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間章2 奔馬シャクジ

 出会ってから十日ほど経った日に、シャクジは我が家を訪れ、扉をやかましくノックしてきた。

「おいおっさん! いや、師匠! 手合わせしてくれ!」

 その声の主は既にヴァンの記憶から薄れつつあったのだが、耳にすればすぐに思い出せた。ヴァンは驚いた。その声の主は、ヴァンの家を知らないはずだったからだ。

 父を市場で見かけてから跡をつけて、家を特定したらしい。それは迷惑極まりない行為のはずなのだが、ヴァンはその執念に、彼への評価を僅かながら再び上昇修正した。

 父は帰って来るなり木剣を三本持って、シャクジの相手をしに出た。

「ヴァン、お前も来い」

 ヴァンは白の国北部のノマダ地方へ売りに行く予定の衣服の仕分けをやめ、父と外へ出た。

 シャクジは古い木剣を持って来ていたが、父は自分の木剣をシャクジに使わせた。

 父はシャクジの相手をした。攻撃させて避けてその隙に叩くだけだったが。

 三回それを繰り返してから、ヴァンと交代した。

 ヴァンにとっても正直、シャクジは手合わせの相手として不足だった。父と同じことを繰り返し続けた。

「とんだ素人だな。まぐれ勝ちすらしない」

 五度目で父は吐き捨てた。シャクジはその言葉に噛み付いた。

「素人脱するためにあんたのとこに来たんだろうが!」


 シャクジはそれから家を訪れ続けた。

 紛れも無い素人だったシャクジは、ただがむしゃらに木剣を振っていた。自分で木剣を持ってきたのは最初だけで、ずっとヴァンの家のものを使っていた。

 がむしゃらなだけでは初心者を脱するのは難しい。見かねた父はやがて、シャクジに助言をするようになっていった。シャクジは父を師匠と呼び続けた。

 弟子にするのは断ったはずだったのに、それでも押しかけてくるシャクジの態度に父は呆れている様子だった。だが、在宅中にシャクジが訪れれば、仕事を中断して彼の相手をした。それが何故なのか、ヴァンには分からなかった。

「ヴァン、他人とは深く関わるな。一人で生きろ。強い人間になれ」

 幼少期から繰り返されたその暗示が、他人と深く関わろうとしない父自身の態度と共に、ヴァンには染み渡っていた。

 それなのに、シャクジとはだんだんと親密になっていく。父は結局折れた。

「俺を師匠と呼ぶか。ならばシャクジ、お前もヴァンと同じ俺の弟子だ」

 この言葉によって、ヴァンは兄弟子になった。

「ヴァンが息子であることなど関係ない。強くならなければ許さん」

 俺を息子と呼ぶか。ヴァンの胸の内で何か暗いものが疼いていた。


「ただの商人のくせになんでこんなに強んだよ!」

 あるとき、連敗を続けるシャクジが木剣を投げ捨て叫んだ。

「何かやってたのか? 傭兵とか」

「若い頃は騎士をやっていた」

 ヴァンは父が素直に答えたことに驚いた。普段だったらはぐらかすし、どうしても答えなくてはならない場合は傭兵をやってただとか護身術を大真面目に習っただとか、適当に誤魔化すのだ。

「じゃあヴァンも傭兵じゃなくて、あんたみたく騎士になるつもりなのか?」

 シャクジは木剣を拾った。父はシャクジが挙げた選択肢には入っていない第三の職を口にした。

「いや、ヴァンは商人になる」

 顔を上げたシャクジは眉間にしわを寄せていた。

「なんで師匠が答えるんだよ。ヴァンに聞いてんのに」

 シャクジが睨んできたので、ヴァン自身が父の言葉を肯定した。

「親父の言う通りだ。俺は商人として生きていく」

「なんでだ? なんで商人になるのに剣術の稽古する必要がある?」

「自分の身は自分で守ってもらわないとな」

「そんなの、傭兵を雇うなり何なりすればいいだろ。それか、そんな腕があんなら商人なんかならず傭兵になるか」

 親父は声を低くした。

「こいつの母親の望みだったんだ。一人で自分の身を守る力を得て、政治や戦とは無縁で、平穏に生きていくことを願っていた」

 父が話したことは全てヴァンが聞いたことある内容だった。だが、空いた口が塞がらなかった。父がそこまでシャクジに語るとは予想できなかったからだ。母の話なんて、ヴァン自身ですらほとんど聞いたことがない。ましてや父が他人に母の話をするところなんて、初めて見た。シャクジは鼻で笑った。

「戦はともかく、政治と関わることなんて俺たち庶民にはそう無いと思うけどな」

 父にとって、突然現れたこの青年はどんな存在なのだろうか。何を理由に彼は父からここまでのことを聞き出せたのだろう。父は何故、彼に付き合ってやってるのだろう。


 ある日の夕飯時、思い切って父に尋ねた。

「他人との関わりを避けて生きるべきって言ってたのは何だったんだ?」

 父特製のノールリッジ風ドリアと鮭のスープが食卓に並んでいた。

「親父はなんで、あいつが師匠って呼ぶことを許したんだ?」

 父は苦笑いで答えた。

「ただの気紛れだ。自分でも驚くことにな」

 そう答えられてしまったら、それ以上、口を割らせる術がなかった。だが、少なくともヴァンの知る限りでは、父は気紛れで行動する人間ではなかった。


 父の自称気紛れは、ヴァンの予想を遥かに上回る長さで続いた。二日に一度ほどシャクジが家を訪れ続けて、一年を過ぎた頃のこと、シャクジは妙に緊張した面持ちをして現れた。

 そして、父に頭を下げた。

 相変わらず父には動揺の色は全く見られなかったが、ヴァンは驚いた。シャクジが人に頭を下げるような人物だとは思っていなかったからだ。

「金を貸してくれ」

 予想外の頼みに、父の眉がピクリと動いた。

「話を聞こうか」

 こうしていつ以来かも定かではないほどに久々の客を家に招き入れることとなった。

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