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4章 扉を叩く音

「今日は相手をしない」

 ヴァンは扉の取っ手に手をかけたまま、家から出ずにそう言った。

 エリーとヴァンが顔を合わせること三度目。次にエリーがヴァンの家を訪れたのは二日後のことだった。扉を必要以上にせわしなく叩く音でエリーだと気づき、今回はヴァンが剣を取って警戒することもなかった。

「な、何故だ!?」

 理由を説明することすら面倒くさかった。ヴァンはため息をついた。

「いい加減にしろ。お前の相手をする理由の方がない」

「え……」

 凍り付いたエリーに向かって、ヴァンは続ける。

「お前の相手をしても、俺に利益は無いんだよ」

 エリーは口を尖らせた。

「小さい男だ」

 言い返す言葉はそれだけしか見つからなかったらしい。頬を膨らませてそっぽを向いた。

「小さかろうが何だろうが良いさ。帰ってくれ、迷惑だ」

「おぬし、三日前は手合わせに応じてくれたではないか! あれは何故だったのか?」

「あれはお前が邪魔だったからな」

 エリーは悔しそうに歯ぎしりをしていた。

 ヴァンが扉を閉めようとすると、エリーが咄嗟に声を上げる。

「待て! 一戦くらい良いではないか」

「そう言ってお前が来るたび相手をしていたら、俺は際限なくお前の相手をしなきゃならねえだろう」

「むむ……ううむ……」

 エリーが言い返せなくなったその隙をついて、ヴァンは扉を閉めた。


 扉を閉めると、薄暗い家に自分の名を呼ぶ声が響いた。ヴァンはそれを聞き流すようにして、部屋の掃除を始めた。


 昨日、久しぶりに父の夢を見た。手合わせなんかしたからかもしれない。

 その夢の中では、父は生きていた。生前と変わらず、ヴァンに剣術を仕込み、手合わせを繰り返していた。年齢が上がり、ようやく良い勝負ができるようになったが、子どもの頃は手も足も出ずに負け続け、泣き喚くこともあった。しかし、ヴァンが泣こうが喚こうが、父は慰めず、手加減すらしてくれなかった。ヴァンはやがて、弱音を吐くことを止めた。もう、何もかもが懐かしい。

 夢の中でも、ヴァンが何勝かしたはずだった。それでも夢を見ている間中、親父に勝てないという感情が胸に深く刻まれていたから、それ以上に負けていたらしい。

 なんてことない日常が、そこにはあった。

 父はヴァンを口うるさくしつけることはなかったが、二つだけ厳しく言いつけたことがあった。

 一つは剣の腕を磨くこと。そしてもう一つは、人との関わりを最低限にすることだった。

 この少女は、邪魔だ。最低限の人の関わりに含まれない。この少女の相手を続けることは、父の言いつけに反する。

 外のエリーの声は、予想していたよりも遥かに早く聞こえなくなっていた。


 太陽が天高く昇った頃、ヴァンが家の扉を開けると、何かに当たった音と高い声がした。

「痛っ」

「こんだけ無視してりゃ、退くと思ったんだけどな」

 エリーは扉の前で素振りをしながら、ヴァンを待ち構えていたらしい。

「甘いな、ヴァン。俺の執念をなめるでないぞ」

 エリーは鼻高々に笑った。ため息を吐いて、ヴァンは家に帰った。が、すぐに路地裏へ戻った。

「相手をする気になったか!」

 ヴァンの手に握られた木剣を目にした瞬間、ぱっとエリーの表情が晴れた。

「お前を放っておく損害があまりにでかすぎる」

 この少女といると、生気が奪われるようだ。そして、そのたびこいつは元気になっていく。これは大きな損失だ。

 そんなヴァンの沈んだ気持ちなどお構いなしに、エリーは素早く木剣を構えた。後ろに下がって距離を取ると、もう一度木剣を握りなおす。

「行くぞ!」

 エリーは取った分の間隔を思いっきり詰めた。

 勢いを付けると、ヴァンに突きを入れる。

 しかし、ヴァンの方が早かった。

 ヴァンを突こうとした時には既に、エリーの額に木剣が差し出されていたのだ。

「痛あ……」

 エリーは自分で付けた勢いそのまま、ヴァンの木剣に突っ込んだのだ。

 あんなに長い間待った手合わせは、ものの数秒で決着がついた。

 エリーは木剣から手を離して額を両手で押さえた。しかし、木剣は地面に落ちなかった。ヴァンがエリーの木剣を掴んでいたからだ。ヴァンは右でエリーを突きながら、もう片方の手でエリーの攻撃を受け止めていたのだ。

「はは……強いなあ。完敗ではないか」

 エリーは困ったように、でも何処か清々しく笑った。

「自分の顔に木剣が迫っていると気付いたときには、もうどうしようもなかった。ヴァンが俺の木剣を受け止めようとしている方には気づきもしなかったぞ。……なんという速さなのだ」

「そりゃどうも」

 エリーの賛辞にいい加減な返事をしながら、ヴァンは自分の左手に握られたエリーの木剣に視線を落とした。

 だいぶ古いものらしい。エリーには不釣り合いに大きい。誰かのお古なのかもしれない。特権階級にとって木剣なんて安い買い物だろうに。この娘は自分用の木剣を買ってもらえるほどには、親から目をかけられていないのか、それとも、息女が自分用の木剣を持つことは許されなかったのか。貴族の中には、野蛮だという理由で女が剣を取ることを許さない家もあると聞く。その逆で嗜みとして剣を習わせる家もあるそうだが。

「満足したか?」

 エリーの顔を見る気が起きないまま、ヴァンが尋ねた。

「否! もう一戦だ!」

 エリーはヴァンの顔を覗き込むと、両手で拳を作って叫んだ。

「勘弁してくれ……」

「問答無用!」

 ヴァンから自分の木剣をひったくると、ヴァンの頭を叩こうとする。

「物騒だな……」

 そんなエリーの不意打ちもヴァンが木剣で防ぐ。

「やるな、ヴァン」

 エリーはにやりと笑って、もう一度木剣を振り上げた。

 結局、エリーとヴァンの手合わせは続いた。


 幾ばくかして、ようやくエリーが疲れて地面に座り込んだ。日陰になっているヴァンの家の壁にもたれかかる。その横にヴァンも座った。

 二人の目の前には向かいの民家の壁があるだけだった。ねずみ色のくすみが模様を作っている。

 普段は薄暗い路地裏も、真昼には朱の国の強い太陽の光が射してくる。鋭い日差しをしのげるだけで、ずいぶんらくになる。やはりこの国は暑い。ヴァンは、赤黒く日に焼けた自分の腕を見た。

 ヴァンの呼吸はほとんど乱れていなかったが、エリーの方は息が上がっていた。彼女の動きに無駄が多いからだ。走るのも、剣を振り上げるのも、下ろすのも、突くのも、全ての動作に無駄がある。ヴァンにはその一つひとつの無駄が気にかかった。

「全敗か……」

 エリーは今日最初に負けたときと同じ笑顔を浮かべた。

「これは、鍛錬を積んで再挑戦しに来なければならんな!」

 からりとした声から、人に迷惑をかけているという自覚は感じられない。

「まだ来るつもりなのか?」

 ヴァンはあらん限りの嫌味を込めて、エリーにぶつけた。

 しかし、エリーは満ち足りた笑顔を浮かべて頷いた。

「ああ!」

 わかっていた。わかっていたが、ヴァンは呆れ顔にならざるを得なかった。

 彼の中で、何かがプツンと切れた。

「もういい。好きにしろ」

 特権階級のお転婆娘。いかにも厄介ごとを運んできそうな存在だ。

 そうわかっていながらも、ヴァンには彼女を拒む気力すら残っていなかった。

 ヴァンは諦めることを決めた。

「本当か!」

 鬱陶しいほど眩しい笑顔で、ヴァンの顔を覗き込んでくる。

 エリーは勢いよく立ち上がると、走り去って行った。

 一度振り返って、手を振った。

「感謝する! ではまたな、ヴァン!」

 彼女の後ろ姿から、喜びが滲み出ているように見えた。

 その様子に、ヴァンはまた自分の生気を吸われた気がした。

 一人になったヴァンもすぐに立ち上がると、家に入った。


 それから、平均して三、四日に一度の頻度で、エリーはヴァンの前に現れた。

 ヴァンはエリーが訪れるのは朝のうちだけだと思っていたのだが、朝から夕方まで時間にばらつきがあった。

 ヴァンが家を空けてるときに訪ねてきたこともあったらしい。そういうことがあると、次に顔を出したときに逐一報告してきた。しかし、流石にこのお転婆もヴァンの留守を責めることはなかった。居留守を使おうとしたこともあったのだが、あんまりにもエリーがうるさいので降参した。自分の留守中にもあんなに騒ぎ立てられているのかと考えると、恐ろしい。

 

「どうせまた、相手しないと帰らないんだろう」

「わかっておるではないか。さあ、行くぞ!」

「ああ」

 

 ヴァンはエリーの手合わせを渋々受け続けた。エリーの剣はヴァンをかすることすらなかった。

 

「負けた! やはり強いな、ヴァンは!」


 エリーはそれでも諦めることなくヴァンに手合わせを挑んだ。

 彼女は一戦ごとに悔しがった。悔しがりながらも、笑顔を絶やさなかった。


「ヴァン! 手合わせだ! ヴァン!」

「ああ……今日はもう来ないと思ったんだがな」

「まだ日暮れまで少しある。だから一戦!」


 新しい日常が、始まり出した。


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