間章7 箱入り息子の初仕事
ヴァン一人で平野に立ち入っても竜たちは攻撃してこない。肩の力が少し抜けた。竜たちは父だけでなく、ヴァンのことも信用してくれていたらしい。
朱い竜が一匹で、月を映した中央の池の水を飲んでいた。鱗が月光に煌めいていて美しかった。
「今回は俺だけだ。親父は体調が悪くてな」
相棒は静かだった。
「それでも俺の商売を手伝ってくれるか?」
相棒はヴァンをじっと見据えて、そして身体を下げた。ヴァンが乗ることを許可してくれたのだ。
夜のうちに飛び立つ。頭を撫でると相変わらず硬くてひんやりしていた。
アルシャード家が王位を継承すること一五代目。
現王の名前はエスカナル・アルナ・シャルドネ・アルシャード、齢は三十七。
王太子は齢十六のエルク・ジェネジオ・ルイス・アルシャードである。
彼らの先祖、初代国王はエドワーズ一世。彼の側には朱き竜に跨り空を駆ける勇者ハヤトの姿があったという。彼は全ての竜を操ったと伝えられている。
が、しかし。
煉瓦造りの家、床が抜けそうなほどの本に囲まれながら、ヴァンは朱の国の建国について語っている本の挿絵、やたらと翼を大きく強調された竜の絵を撫でた。
人間が複数の竜を操り戦闘を行ったというのは、偽りの伝説だろう。
商人の世界においてはそれが常識だ。異世界から超人的な勇者が転生してきたなんて信じていられるのは、あくせく働かずとも食べていける子どもか貴族たちだけである。
かくいうヴァンも、その伝説が偽りだと確信している。
歴史書とは名ばかりで伝説を描いただけの厚い本を閉じ、客に差し出した。
その客はお得意様で、高山帯に住む歴史家だった。
自分にとって価値が見出せないものでも、他人にとっては大きな価値を持つ物が世の中には無数に存在する。
この本はその一つである。
価値を見出し、金を支払ってくれる人間を探し出し売る。それがヴァンの考える、つまりヴァンの父が考える商売というものだ。
この歴史家にも、もちろん他の誰にも教えるつもりはないが、ヴァンは知っている。人間が複数の竜を操るなど不可能なのだと。
勇者ハヤトが心を通わせ操ったのは恐らくただ一体。
朱き鱗を身に纏った美しき竜の長。
ヴァンと同じだ。
父は以前、相棒の妻である竜を助けたことがあるらしい。その恩義を感じてか、今日まで二匹はヴァンと父に手を貸してくれている。
朱い鱗は長である証だ。それは生来のものではなく、長になって初めて染まるものらしい。長だけが飲むことを許される池があるから、その水に仕掛けがあるのではないかと父は推察していた。
ヴァンと父は彼らに生かされている。人脈が貧弱なのは商人としては致命傷だ。それでもやっていけてるのは二匹のお陰で遠方とも取引ができるからだ。
竜を馬の代わりとして用い商売をする者は増えてきた。しかし、竜との意思疎通を上手く行えず襲われたり、落馬ならぬ落竜したりで絶命する事故が後を絶たない。
よって商売敵は比較的少ない状態が保たれている。これも他人との関わりを抑えながら生活できている理由だ。
今回は国の中央部に拡がる山岳地帯の住民たちに都市部の食品や衣料品を売った。初めて一人で遠方へ出向き売買することに、緊張はあった。しかし、いざやってみると意外とあっさりできてしまうものだ。
思えば、初の一人遠征が二十歳だなんて、ずいぶん遅い。だが、今回は現金取引が多かった。在庫は捌けたし、財布は重くなったし、ヴァンは幸福感を抱えて王都サントタールへ帰った。
だが一瞬で、ヴァンの幸福は落ちて、潰れて、砕けた。




