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6章 進歩

「ヴァン! 手合わせ願う!」

「またかよ、お前」

 日数を数えてみると、前回エリーがヴァンの元に現れたのは四日前だ。

 そろそろ来るだろうという察しはついていた。

 目を輝かせて手合わせをねだるとき、エリーは尚更幼く見える。

 ヴァンはまた、エリーを軽くいなした。

 そして、エリーをとっとと帰らせた。

「次こそは! 勝ってやるからな!」

「また来るつもりなんだな……」

 そんなヴァンの呟きを耳に入れることもなく、エリーは走り去ってしまっていた。

 

 思えば、エリーがヴァンの元を訪れるようになって半年近く経っていた。

 一人と一匹で仕入れをして、売って、たまにエリーが手合わせに来る。

 ヴァンにとっても、それがもう日常になっていた。

 そんな日々の中、少しずつではあったが、エリーの剣技の上達をヴァンは感じていた。エリーなりに試行錯誤して剣の腕を上げているのだと、ヴァンはようやく気づき始めた。

 元々、運動神経は良いらしい。高い潜在能力をいかに引き出していくか。エリーの上達の鍵はそこだろう。ヴァンは口には出さなかったが、そう冷静にエリーのことを分析していた。


 前の月には相棒の飛竜に乗って遠方まで商売しに行った。一年前に父が死んでから初めてのことだった。理由は単純で、父が死んでから初めて準備が整ったからだ。

 行き先は中央山脈。小さな集落が点在している其処には、数えるほどしかいないヴァンの知り合いもいた。彼らは父の死を知ると、ひとしきり悼んだ。それから、いつも通り取引をした。ヴァンは乳製品と多少の鉱物を買いつけて首都サントタールに帰ってきた。

 父が居なくなったからといって、商売の旅路が何か大きく変わることはなかった。

 拍子抜けしてしまうくらいいつも通りだった。

 それに対してどういう感情を持てば良いのか、ヴァンには分からなかった。


 飛竜の羽ばたきは優雅で、それでいて一つひとつが力強かった。

 ちょうど、泳ぎの下手な者は忙しなく腕を動かして溺れていくが、上手い者は一掻きで遠くまで進むのと同じである。

 竜の羽ばたく頻度は鳥よりも低いが、鳥とは比べ物にならないほど速く進む。

 飛竜の筋肉の動き、羽音や風の音、鱗の肌触り、上空の空気の冷たさや匂い。様々なことを感じながら飛んだ。その感覚一つひとつがヴァンには酷く懐かしかった。


 ヴァンは仕入れに出かける際、エリーに前もって留守を伝えておいた。伝える義務はないが、その間家を訪ねて自分の名を叫ばれるのを避けられるなら伝えた方が得だ。

 五日で往復する予定だったが、十日で戻ると嘘をついた。結局エリーは七日後に顔を出した。

「予定より早く帰ってきたのだな!」

 久しぶりに見たエリーの笑顔は純粋だった。


「……でも、父君が騎士だったというならヴァンの剣の腕が優れているのにも納得だ。父君は、おぬしが騎士になることを望んで、剣技を教えたのではないか?」

 あるとき、エリーがそう聞いた。

「さあ、どうだったかな」

 ヴァンは素っ気ない返事ではぐらかした。

「憶えておらぬのか?」

「まあな」

 嘘だ。父はそんなことを一度も言いはしなかった。ヴァンはちゃんと憶えていた。

 騎士になんかなったら、剣の腕を磨くことはできても、父のもう一つの言いつけを守れなくなる。人との関わりを最低限にしろという言いつけだ。つまり、父はヴァンが騎士になることなど、決して望んではいなかった。

 どうしてヴァンに剣術を仕込むのか、父の答えはこうだった。

 ――お前を強くする。お前が自分一人で自分を守れるように。それまで俺がお前を守る。それが、お前の母さんとの約束なんだ。

 つまり、ヴァンに剣を教えたのは、母の希望らしい。ヴァンの母は、ヴァンが生まれて間もなく亡くなった。自分一人で自分を守れるように。母は、残した一人息子のことが気がかりでならなかったのだろう。

 しかし、父が教えた剣術は、騎士という出身のせいか、自衛の技とは程遠いものだった。

「煮え切らぬ答えだな」

 エリーは少し不服そうに呟いた。

「好きに言え。俺はそろそろ仕入れに行く」

「むう、そうか。ではまたな、ヴァン」

 ヴァンは話をやや強引に切り上げた。エリーはその様子を気にかけるでもなく、さっぱりと笑って手を振った。エリーのこういう対応には育ちの良さを感じた。


 また別のある日の夕暮れどき、ヴァンが食料の買い出しに市場へ行って帰ってくると、家の前でエリーが膝を抱え、顔をうずめていた。

 これまでもエリーがヴァンの留守を待っていることはあった。何なら屋根の上にいたことすらあった。だが、座り込んで俯いているなんてのは初めてだったから、ヴァンは少し驚いた。

「お前……また来たのか」

 前日エリーがヴァンの元を訪れたばかりだった。

 ヴァンの声にピクリと反応して、顔を上げた。

 ほんの一瞬、暗い表情をしていたのを、ヴァンは見逃さなかった。が、ヴァンと目が合うとエリーの顔は輝いた。明るい表情を夕日が照らす。

「さあ、手合わせだヴァン!」

 いつも通りの台詞を吐かれたので、ヴァンもいつも通り接することに決めた。

 ヴァンは一旦黙って家へ入ると、買ってきた商品と食料を入れていた手提げ籠を置いて、木刀を持ってまた出た。

 エリーは立ちあがって軽い準備体操をしていた。

 そして、手合わせを始める。

 相変わらずヴァンが勝ち続けたが、エリーはそれでもなお、果敢に挑み続けた。

「お前さ、そろそろ諦めろよ……」

「嫌だ! まだ! まだだ!」

 それは、いつも通り何度も何度も続いた。

 エリーは夢中だった。彼女はいつでも夢中だった。

「くっ……」

 ヴァンがエリーの木剣を弾き飛ばす

 エリーは悔しがって頭を掻きむしっていた。

 ヴァンは空を見上げた。橙色に焼ける夕陽が目に飛び込んできた。

 エリーもヴァンに吊られて西の空に視線を移した。エリーは今がいつなのか、分かっていなかったらしい。夕暮れ時だと気がついて慌てだした。

「むっ……もうこんなに日が傾いてしまった。さらばヴァン! また来るのでな、楽しみに待っておれ!」

 名残惜しそうに振り返ってヴァンを見ながら、エリーは大通りへと駆けて行った。

「忙しないやつだな」

 ヴァンはそのまま少しの間、夕焼を眺めていた。父を失ってから始めたエリーとの手合わせと昔から続けてきた遠方への商いのどちらもが自分の生活に組み込まれていることが、何だか奇妙に感じられた。

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