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11 なぜか後頭部がとても痛い

「おお、だーくないとよ。まけてしまうとはなさけない」

「しかもあいてはむらむすめときてる」

「ぐんー」

 暗い闇の底に転がっているアーニャを、鈍く輝く三体の人影が取り囲んで見下ろしていた。


 今日まで同年代の村の子供では一目置かれてきたアーニャちゃん。

 兎や茸を採る腕に加えて、素早い動きでの喧嘩の勝利で築いてきた輝かしい地位が、しかし、昼間にはヒューを相手に引き下がり、夕刻にはイルマにのされて二連敗。

 村の喧嘩王から転落したアーニャちゃん。このままでは、村の子供ン内序列が危険域に突入なのだ。


「ぐぐぐ……馬鹿な、このアーニャが小娘に敗れるとは」

 アーニャの無念のうめき声が闇に響いた。ちなみにアーニャは、イルマよりも一歳年下で背も低い。

「ししてしかばねひろうものなしー」

「ぶじんのさだめよ」

「ぐんー」

 子供の関係といっても、これが意外と馬鹿にならない。

 閉じた村社会だと、子供の時分の関係が大人になってからも引き継がれることが多分にある。

 喧嘩に負けたり、おめおめと引き下がっては、軽く見られてしまう。

 ひいては大人になってから、揉め事や言い争いで、軽んじられる人物に不利な裁定がなされることも少なからず在るのだ。


「おのれぇ……イルマちゃんめ。少し胸がでかいからといい気になりおって。

 だが、このダークナイトにとどめを刺さなかった、その甘さが命取りよ」

 子供の喧嘩なのでとどめを刺さないのが当たり前だし、アーニャもやり返すとしても殺すつもりはないけど、とりあえず夢みてるみたいなので、誰にも聞かれてないし思う存分に格好良さげなことを呟いてみることにした。

「そうだー、ふくしゅうするはわれにありー」

「やりかえせー、ほうふくこそさいこうのゆるしなりー」

「ぐんー」

 縁故のない身のアーニャであるから、足元が意外と脆い。

 財産を守るには力が必要で、狭い共同体で身を守る意思にも力にも欠けると見做されるのは、命取りとなる。

 コモン・ローでの裁定には陪審審判が用いられていた。土地の気風や法の仕組み、裁定者の気質によって多少の差異はあれども、村社会の掟も、都市の法も、よほどの権力や戦力を持っていなければ、伝手と縁故で少なからず左右されるのは避けられない。

「……この雪辱はいずれ必ずや晴らすのだ。

 それはそれとしていい胸でした」

 

 イルマの胸の感触を思い出したアーニャが目を閉じたまま呟くと、周囲に薄闇から鈴を転がすような囁きが聞こえてくる。

「ちからがほしいかー、ならばくれてやるー」

「そのはげしいいかりのほのおがなんじにちからをあたえるのだー」

「ぐんんー」

「どちらかというとちちが欲しいかなー」とアーニャ。

「それはむりかなー」

「そのねがいごとはわたしのちからをこえているー」

「ぐんー」

「……やる気がなくなったー」

「やるきだせー」

 子供にも面子がある。抜き差しならぬ事情で、アーニャも真剣にならざるを得ない。

 衆人環視の前で叩きのめされてしまっては、メンツが丸つぶれである。

 やられっぱなしはまずいのだ。馬鹿々々しいと思いつつも、多少はやり返さないとならない。

 自力救済が基本の中世で、田舎生まれの田舎育ちにとっては喧嘩の連敗は由々しき事態。

 半分成人。半分子供のアーニャとしては、大人と子供の境界にいるこの微妙な時期に、連敗したのはいかにもまあずい!まずいではなく、まあずい、である。つまり凄くマズいのだ。

 冒険に出る前に、村の中での地位がピンチですよ。

 なので、イルマを倒さなければならない。仕返しをしない奴は、舐められる。辺土では、舐められたらおしまいなのだ。いっそ相手をぶっ殺したほうが、黙ってやり過ごすよりはましな選択なのだ。

 できれば、村の衆が見ている場所。そう、収穫祭の腕試しが最良であろう。


 ふて寝しているアーニャの耳の奥で励ますような言葉が響いてくる。いや、励ましてるのか?

「たてー、たつんだ、あーにゃ」

「おまえはびーすとだ、あれくるうはりけーんだ」

「ぐんんー」

 人影が薄く遠ざかり、アーニャの視界に光が戻ってくる。くそっ。じんじん痛む鼻が。

「イルマちゃん。今日のところは勝利を誇っているがいい。

 だけど、覚悟したまえ。次に戦う時、このアーニャは今日の倍も強くなっているぞ」


 酒場の前。村の中心にある井戸の傍で、気絶したアーニャを牧人の娘であるジゼルと友人のクリスが手当てしていた。

 当たりが薄暗くなってきているので、ジゼルは松明を抱えている。

「……おい、起きろー」

 牧人の娘にペチペチと頬を叩かれたアーニャ、白目を剥いたまま不気味に痙攣すると寝ゲロを地面に漏らした。

「うわっ、きもっ!酒臭っ!」

 薄汚れたフードを被った牧人の娘が、顔を引き攣らせて小さく叫んだ。

「そんなこと言わないでよ。アーニャ。アーニャってば」

 クリスは下手に揺り動かさず、地面に横たわった顔を近づけて声をかける。

「うにゃ……我を呼ぶのは誰だ?」

 アーニャから反応があった。

「大丈夫?自分が誰か分かる?」

「……我が名はダークナイト。嵐を呼ぶ恐怖の化身なり」

 牧人の娘が肩をすくめた。

「やべえな。気が狂ったぞ。頭を強く打ちすぎたんだ。お前さんが手を離したから」

「ち、違うし。ね、寝ぼけてるだけよ。私だって子供の時分にはお姫さまになり切ったし」

 しかし、クリスとジゼルも大分酔いが回っている。

 アーニャを放置して二人が言い争っていると、地面でアーニャが大きく呻きを漏らした。


「お、気が付いたかな?

 しかし、こうなると美人も台無しだな。毒キノコ食って泡吹いてたゴブリン思い出すぜ」

 松明を掲げた牧人の娘が覗き込むと、アーニャが寝っ転がったまま薄く目を見開いた。

「うぅ……人の面に偉そうなこと言えるほど上等な面かね、ジゼルちゃん。

 寝起きにいきなりお前の三白眼を見せられた方の気分を考えなさいよ」

 あんまりなアーニャの言い草に、牧人の娘ジゼルが眉を顰めた。

「手当してやったのになんて言い草だよ。お前。友達甲斐のない奴だね」

 起き上がろうとするアーニャだが、苦痛にうめくと再び横たわる。

「ああ、あたた。鼻が……私の鼻、折れてない?それと、なぜか、後頭部もとても痛いの」

「大丈夫よ。折れてない。赤くなってるけど。あと、後頭部に関しては知らない」

 クリスがアーニャの鼻を濡らした布切れで拭いてやる。

「おい、ダークナ……アーニャ、寝ゲロがシャツについてるぞ」

 ジゼルがアーニャに指摘する。

「ん、今なんて言った?うわ、酒臭い?なんだ、こりゃ」

「ほら、アーニャ。口元拭いて」

 

「ああ、ひどい目にあった。まだ頭がくらくらする」

 愚痴るアーニャをジゼルが鼻で笑った。

「どう見ても、お前さまの口が自ら災いを招いたとしかわたしには思えないがね」

 起き上がったアーニャは、ふらふらしながら立ち上がった。

「大丈夫か、お前さん。足元がおぼつかないぞ」

 ジゼルの問いかけにアーニャはうなずいて見せた。

「まだ、ダメージが残ってるみたいだけど。大丈夫、大丈夫」

 大丈夫、大丈夫と連呼するのも酔っ払いの習性である。

 どう見ても、アーニャはまごうことなき立派な酔っぱらいであった。

「大丈夫、大丈夫」

 酔っぱらいはみんなそう言う。とはいえ、本人もこう言ってるし、村の中でなにが起きよう筈もないとジゼルなどは思っているのだが、クリスが渋い顔を見せた。

「家と畑持ってて、鶏を十羽も飼ってんのよ。この子。豚も何頭か預けてるし」 

「あー、そりゃ、寝床に引っ張り込もうとするか」

 小作人や農場の働き手など、財産のない独身男からしたらアーニャは狙い目である。

 他に身寄りがなく財産を持っている。アーニャが奇矯な振る舞いに走りがちなのも、それらの不安が理由かもしれない。

「ね。あんまり良くない相手の寝床に引っ張り込まれたら、寝覚め悪いじゃない」

 アーニャに肩を貸して歩き出したクリスを見て、ジゼルが感心したように呟いている。

「面倒見いいなぁ」

「ほら。でも、夜道歩くのは恐いから、今日はアーニャのところに泊めてよね」

「ありがてえ、ありがてえ」

 クリスとアーニャの問答に苦笑したジゼルも、酔っ払いの反対側を支えてやる。

 とはいえ、三人と寄っているので微妙に足元がおぼつかない。松明も持っているのにふらついている。

「ジゼルも泊ってけー、朝飯くらいは出すぞー」

 

 村には囲いもあるし、ジゼルは夜道を恐れたりはしないが、朝飯は魅力的だった。

「酒場じゃ、どうせ暖炉の傍には眠れないしなぁ」

 金のないよそ者は、酒場の床で雑魚寝というのが村でのお決まりであったが、酒場といっても、隙間風はびゅうびゅうと吹くし、床はむき出しの地面で硬くて冷たいしで、藁が敷いてある分、素の地面より多少マシかもという程度でしかない。

 牧人というのは、村人から羊や豚という家畜を預かって世話をする生業なのだが、ただでさえ他者から孤立しがちな仕事な上、ジゼルも牧者では下っ端もいい処の若輩なので、火の傍などいい場所は年長者にとられるし、泊めてもらおうにも村にろくな知己もいない。

 きつい三白眼で男たちからの人気も薄いと思い込んでるので、なんだかんだ言ってもアーニャの提案は渡りに船だった。

「暖かい汁とか奢ってくれるか?」とジゼル。

「つけてやるとも」

 アーニャが頷いているその横で、クリスが首を傾げていた。

「うーん。なんか忘れてるような気がするんだけど思い出せない」

 

 既に日没を迎えて、一帯に闇が広がっていた。

 月明かりと松明を頼りに夜道を歩いた三人は、村はずれのアーニャの家へとたどり着いた。

 広くもなく、狭くもない、アーニャの家は何の変哲もないありふれた農家であった。

 富裕な農民の家は、内壁によって複数の部屋に間取りされていることも珍しくなく、対して貧しい農民の家は、一部屋の狭い小屋でしかない。

 アーニャの家は、壁で仕切られている訳ではないが、入り口から右手に家畜を飼う木製の囲いが設置され、奥には竈。左手の壁に大きなベッドがおかれている。

 とは言え、床は剥き出しの表土で、その上に簡素な作りの椅子や机が並んでいた。


「なんだ、土間じゃないか。床で寝ろっていうのか?」

「ベッドは一つしかないけどな。大きいぞ、それに藁は変えたばっかりだぞ」

 よく見れば、ベッドは元は複数のベッドを動かしてつなげたものだろう。こんもりと大きかった。

「まあ、くつろぐがいい」

「じゃあ、遠慮なく」

 家の真ん中の柱につけられた金属製の輪っかに松明を引っ掛けると、ジゼルは椅子に腰を下ろした。

 たいまつに照らされた木製のベッドの上。縄で巻いたわら束を連ねた敷布団に、さらに藁の山が積まれている。

「あー、眠い」

 アーニャが素早く服を脱ぎ捨てると、素っ裸になってベッドに倒れこんだ。

「口濯ぎなさい。虫歯になるわよ」

 クリスがアーニャを起こして、馬の尻尾の毛の歯ブラシと飲料水を入れたコップを手渡した。

「お母さんみたいなクリス。結婚して」

 勝手知ったる振る舞いなのは、もう幾度と尋ねてきたに違いない。

 ジゼルも口を清めてから服を脱いだ。

 ベッドによるとアーニャが手を伸ばしてくる。

「なんで胸を揉むんだ。面白いもんでもないだろうに」

「お前は見た目の割にいいやつだから、友達になってやってもいいぞ、ジゼル」

「上から目線だなぁ」

「いいから聞け。この友とは、ただ駄弁って酒飲んで管を捲くだけじゃない。

 人生は厳しい。必ずしも良き家族に恵まれるわけでもない。

 困ったときには互いに助け合うことを……血に掛けて、姉妹のように」

 そこでアーニャは目を閉じた。寝息が聞こえてくる。

 ジゼルは肩をすくめた。クリスが苦笑する。

 娘たちは服を脱ぎ捨てて、藁に潜り込んだ。暖かくて心地よかった。

「おやすみ」

「んむ、おやすみ」


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