間章8 扉を閉ざす音
家に帰ると、父が仰向けになってベッドで眠っていた。
ベッドの傍の椅子にはシャクジが腰掛けていた。
シャクジが振り返ってヴァンを見た。何か言いたげに見えたが、黙ったままだった。シャクジの表情が読めなかったのは、複雑だったからか、空虚だったからか。
父の表情も読めなかったが、これは別の理由だった。
父の顔に白い布が置かれていたのだ。
シャクジの無言の眼差しがヴァンの背中を押して、父の元に向かわせる。
胸の鼓動が、嘘だ、嘘だと叫んでいる。
シャクジの目がそうするよう命じていたような気がして、白い布を両手でゆっくりと持ち上げる。
布の下には、血の通っていない父の寝顔があった。
俺はそのまま凍りついて、動けなかった。
見たくないのに、父の顔から目を逸らせない。
「ただの過労じゃなかったのか」
シャクジは黙ったままだった。
うなだれて床に手をついた。自分でも気づかないうちに膝から崩れ落ちていたらしい。
父が亡くなったのは二日前で、死期に立ち会ったのはシャクジ一人だったという。
シャクジはそれからずっと自宅に帰らず、この家でヴァンが帰ってくるのを待っていたらしい。
「それは悪かった」
ヴァンはシャクジの隣に立ち尽くしていた。
「いや」
シャクジの少ない言葉から、悲しみが嫌というほど伝わってきた。
「師匠から伝言がある」
ヴァンが頷くと、シャクジは沈んだ声で続けた。
「まず、よく帰ってきてくれたと伝えるように言われた。次に、お前が気に病むことではないと。そして、強くなれと、他人と関わりすぎるなと。そして、最後に……」
強く握った両のこぶしを握り直してから、シャクジは続けた。
「最後に、自分の遺体は竜に……食わせろと……」
その言葉に、ヴァンは愕然とした。
「親父は何故そんなことを?」
シャクジは首を横に振った。
「わかんねえ。だが、それが約束だからと言っていた」
当然の沈黙が流れた。
ヴァンがまだ混乱している中、シャクジが静かに立ち上がった。
そして、父に掛けていた毛布をどかして、椅子の近くに置いてあった小麦用の麻袋を手に持った。
眩暈がした。
ヴァンはシャクジを手伝うことも止めることもできなかった。
何も言わないまま、シャクジは父の亡骸を麻袋に入れ終えた。
「じゃあな。もう此処に来ることも無いだろう」
シャクジはそう言い残して家を出た。
扉を閉める音が、部屋に響きわたった。
お前がいてくれて良かったと、そんな単純なことすらも言えなかった。
ヴァンは動けなかった。
でも、いずれ限界が来て、何かをしようとした。
何をすればいいのか分からなかったので、父の言葉に従うことにした。
眩しすぎる満月の夜だった。無数の星々は輝いていて、雲一つない空は青かった。
ヴァンは巨大な袋を荷台に乗せ、馬を走らせた。
自分の行動に吐き気を覚えた。しかし父の遺言は守らなくてはならない。
「あれが父と行く最後の遠征になるなんてな、なあ、相棒……俺の周りに、もう人はいないんだ……静かになる……」
朱い竜は何も言わない。彼は父の亡骸を食べ続けていた。ヴァンは膝を抱えてその様子を眺めていた。
自分が何を話しているのかもよく分からなかった。
心の中にたくさんのものが渦巻いている気がした。
父にとって自分は何だったんだろう。
息子、だったんだろうか。
「親不孝な奴だな……育ててもらった身なのに、死期に立ち会えなかった。それどころか、何一つ返せてない……」
竜が頭を上げた。
遂に、父の身体が消えた。
「骨まで食べるんだな、お前たちは」
自分がどんな表情をしているのかも、相棒がその言葉に対し何を思っているのかも分からなかった。
「一人で食って行くには貯金と街の中での商売で足りるから、遠征に行く必要はしばらくない。だから、少しお別れだ。今まで世話になった」
相棒は唸った。
シャクジと出会って以来、シャクジ自身にもそうだが、それ以上に父の言動に驚かされ続けた。ヴァンは父親のことなど、何も分かっていなかったのかもしれない。
父にとってはシャクジの方がずっと息子だったのではないか。
その思いは胸に沈んで消えてくれそうもない。
青い星空は美しく、ヴァンは耐えきれず顔を伏せた。
立ち上がれず、一晩中そうしていた。
暗く沈んだヴァンの生活が変わるのは、一人の少女が家に押しかけてくるようになったからだった。
それは父とシャクジがヴァンの元を去って約半年後のことだった。




