15*Ash
◇メチルフェニデート〔リタリン〕
C14H19NO2
本作の主人公。16歳。記憶の一部を封印された、中性的な少女。
◇フェンタニル
C22H28N2O
16歳。常に敬語で話す、機械的な少年。
◇メサドン〔メサペイン〕
C21H27NO
16歳。特進科の学級委員を務める、大人しめな少年。
◇アルプラゾラム〔ソラナックス〕
C17H13ClN4
14歳。良くも悪くも素直で遠慮がない少年。
◇ジアセチルモルヒネ〔ヘロイン〕
C21H23NO5
17歳。とある計画の為に行動している少女。
◆松本白華
人間
29歳。特進科担任を務める、クールな女性。
◆高堂結
人間
26歳。ヨコハマ市薬剤師会副会長。
最年少で麻薬取扱者の資格を得て薬師となった、直情的な女性。
Ash――灰
C14H19NO2・メチルフェニデートは、スイスのチバ社、現ノバルティス社によって合成された精神刺激薬である。
投与方法は経口、舌下、皮下、静脈、経鼻で、分子量は1モルにつき233.31グラム。
日本ではリタリンと、徐放製剤のコンサータが認可されており、リタリンの適応症はナルコレプシー、コンサータの適応症は注意欠陥・多動性障害である。
比較的依存形成しにくいものの、精神的依存の報告がある。一般的な副作用は、眠気、不眠、頭痛・頭重、注意集中困難、神経過敏、性欲減退、発汗、抗コリン作用などである。
麻薬及び向精神薬取締法における第一種向精神薬として規制されている。
『彼女』は一部を三つ編みにした銀髪と碧眼を持つ少女の姿に擬態している。年齢は人間でいうと16歳。
デバイスの色は白、武器は大剣。
だが、そんな彼女は黒髪赤目の少女・デキストロメチルフェニデートに乗っ取られてしまっていた――
「一体何があったんだ!」
騒ぎを聞き、駆けつけてきたのはC17H19NO3・モルヒネ。デバイスの色はエメラルドグリーン。
ベンジルイソキノリン型アルカロイドの一種で、チロシンから生合成されるオピオイド系の化合物であり、特進科の生徒会長でもある。
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律で習慣性医薬品及び毒薬、麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。
「あら、兄さんじゃない。見ての通りよ」
答えたのはC21H23NO5・ジアセチルモルヒネ。デバイスの色は青緑。
概ねヘロインと呼ばれる、モルヒネの妹分である。
「覚醒めたのよ――デキストロメチルフェニデートが」
リタリンを含む大部分のメチルフェニデート製品は、デキストロメチルフェニデートとレボメチルフェニデート半分ずつのラセミ体である。だが、メチルフェニデートはデキストロ体のみが薬理活性を持つ。
一部の国ではフォカリンなど、純粋なデキストロメチルフェニデートを含む製品も流通している。これは即効性を持ち、異性体の混合物よりもより速く身体に吸収され、ピーク濃度に達する時間や排出時間もより短いと評されている。
『ああ…待っていたぞ』
言うが早いか、たまたま側にあった授業用のプリントに手が触れた。
それはボロボロと崩れ、灰となって消えていく。
「プリントが…!あの子ってば何してるの!」
「安心しなさい、貴方が心配することではないわ。…よかったわ、コピーを取っておいて」
驚く高堂結と、対照的に落ち着いている松本白華。
「深窓の令嬢みたいな見た目をしているが…油断はできないようだな」
川田氷雨も、どちらかといえば落ち着いている。
「ほら、深窓の令嬢って、よく『触れたら折れる』っていうじゃないですか?でもあの子は…あの子は『触れたら折れる』のは同じだけど、折れるのが『触れた側』ね」
「あの子に触れたら、こっち側が折られるってことか!あの子ってば、まるでアヤノみたい…!」
アヤノ――綾小路泉奈は、高堂が愛するライトノベル『極楽小路』の主人公である。その作品は元々実写映画化されることを前提としており、今も『小説家になりませう』で連載は続いている。
クールな性格の毒舌な姉・泉奈と、控えめで人形のような妹・春奈。
春奈はかつて学校で頂点を取ろうとしたが、それをよく思っていなかった同級生に突き落とされて寝たきりになった。それを庇った泉奈も耳を傷つけられ、聴力を失ってしまう。
だが、医師が泉奈に与えた『人の心の声も聞ける、聴覚においてはほぼ万能な』人工内耳と、生まれつき持っている『自身が、及び自身に触れた任意のものを折る』能力を使って、元々妹が通っていた学校に編入し、能力が全てとされる学校内で妹の仇を討つ為に頂点を取りにいく――
というあらすじの話で、高堂は特にその主人公である泉奈を気に入っており、『理想の少女』としている。メチルフェニデートを『私の無色』と称したのも、彼女がどことなく泉奈と重なったからである。
「あー…それ、『極楽小路』っすかね?」
C17H13ClN4・アルプラゾラムはその作品を知っていた。彼の準参考服薬者である青葉クリスティーナが、現在放映されている実写映画版で泉奈を演じているからである。ちなみに、彼女の休業前の最後の作品となっている。
「そうそう。あの子ってば、どことなくアヤノに似てない?」
「確かに言われてみれば…!でも、リタリンさん…いえ、フォカリンさんはそれどころじゃないみたいっすよ?」
彼を始めとするベンゾジアゼピン系などの一部の薬は、薬としての効き目とは別に能力を持つ場合がある。
デキストロメチルフェニデートのそれは、『自身が、及び自身に触れた任意のものをボロボロにする』ことだった。
触れられたものは最終的には灰になるが、何をボロボロにするかは彼女自身が選択できる。
「そうよ…それでこそ貴方よ、フォカリン」
「海洛因、まだだ」
C10H15NO・エフェドリンは彼女――デキストロメチルフェニデートを知っていた。
「まだそいつは不完全だ。完全に染まりきってはいない」
彼の言う通り、デキストロメチルフェニデートはまだメチルフェニデートを完全に乗っ取ってはいなかった。
「…そう、だったらどうするというの」
「戻した方がいいんじゃないかな、姉さん」
C21H27NO・メサドンは、デキストロメチルフェニデートの覚醒を喜びつつも、一旦は戻そうと提案する。
「確かにそうですね。不完全にしか覚醒していない以上、デキストロメチルフェニデートの姿を保たせるのはメチルフェニデート自身にも負担がかかるでしょう。松本先生、どうすれば戻せますか」
C22H28N2O・フェンタニルは冷静に分析しつつも、やはりメサドンに同調する。
「私に預ければいいわ。私はこういう時のメチルフェニデートへの戻し方を知っているから。それに、デキストロメチルフェニデートの制御の仕方も、本人に教えなければならないわ」
松本はメチルフェニデートの体を抱え上げ、研究室に連れて行こうとする。
『ちょ…おい!離せ!何をする人間!』
「川田さん、手錠かけられますか?」
「…ああ」
メチルフェニデートの手首に手錠がかかった。
「待ってくださいよ、松本さんってば!」
そこに制止をかけたのは高堂である。
「…どうして?」
「うちの薬剤師会でも、調べさせてください」
「ええ…どうしてもというならば来てもいいわ。ただし、寺師さんと妹さんに連絡しておくように」
「わかってますってば。当たり前でしょ?」
「そうね。川田さんは?」
「私は行かない」
「よかったら彼女、私が抱えますよ?」
松本はメチルフェニデートを高堂に預けた。
「老師、利他林を何処にやるつもりですか!」
今度はエフェドリンが制止をかける。
「せっかく久しぶりに会えたのに…オレに関する記憶も戻ったと思ったのに…!また離れなくてはいけなくなるんですか!」
「ええ。仕方ないでしょう?」
「仕方なくありません。メチルフェニデートには参考服薬者もいます。どうするつもりなのですか」
フェンタニルも、そこに加わる。
「そうね…神宮寺さんとは定期的に会わせるわ。そこは安心しなさい。でも、学校は当分休学扱いにするわ」
「え…………!」
それは、彼らにとってはまさに青天の霹靂だった。
メチルフェニデートは特進科に編入してまだ1ヶ月ほどしか経っておらず、彼女の姿を見たことのない薬すらいるという状況なのだ。
――だが、そこにはメチルフェニデートの暴走に他の薬を巻き込まないという意図があった。
「彼女は当分の間、『治療』以外ではこの学校に来ないと言ってもいいわね。それも単一投与のみ。『治療』と面会以外は、研究室で過ごすことになるわね。ああ、保管はもちろん寮でするわ。そうでなければ法律に違反してしまうもの」
彼女のような向精神薬は、容器に『向』のラベルを表示する義務と、鍵のかかる場所に保管する義務がある。この学院では、それを鍵つきの寮で代用している。
「どこにそんな研究室があるんですか!」
「あら…貴方達には教えていなかったわね。フルニトラゼパムには教えたけれど、元々ここは学校ではないの。『ヒュギエイア機関』日本支部といってね、私達人間が、貴方達薬を研究する施設なのよ」
――この建物全体が、研究室だった。
この建物は国際的な薬物研究機関『ヒュギエイア総合薬物研究機関』の日本支部であり、同時に『私立薬師寺学院』の人間側からの呼称として、建物の名としても使われている。
「『薬師寺学院』というのは、あくまでも貴方達薬側から見た呼び方なの。私がその施設内を改造して、薬にとっての学校のような形にしただけよ」
「じゃあ…普通科も?」
「ええ。エフェドリン達がちょくちょく顔を出す普通科も、元は研究用のものなの。それを普通科の先生達が改造したというだけよ。…まあ、それは人間側の都合。貴方達は普通にここを学校として使ってもらって、何も問題はないわ」
松本は時折、冷徹な表情をする。――例えば、今の彼女のように。
「さて、そろそろ行きましょう、2人とも。モルヒネはメチルフェニデートが休学する旨を、特進科生徒全員に伝えておくように」
「…はい」
それは新しい事件の予感に等しかった。