19*Accept
Accept――受け入れる
瑠璃光総合病院 ロビー
「それで、神宮寺さん。今面会を頼んだのは他でもないわ」
彼女の名前は三川早織。
トウキョウ都ミナト区にあるキリスト教系の私立女子中高一貫校・フィリア女子学院に通っている2年生であり、生徒会長を務めている。
腰くらいの金髪のツインテールと碧眼の彼女は、ドイツ人ハーフの父親と日本人の母親を持つクオーターである。元々は水泳部のエースだったが辞めてしまっており、それについて周囲には『会長職への就任をきっかけに』と言っている。
ちなみに、フィリア女子学院から瑠璃光病院には車で4分あれば着く。
「なんでしょうか?」
「最近変な夢を見るそうね。何かあったのかしら?」
「はい…何故かはわかりません。ですが、私が薬を飲んでから見るようになって…」
「それって、現身が夢に出るの?」
現身。
薬がヒトの人格を持ち、ヒトに擬態した状態のことである。
広義にはその『擬態している状態の薬そのもの』を指して現身と呼ぶこともある。
この用語を使っているのは基本薬と研究者、医療関係者、または服用している者達であり、その存在を知らない者も多い。
「ええ…そうですけど」
――三川先輩は、どうして現身なんて知っているんだろう。
――自分や家族とかが薬を飲んでいるのかな。
――それとも、医療関係者が知り合いにいるのかな。
――それとも――いや、この可能性は考えたくないな。
彼方は、この病院にナルコレプシーで入院している。早織は彼方の入院時に、生徒会としてこの話を聞かされていた。
「メチルフェニデートを飲んでいるのよね?」
「はい…夢にはその現身にそっくりな人が出てくるんです」
「そっくりな人…?そのメチルフェニデートと何か違うのかしら?」
「はい。カラーリングが真逆といいますか、リタリンは――メチルフェニデートは銀髪と青緑の瞳なのに、夢に出てくるのは黒髪と赤っぽい目なんです」
「そう…ダンケ。調べてみるわね」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「じゃあ、私は行くわ」
――あの人だっているみたいだし。
早織はロビーを出、受付を済ませ病院を出た。
数分後 私立薬師寺学院
▼C17H19NO3
俺が覗いたブースの中では、母さん――メチルモルヒネ側にデソモルヒネとシロシビン、テバインさん――パラモルフィン側にソラ――アルプラゾラムとフェンタニルが迎え撃つことになったらしい。
ハルシオンさん――トリアゾラムは状況を見て指揮していくようである。
武器はハルシオンさんが斧、ソラが短剣、フェンタニルが日本刀、デソモルヒネが投擲型ナイフ、シロシビンが槍。
母さんは生成型の盾で、パラモルフィンさんは多節棍タイプの槍のようだ。
『えい…やぁっ!』
テバインさんがソラに向かう。
彼は化学的に俺と類似した構造を持っており、現身の容姿も俺に似ている。
だが、彼の作用機序はどちらかといえばリタリンらアッパー系寄りのようだ。実況によると、抑制作用よりも興奮作用のほうが強く、多量に摂取するとストリキニーネと同様の痙攣作用をもたらすらしい。
それを日本刀で受け止めるフェンタニル。兵器らしく感情を挟まない動きだ。ソラとのコンビネーションも完璧で、俺の妹であるジアセチルモルヒネとコークさんのドラッグカクテルである『スピードボール』に匹敵するのではないかと思われる。
――さて、母さん側はどうだ。
母さん側に目を向けると、デソモルヒネが投擲したナイフは盾で防がれてしまっていた。そこにシロシビンも槍で食らいつく。
『面白くなってきたねー!』
シロシビンはまだ、加水分解をしていない。
彼はC12H16N2O・シロシンのリン酸エステルであり、加水分解をすることで、作用の主となるシロシンにモードを切り替えられる。どちらも基本は同様の幻覚作用があるが、シロシンはそれに加え時間感覚を歪める作用を持つものの不安定で、酸素によって急速に破壊されてしまう。
シロシビンは極めて安定した形態であり、彼は基本的に加水分解せずに戦う。
『だろ?久し振りに出られて楽しいかー?』
『うん!僕戦うの大好き!』
ビーッ ビーッ
けたたましいそれは、特進科の玄関前に取り付けてあるブザーから出た警報音だった。
――何があったんだ。
――なんだって、こんな時に。
『全員、換装を解きなさい!――侵入者よ!』
換装を解いた薬達がブースを出る。
「侵入者ってどういうことっすか!」
「俺も知らないってば!とにかく無色のとこに行くぞ!」
どうやら、侵入者とテバインさんは無関係のようだ。
無色とは先程の台詞から察するに、研究室に閉じ込められているリタリンだろう。
「確かデバイスなしでは入れないのでは…?」
「だから、なりふり構ってられないんだってば!俺が開けてやる!本当は入れねえけど――中断されちゃあしょうがねえ!松本先生も、それでいいでしょう?」
「こうなってしまえば仕方がないわ。早くメチルフェニデートにも知らせて!」
「先生、侵入者への対策は?」
「私とフルニトラゼパム――そして、チオペンタールが当たるわ。貴方もよ、モルヒネ!」
「そんな、急に言われても!」
「生徒会長でしょう?しっかりしなさい!」
「俺もですか」
「そうよ。人間なら一度昏倒させる必要がありそうだから」
C11H17N2NaO2S・チオペンタール。
彼は静脈注射により鎮静・催眠効果を示す全身麻酔薬で、アメリカでは死刑執行時に意識を無くす薬物として知られる。脂溶性が高いため容易に血液脳関門を通過し、短時間で作用を発揮するのだ。
「さて…迎え撃ちに行くわ」
数分後 私立薬師寺学院特進科 玄関
その侵入者は、フィリア女子学院の生徒会長・三川早織だった。
「あら…神宮寺さんと同じ学校の制服を着ているのね。悪いけど、ここは立ち入り資格を持たない人間は入れないの」
「ご安心ください。私も――」
「薬なので」
早織のブロンドの髪が、レモンイエローへと変わる。
憑身である彼女が、完全に早織の意識を乗っ取った証拠である。
「先生!オレを呼びましたか!」
舩田が呼び出したフルニトラゼパムも駆けつけてきていた。
「ええ。貴方は作用が強いでしょう?」
「でも、もうオレは人間を助けるためにしか動かないと決めた。人間を傷つけるのは許容できねえ」
「大丈夫よ。――侵入者は、貴方達と同じ薬だから。それも貴方達とは違って、医薬品ではないものよ」
「医薬品ではないもの――誰だよお前!」
フルニトラゼパムは迷いなく啖呵を切る。
「私はC4H10FO2P・イソプロピルメチルフルオロホスホネート。――サリン、といえば通じるかしら?」
イソプロピルメチルフルオロホスホネート。
ドイツ帝国で合成された有機リン化合物で、神経ガスの一種である。
「お前は――!」
「へえ、誰かと思えばチオペンタールじゃない。他の皆様は初めまして」
「…おいチオペンタール、こいつ本当に薬か?」
「薬には間違いないぞ。だが、こいつの場合は毒性が強すぎて殺虫剤に使おうにも使った奴も死ぬ。――こいつの用途は殺人だけだ」
日本のとある教団も彼女の合成に成功し、彼女を用いて複数の事件を起こした。
チオペンタールとはその教団で知り合っており、メタンフェタミンやリゼルグ酸ジエチルアミドとも知り合いである。
「あなたは何しにここに来たの?」
「私の通う学校の生徒が、そちら様に所属している薬の参考服薬者なんです。それで彼女の悪夢に関わっている薬を調べに来たんです」
「そう。要件はヨコハマ薬剤師会と同じようなものなのね。…でもね、貴方のような薬と、ここの学校の薬は種類も用途も違う。それはおわかりかしら?」
「わかっています。だからこそ、貴方達とは違う立場として協力できるかと」
「なるほどね。 貴方は軍に開発された薬――人間でいうと軍人だからかしら。――分かったわ。協力を申し出る可能性もあるから、今のうちに貴方達の陣営と提携しておきましょう。ここから貴方達の住居、または学校は近いかしら?」
「はい、割と。学校からは車で10分程あれば」
「そう…メチルフェニデートの件については後で連絡するわ」
「わかりました。…チオペンタール」
「どうした」
「私や貴方達を合成した人は――もう、いないわ」
「殺された、ということか?」
「ええ。処刑されたのよ」
「なら…イペリットやソマンはどうしている」
「イペリット…ああ、京都弁のあの子ね。あの子はどうだか知らないわ。ソマンは我が生徒会の庶務を務める朝長真結に取り憑いているけど。メタンフェタミンさんやLSDさんのことは心配しないの?」
「その2人とは、今同じ学級に通っているからな」
「…そう。では帰ります、お邪魔しました」
イソプロピルメチルフルオロホスホネート――三川早織は、校舎を後にしてタクシーに乗り込んだ。
数分後
「ただいまー!」
赤髪の美しい女性が訪れる。
C15H21NO・ピロリジノペンチフェノン。
フラッカ――スペイン語で『美しい女性』――と呼ばれるアッパー系の薬で、相手をゾンビにする薬効を持っている。
麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。
彼女はイソプロピルメチルフルオロホスホネートのような外部の薬ではなく、薬師寺学院特進科に在籍している薬である。
「さーて、センセイは何しに私を呼んだんだ?」