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13 ごはんだよ

 アーニャは朝っぱらから、兎の脚肉とがらを茹でていた。

 クリスが出かけた頃から、延々と茹で続けている。

「茹ですぎだよ。もったいない。折角の肉が煮崩れちゃう」

 ジゼルがそんな風に文句をつけるが、アーニャは聞く耳持たずといった風情で塩を追加していた。

「出汁を採っているんですよ」

「……だし?」


「ふふふ、今日はジゼルに料理の神髄というものを見せてあげます。

 お肉も少しだけど別にあるから安心しろ」

 綺麗に剥かれた桃色の岩塩の塊を削る。長い指で肉の表面に丁寧に塩を刷り込み、小さな袋からほんのわずかに貴重な胡椒を香付け程度に振りかけた。

 骨を取り除いた出し汁に麦や雑穀を入れて、煮立ったところでレタスや蕪、豆類など野菜を順番に入れて、丁寧にかき混ぜていく。肉の一部も取り除いて別の皿に入れた。これは後で更に煮詰めてブイヨンにするのだ。

「とっておきのおかゆを食べさせてあげよう」

 自信満々のアーニャの態度にもてなされる立場のジゼルである。

 胡散臭そうに眺めつつも、朝食ができるまで手持ち無沙汰を持て余し、何やら出来ることはないか探すことにした。


 クリスが水を汲んで戻ってくると、ほぼ同時に、ジゼルもアーニャの飼ってる小豚の三頭ばかりを首に縄をかけて戻ってきていた。

 どうやら、近場の楢の森で子豚たちにドングリを食べさせてきたらしい。


 村の周囲は森に囲まれている。牧人たちも、豚をつれて彷徨うのは森のごく浅い外縁である。

 樵や狩人も、よく知った森の一部に踏み込むだけだ。深い場所に迂闊に立ち入れば、生きて還れない。

 森には妖魅が潜んでいる。狼や熊といった猛獣にゴブリンやオーク、エルフと言った人とは異なる亜人も生息している。官憲に追われた盗賊や無法者、逃亡奴隷が逃げ込むのも、また森であった。

 そこは太古の法や魔術が息づいている、人の世とはまた異なる則に支配された危険で未知の世界であった。

 森は、また海であった。村は緑の大海に浮かぶ島である。人の世界は狭く限られている。辺土や開拓地で、一つの村が亜人や怪物によって滅ぼされ、また疫病や人間同士の争いで消えてなくなることも珍しくはない。


 アーニャの家からは、香ばしい香りが漂っていた。ちょうど、出来上がった頃合いらしい。

「ほーう、いい香り」

 ジゼルが鼻を蠢かせている。家の中にある豚の囲いへと三匹の子豚を追い込んでから、食卓へと向かう。


 食卓の上には木製の簡素な椀が三つ。コップと共に並んでいた。

 アーニャが湯気の立つお粥を木の椀へとよそった。

 よく蕩けたお粥の上でチーズと玉ねぎがキラキラと輝いている。

「さあ、食べろ」

 勧めてくるので、クリスは遠慮なく木製の匙を手に取って口に運んだ。

「相変わらず料理がうまいね」

 手放しで褒めるクリスの言葉にジゼルも口運んだが、一匙口に含んで固まった。

 長い間、沈黙してから牧人娘は、やっと一言だけ口にした。

「え、なにこれ」

「おかゆだぞ」

 驚愕した様子から、貶す言葉ではないと当たりをつけつつも、わずかに戸惑うアーニャ。


 ジゼルの頬を涙がしたたり落ちる。

「泣いているよ。この子」クリスがびっくりしている。

「あー、ああー、あー」意味のなさない言葉がジゼルの喉からほとばしっていた。

「泣くほど」クリスがつぶやいてる反対側で、アーニャはさもあらんとばかりにうんうんと肯いていた。


 ジゼルは普段、水煮した粥や硬い黒パン、干し肉などを口にしている。

 牧人の出自は、農民の次男三男や次女三女などが多く、孤児で年齢も若いジゼルは、牧人集団の中での立場もあまり強くない。

 虐げられてる訳ではないが、軽んじられている。下っ端仕事ばかり廻されており、金も大して持ってない。

 実際には、牧人の食材は量も質もそれほど悪くないのだが基本、味付けが単調であった。

 露天の野営で済ます時には、手っ取り早く作れる豆のスープと黒パンで済ませるし、偶のご馳走にしても豆と羊肉、チーズのスープや、刻んだ肉に人参や玉ねぎをかき混ぜて焼いた料理など、うまいことはうまいのだが、似たり寄ったりの素朴な肉の味で、特に規模の小さい牧人集団になると料理にそれほど手間暇かけたりしない場合も多いのだ。


 祭りの時には焼いた肉も食える。旨くはあるがこれも粗野な味付けで、真っ当に手間を掛けた美味しい手料理を口にしたのは、生まれて初めてかも知れない。

 美味しい。脳みそを殴られたような衝撃に言葉を失っている。

 家庭料理を食べなれているクリスのほうは、美味しいとは思うもののそこまでの感激はない。 

 悪くはないが、うちの母さんの方が上だよ、などと贔屓目で思っている。

「ふふふ、そうか。アーニャちゃんの料理はそれほどに美味しかったですか」

 クリスの反応にアーニャは満更でもなさそうだった。

「お代わりもあるぞ?」

 お昼と妖精たちに回す予定だった分もお勧めする。



 秋の収穫を終えたばかりの今の季節。村人たちが一年を通して、もっとも豊かな食生活を楽しめる時期であった。

 これから冬に至る11月、12月には冬小麦や裏作の冬玉ねぎなどを植え、12月の冬至の収穫祭を境に徐々に食料は乏しくなり、2月3月は貯えも乏しくなり、備蓄を切り崩しながら春を迎えるまでひたすらに粗食に耐えるのが、人々の一般的な生活であった。

 

 ひたすら無言でお粥を掻き込み続けるジゼル。

 普段食べてるのと同じチーズや肉を使って、どれしてこれ程に味が違うのか。

 アーニャと同じ味を出せるものは女将さんたちにも滅多にいない。不思議と旨いのだ。

 単なる味付けだけではなく、火加減や投入した順序での口当たりや味の溶け込み具合も考えて作っている。

 同じチーズが混ざっただけのお粥なのに、異様に美味い。

 三人でお代わりをすると、鉄鍋はたちまちに空になった。

「ぐ、ぐんー」

 天井の辺りから、何か狼狽するような嘆いているような叫びが響いてきた。

「あれ?今、へんな鳴き声が?」

 鳥か、ネズミか。天井を眺めるクリスだが、特になにも見当たらない。

「あとで、あとで」何やらアーニャがつぶやいている。


「ああ、美味しかった」

 涙を拭ったジゼルがアーニャに向き直って口を開いた。

「結婚してください」

「ごめんなさい。財産のない人はちょっと」

 定番の村人ジョークを交わしつつ、口直しのエールをコップに注いだ。


「いいな。アーニャは。こんな美味いお粥を普段から食べてるのか」

 お粥を食べ切ったジゼルがくちくなったのか。眠たげに三白眼を細めながら、お腹を撫でていた。

「でも、ジゼル。代わりに普段から肉を食べてるでしょう」

「食べてないよ。貴族や市民でもあるまいし」

 クリスの言葉に対して、不満げに答えるジゼル。


「市民?都市に住んでるあいつら?そんなに肉食べてるの?」

 アーニャの問いかけにジゼルがうなずいた。

「うん。冬は肉の食べ過ぎで春になったら吹き出物に悩まされるとか」

「おいおい、地獄に落ちればいいのに」

 なぜか都市民を呪いだしたアーニャを放置して、クリスが意外そうに疑問を発した。

「あれ、牧者ってお肉結構食べられないの?」

 牧人に縁者のいない村人なんて、そんな認識らしい。

「ないない。預かってるだけだから」手を振って否定するジゼル。

 

「肉がたくさん食えるのは、収穫祭の時期くらいです。

 普段は黒パンかな。わたしは下っ端だから雑穀のパンも多い」

 それから話題は、牧者たちの普段の食生活に及んだ。

 普段は、あまり肉は食べられないらしい。兎や鳩を捕まえた時か、まれに鶏を買った時に焼き鳥くらいは食べるが、たらふく肉を詰め込めるのは、やはりお祭りの時期だけのようだ。


「夢のない話です。牧者は、お肉食べ放題かと思ってました」

 アーニャがため息を漏らした。

「うちの弟もお肉食べられるって牧者になりたがっていた」

 クリスの言葉に牧人の娘は肩をすくめた。

「あまり、いい生活じゃないよ。いや、お頭たちは結構、食べてるか。

 20年くらいの下積みに耐えられれば、週2くらいで食べられるかも」


 話をしながらも、アーニャは時々、焼いている兎肉を回転させていた。

 滴り落ちた脂のしずくが炎に落ちてジュっと音を立てる。

「君たち、まだおなかに入る?」

 お肉の焼き加減を見てからのアーニャの問いかけに、二人はうなずいた。

「お肉?当然、食べられますよ」

「いけるいけるー」

「ぐん?!」

 さっきからしている小さな叫びがどうにも気になってクリスは天井を見上げるが、梁の上には影一つない。


「では、そろそろ肉を食べるとしよう」

 肉が焼けたのを見計らって、アーニャが肉を大皿に載せると、腰から小さなナイフを取り出して切り分け始める。

 肉を客人に切り分けるのは、ホストの役割で権利である。

 お皿の上に並んだ兎肉の塩焼きを小さなナイフで切り刻んでは、3人とも手づかみで食べている。

 兎一匹が忽ちに骨だけになった。

「ぐんん!ぐんんー!」

 天井の方からなんか悲痛な響きを帯びた鳴き声が聞こえてくる。

「あれ?なんか鳥でも入り込んだのかしらん?」

 食卓に置かれた盥の水で手を洗いながらクリスは天井を見上げてみたが、特に見当たらなかった。

「気にするなー」とアーニャ。


 茅葺の屋根の下。縄で兎の皮が幾つも吊り下げられている天井を見上げたジゼルが、脂に濡れた指をしゃぶりながらつぶやいた。

「しかし、アーニャは結構、いいモノ食べてるんだね」

「この子、兎獲るのが上手いのよ。びっくりするくらい」

 クリスが相槌を打つと、アーニャは得意そうに鼻をうごめかせている。

「行商人に兎の毛皮を売り飛ばすといい小遣いになるんです。

 ウサギの皮がたまったら、街に売りに行ってな。乳牛と交換するんじゃ。ぐふふ」

「乳牛がいくらするか知ってるのか?」

 牧人のジゼルは、アーニャに相場を聞いてみた。

「知らん。けど、聞いて驚け。三年で11ペンスと半貯まった」


「雄牛と牝牛を一そろい買ったら牛を増やすんだ。

 家も増築しないとだめだね」

 アーニャの皮算用を聞いて、ジゼルとクリスは顔を見合わせた。

「そうか、頑張れ。そのペースだと百年かかるけどな」

「森中の兎を根絶やしにしても買えないわね」


「え?牛ってそんなに高いの?」驚愕したターニャ。

「豚の六倍くらいする」とジゼル。

「子豚の?」恐る恐るといった風情で問いかけるアーニャ。

「大人の。丸々太った豚の」

 アーニャは自分の手をじっと眺めた。

 それから

「ろ……6倍」とつぶやき、指を一本ずつ折り曲げる。

 ちなみに豚1頭の値段は、おおよそ30ペンスから40ペンスほどである。

 勿論、都市や近郊の農場でも豚は飼われているが、田園のほうが安く買えるし、同じ豚でも食料が乏しくなる冬の終わりには、春や秋の2~4倍に値上がりする事例も珍しくない。

 

「あ、あああ、あああああ」

 六本の指を折り曲げたアーニャ。この世の終わりみたいな表情でうめいている。

「そ、そんなに高かったなんて。せいぜい、豚の2頭分くらいかと思ってた。

 牛を増やして牧場主計画が……」

「アーニャちゃん」

 がっかりしてるアーニャを慰めるクリスだが、ジゼルは辛辣だった。

「大体、牛だけ増やしても、どこで草を食わせるんだよ」

「北の草原とか?」

 ジゼルは、ため息をついた。

「あすこは遊牧民の縄張りだろ。アーニャ捕まったら、兄弟共有のお嫁さんだぞ。

 オークやゴブリンだってちらほら見かけるし」

「……仕方ねえ。羊か山羊にするだ。牛よりは手間がかからないし、乳も採れるし。

 羊毛刈れば金になるし」

「豚にはしないの?」豚を飼ってないクリスが聞いてみるが、アーニャは首を振った。

「豚は簡単に増やせるし、近くの森で養える数にも限りがあるし」

 犬を飼ってないアーニャには連れて歩ける豚の数も限りがあるし、安全に歩ける範囲の森も村人の間で割り当てが決まっている。家畜を森に入れる権利も、村人たちにとってはまた貴重な財産であった。

 食事を終えた娘たちは、朝からエールを啜りつつ、火を囲んでのんびりと駄弁り続けた。

 秋の収穫を終えたこの季節、農民にとって今は一年を通してもっとものんびり過ごせる時期なのだ。


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