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2章 剣士

「おぬし、相当腕が立つようだな」

 頭上から子どもの高い声が聞こえて、青年は足を止めた。眩しさに目を細めながら見上げると、屋根の上に人影があった。太陽を背にしていて、顔立ちはわからない。

 その人影は青年の目の前に、躊躇無く飛び降りて来た。片足を膝立てて綺麗に着地すると、頭を上げてゆらりと立ち上がった。腕を腰に当て、悪戯っぽく笑ってみせる。その背には剣を携えていた。

「手合わせ願いたい」

 唐突にそう言ったのは、先ほどの盗人より年下に見える少年だった。身長も低く、顔立ちも幼げ、声変わりもまだのようで声は高い。

 青年は二人目の見知らぬ来訪者に煩わしさを感じ、眉一つ動かさず返答する。

「断る」

「な、何故だ」

「俺に利益がない」

「え」

 青年は会話を打ち切ると、自宅の扉を開けようとした。慌てて少年が引き止めようと言い放つ。

「おぬしが俺の挑戦を受けると言うまで、俺はここを動かぬぞ」

 怖いもの知らずな子どものわがままだ。世の中、そんな身勝手な言い草で希望が通る方が珍しい。青年はため息を吐いた。

 しかし、少年のまっすぐな物言いから嫌味は感じなかった。そして経験上、そんな印象を与えられるのは、大概育ちの良い者だと、青年は知っていた。少年の気取ったような口調も家柄の良さが理由なのだろう。青年は横目で少年を見やった。よくよく見てみると、身なりも庶民とは違う。目立って違うところはないが、服の大きさはあつらえたように丁度だし、袖や裾はさりげなく装飾がなされていた。

「好きにしろ、と言いたいところだが」

 青年は気だるさを隠すこともなく振り返り、少年と向かい合った。

「流石にそれは迷惑だな」

 そう言いながら、剣を構えた。その動作すら面倒くさかった。しかし、もしこの子どもが本当に金持ちの坊々だったら。もしこの子どもが本当に家の前に居座り続けたら。どちらももしもの話でしかないが、名家や近所の住人と問題を起こすのは避けたい。二つの可能性を考えると、此処で頑なに拒むのは得策ではない。青年はそう結論付けた。

「相手をする気になったようだな」

 青年のそんな消極的な理由を知らない少年は、得意げになって剣を構えた。

 武器を手に向かい合う者たちの間に独特の緊張感が流れる。少年は強気な笑みを口元に浮かべていた。青年はつい欠伸をしてしまった。

「早く終わらせて寝させてくれ」

「尽力する!」

 そう言うや否や、少年が走り寄り、剣を振り上げた。

 その剣が振り下ろされる前に青年は身体を捻ってかわした。

「何! かわされた!?」

 少年の動きは先ほどの盗人はおろか憲兵すら軽く凌駕する俊敏さだった。が、青年は更に上を行く。

 少年が体勢を立て直せないうちに、青年が少年の頭を軽く峰打ちした。

 あっという間の決着だった。少年がうめき声を漏らす。いくら手加減したとはいえ、鉄の棒で殴られたのだからその痛みはなかなかのはずだ。

「いったあ……」

「じゃあ、俺は帰るぞ」

 頭を抱えてうずくまる少年を他所に、青年はさっさと家に入ろうとする。

「ま、待て!」

 少年は叫び、必死に青年を呼び止めた。青年はその声に足を止めた。

「そういえばお前、名前は?」

 青年は振り返ると、うずくまったままの少年に問いかけた。

 有力者の跡取りなどなら、名前を聞けばどの家の子息か特定できるかもしれない。

 今度は青年が少年を見下ろす番だった。見上げる少年の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「人の名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが道理であろう?」

 涙を溜めながらも、少年の目には鋭い光が宿っていた。

「それもそうか。ヴァンだ」

 自分の名前なんて、この少年が知ったところで得るものはないだろう。言われた通り名乗る。

「む、ヴァンか。覚えたぞ、その名前。俺はエリーだ」

 少年は鼻息荒く名乗った。

「エリー、女みたいな名前だな」

「女だからな」

 深く考えずにした発言が、驚きの事実を引き出した。

「……は?」

 ヴァンの口から、思わず素っ頓狂な声が出る。

「俺は女だ」

 一瞬の沈黙。

 なるほど、道理で声が高かったわけだ、と一人納得していた。

「気づいていなかったのか!……まあ良い」

 ヴァンにとってはなかなかの衝撃だったが、彼、改め彼女にとって、性別なんて些細なことらしい。エリーと名乗る少女はそろりと立ち上がり、ヴァンに向かい合った。

「時にヴァンよ、その剣技、何処で覚えた? 見なれぬものだったが」

「ああ、これは親父に習ったものだ」

 ヴァン自身、こんな剣技を使う者は、父親と父親の弟子しか見たことない。もっとも自分が見てきた剣士の数なんてたかが知れてるから、この剣技が珍しいものだと確証は持てなかった。今、この少女にとっても見慣れない剣技なのだと聞いて、やはり珍しいものなのか、と再認識したところだ。

「ほう、父君から。興味深いものだ」

「もう亡くなったがな」

 聞かれてもいないことを言いすぎてしまい、ヴァンはわずかに後悔した。胸に暗いもやが薄くかかる。そうだ、自分の父親はもう死んでいる。物静かな父親だった。姿勢の良い大きな背中が目に浮かぶ。

「そ、そうか。すまなかったな」

 申し訳なさそうにエリーが詫びた。そういう分別はあるらしい。しかし、これは自分が勝手に口走ったことだ。ヴァンは謝る必要はないと手を振った。

「……ふむ、でも、そうか」

 エリーは顎に手を当てて何やら思案した後、決心したように口を開いた。

「おぬし、俺に剣の稽古をつけてはくれないか?」

「そりゃまたなんで」

 ヴァンはすかさず応える。話が突飛でわけが分からなかった。自分の声色に、面倒くさいという意思がこれでもかというほどこもっていた。

「おぬしの剣技は俺が今まで見たことないものであった。そして、おぬしの師である父君ももう亡くなられているというのならば、その剣技を習うにはおぬしに教えを乞う他ない」

 エリーの目には強い意志がたたえられていた。

「それに何よりおぬしは強い。俺は強くならねばならぬのだ。どうか俺にその剣の極意を教えてはくれないか?」

 建物の影の隙間からわずかに覗く朱の国の強い陽射しが彼女を照らしていた。ヴァンにはそんなことすら鬱陶しく感じられた。

「断る」

「えっ」

 何処の誰がそんな申し出を受けるのだろうか。ああ、そうか。目の前の少女はお転婆だが、どうやらお嬢様のようだから、今まで自分のわがままは受け入れられてきて当然だったのか。

 エリーは自分の頼みを断わられて、かすかに呆然としていた。ヴァンは呆れながら問いかける。

「逆に聞くが、そう易々と自分の剣技を人に教えるとでも思ったか?」

「む……」

 反論できないでいるエリーに対し、ヴァンはさらに追い打ちをかける。

「当たり前だろう。時間も体力もお前に割いて、それで俺に何の得があるというんだ?」

「それはそうだが……」

「そもそも赤の他人に自分の手の内を明かすのは、自殺行為だ」

 エリーは返す言葉も見つからないらしく黙り込んでしまった。ヴァンは静かに背を向ける。

「解ったか。俺はもう行く」

「あっ……。むう……」

 ヴァンはエリーが何も言い出せないうちに路地裏を出て行った。

「家に帰って寝るのではなかったのか」

 背後からエリーの声が聞こえたが、ヴァンは答えなかった。家に帰ってもこの少女が家の前に居座り続けそうな気がしたのだ。それは避けたかった。


 これが、エリーとヴァンの出会いだった。

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