間章6 意志
翌日も父は横になっていた。そしてこの日もまた、シャクジが家を訪れた。
シャクジは事情を知るや否や、血相を変えて近所の医者を呼んできた。父もヴァンも止めたが、シャクジは聞く耳を持たなかった。
父の診察中、シャクジはヴァンを家の外へ連れ出し説教を始めた。
「なんで医者を呼ばなかった?」
「親父自身が止めたからだ」
シャクジは眉間に皺を寄せ、非難の目をヴァンに向けた。
「知ったことか。そうだったとしても医者を呼ぶのか家族としての義務じゃなかったのか」
声は低く、苛立ちがこもっていた。
「当然しばらくは安静にしておくんだろうな」
「三日後に遠征に行く」
「お前一人か?」
「いや、親父と二人だ」
シャクジの目つきが一層険しくなった。
「それは師匠の希望か」
「ああ」
ヴァンが答え終えないうちにシャクジに胸ぐらを掴まれていた。
「お前は師匠の言いなりか? お前は師匠の言うことなら何だってするのか!?」
シャクジの怒り狂った顔が目前にあった。その表情と共に赤茶けた左頬の傷も歪んでいた。
「あんな状態の師匠を連れて行くのか! 何かあったらどうするつもりだ!」
「だが、行かないと取引先との約束が」
「馬鹿か! お前一人で行けよ!」
「しかし、父を一人にしてしまうのも」
「お前がいない間、俺が師匠の面倒が見る。それでどうだ」
シャクジがヴァンの言葉を遮った。有無を言わせぬ圧があった。
そのときになってようやく、シャクジの手が震えていることに気づいた。
父が示した予定を覆すなんて、考えもしなかった。
しかし、シャクジの言っていることが正解なのだろうと、深く考えずともわかった。
だが、父の気持ちも分かる。
これまで通り、静かに生活したいのだ。
そして、シャクジを巻き込みたくはないのだ。
父だって今更だとはわかっているだろう。
でも、巻き込みたくない気持ちがヴァンには痛くわかった。
父はヴァンに繰り返し言った。一人で生きていくようにと、他人とは関わらないようにと。
それはもしかしたら、こうして大切な人ができて、その人を巻き込むのを避けるためだったのかもしれない。シャクジと出会ってそう考えるようになった。
だが、あの襲撃で、父はシャクジに敵と一騎討ちをさせた。師として、弟子の成長を楽しみにしてる気持ちもあるのだろう。
その矛盾が、父を一層苦しめているのではないか。
シャクジは自分の頬にできた傷のことを気にしていないらしい。
だが、シャクジがそうだったとしても、父はシャクジのその傷が目に入るたび、自分を責めているのだろう。この傷を作ってしまったのは、巻き込んだ自分の責任だと。
シャクジはそれをわかっているのかいないのか、襲撃前と同じ振る舞いを続けて父を苦しめている。
彼はどうしてもそうしなければならないのだろうか。傭兵以外の道を選んでくれることはないのだろうか。
「シャクジ、何故お前はわざわざ人を殺めて生きていく道を選んだんだ?」
「突然何だよ」
「気になったんだ」
シャクジはしばらくじっと黙っていたが、ヴァンを離し、やがて口を開いてくれた。
「俺の母親、飢饉で死んだって言ったよな」
「ああ」
「あれ、半分嘘だ」
ヴァンは驚いた。
シャクジは言葉を探すようにぽつりぽつりと語り始めた。
「俺の母親は殺されたんだ。飢饉の食糧難で食べるものがなくなった男に。子供に食わせるためだって喚き散らしていやがった。家に忍び込んで、母を鍬で殴り殺した。母は怯えて膝から崩れ落ちて、全く抵抗できてなかった」
自分の目の前で母親を亡くしていたのか。そんな過去を持っていたこと、血気盛んな彼の普段の様子からは少しも察せなかった。
シャクジは乾いた笑いを浮かべた。
「最後の最後にモノを言うのは力だ。力がなかったら殺される。今は平和だからいいかもしれない。でもな、ちょっとでもこの平和が壊れてみろ。すぐに弱い奴が殺される。俺は母のようにはなりたくない」
シャクジの声にも拳にもだんだんと力がこもっていた。
ヴァンは表面的にしかシャクジのことを知らなかったのだ。
何も言えずにシャクジの拳を見つめていた。
まもなく、その拳から力が抜けていったかと思うと、シャクジは意外なほど穏やかな声で付け加えた。
「でも最近、そういう理不尽が、世の中から少しでも消えてくれりゃあいいなって思うようになってきた。それで俺は、理不尽を跳ね返す強い傭兵になりてえなって」
医者が言うには、父は過労だったらしい。
最近は鍛錬に明け暮れていたから、納得ではある。だが以前、それこそ十年くらい前も、このくらい動いていた時期があった気がする。そのときは何ともなかったはずだ。
もう歳だということだろうか、少し寂しさを感じる。
医者が家を出た後、シャクジが見守る中ヴァンは横になったままの父に言った。
「次の遠征は俺一人で行かせてくれ。体調の悪い親父は此処に残ってくれ」
それはヴァンが初めて父に意見し、父の決定を覆した記念すべき言葉だった。
しかしそれは、弟弟子の言いなりになった結果であった。




