続ける。
向こうから話題に出されれば、と考えてはいたが……このタイミングか?
「俺が解放者だって言いたいのか?」
「あ、やっぱり解放者は知ってるんだ」
「……ああ、噂ぐらいにはな……でも本当に俺が解放者だと思うのか?」
「いやあ、別に……巷で有名な解放者様の真似でもしてるつもりなのかなって聞いただけだけど? それとも……もしかして……本当に?」
「さすがに違うよ。……ただ、お前が苦しんでるなら……助けてやってもって思って」
「うん、そうだよね。でもありがとう。やっぱりあたしは大丈夫」
「……そっか」
それ以上、会話を続けることはできず、しばらく無言の時間がただ流れた。




