間章1 赤毛の青年
扉を叩く音が部屋に響き渡る。
「ヴァン! いるんだろう! 俺と手合わせしろ!」
その声に従うべくヴァンは紅茶を置くと、棚に立てかけてある木剣を手にして扉を開いた。
ヴァンが家から顔を覗かせると、声の主は外に出るよう人差し指で促した。短いが癖のある赤髪を弄びながら、彼は家の前に陣取る。それは彼の定位置だった。
身長はヴァンよりほんの少し低いが肩幅は広く、目は三白眼、鼻は鉤鼻と威圧感のある外見をしている。それを活かす挑発的な笑みを浮かべて、木剣を構える。
ヴァンもそれに応えて木剣を構える。
赤毛の青年がヴァンに飛び掛かった。木剣を振り下ろしたとき、そこにヴァンはいなかったが、彼は動きを止めず、避けたヴァンの頭めがけて木剣を振った。しかし、ヴァンは重心を下げ、その木剣を紙一重でかわす。
手合わせは攻守を入れ替えながら続く。
だが、ヴァンが優勢のときの方が長かった。
ヴァンにすねを叩かれ青年は怯んだ。ヴァンがすかさず剣先を首もとに突き出し、決着した。
「ちくしょう!」
木剣を石畳に叩きつけると、地団駄を踏んだ。
「くそっ! なんで勝てねえんだよ!」
「ヴァンは幼少の頃からずっと訓練を重ねてきたのだ。シャクジとは実力差があって当然だ」
赤毛の青年、シャクジの憤りに冷や水をかけるような厳格な言葉が、路地の方から投げかけられた。
「親父」
路地から声の主が歩いてくる。青い瞳に隠し切れぬ鋭い光をたたえた白髪の中年、ヴァンの父ブライトだった。
「……くっそ……そんなの、ずるいじゃねえか……!」
「ずるくなどない。より練習した者が強くなる。ただそれだけだ」
父の白髪はヴァンの生来のものとは違い加齢によるもので、昔は茶髪だった。年齢を重ねたぶんか、父の言葉は重みがある。
数秒黙っていたが、その言葉を飲み込むと顔を上げてヴァンを睨みつける。
「もう一回相手しろ、ヴァン」
ヴァンは木剣を構えた。
これが今のヴァンの日常だった。
ヴァンと父がシャクジと出会ったのは、一年近く前のことになる。他の商人たちと隊商を組んで西へ向かっていたときだった。
「俺を弟子にしてくれ!」
「は?」
素っ頓狂な声を上げたのはヴァンだけで、隣に座る父は腕を組んで、この名も知らぬ青年をじっと見つめていた。
ちょうど天幕を張り終わり、父と二人で少し休んでいるところに、この青年が現れた。
薄闇の中、焚き木に照らされたシャクジの顔には、真剣さと興奮が入り混じっていた。
父はしばらく黙っていたが、やがて眉ひとつ動かさず、断る、と言った。
「何故だ」
「俺は商人だ。こちらに利益のないことは行わない」
青年はその理屈を聞くと、顎に手を当てて何やら考え込んだ。ヴァンには父の理屈が本当の理由を隠しているのだとわかっていた。理由なんて、他人と関わりたくないから、それだけなのだ。説得の余地などない。だが、そんなことは問題にならなかった。青年が父の説得をやめ、ヴァンを見たからだ。
「お前、手合わせしろ」
「そりゃまたなんで」
「俺は剣の腕を磨きたいんだ。練習相手になれ」
父が黙って頷いたので相手をすることにしたが、父の態度は意外だった。
青年がうめき声を漏らす。手合わせはあっという間に決着した。夜風に吹かれて焚き木が揺らめいた。手加減はしたが、鉄の棒で殴られた痛みはなかなかだろう。
ヴァンが父の元へ向かおうとしたそのとき、脇腹を押さえて肩で息をしていた青年が声を荒げた。
「おい、もっぺん相手しろ」
その言葉にヴァンが返事をするより早く、父が口を開いた。
「そもそも、お前は何故一介の商人に過ぎない俺に弟子入りなんてしようと考えたんだ」
父の言う通りだった。商人に声をかけるくらいなら、志願兵になるでも何処かの傭兵団に頭を下げるでもすれば良かっただろうに。
青年はその理由をすらすらと答えた。
「あんた昨日、野営に紛れ込んでた不審者をばっさばっさ薙ぎ倒していってただろう? あんな腕を持ってるのに商人やってるなんて勿体ねえ。せめて俺に教えてくれよ」
確かに昨日、父はひっそりと盗賊を撃退していた。だが、それにしてもぶしつけな理由だ。父の声は固かった。
「素人が大口を叩くな」
静かだが迫力がある声だった。しかしシャクジは動じなかった。それだけでヴァンは彼の評価を少し高めた。ヴァンは彼に問うことにした。
「お前は商人じゃないのか?」
「商家の息子が商人だって誰が決めたんだ」
「お前の親の名前は?」
父からの問いかけに青年はふてくされた。
「まず俺の名前を聞けよ」
「お前の名前は?」
「シャクジだ。商人ダレンの四男。お袋は十年前に死んだよ」
「飢饉か……」
「ああ」
その飢饉のお陰で小麦の値段が高騰し、隣国からの輸入品も取り扱っているヴァンたちは大儲けしたのを覚えている。だが、そんなことは口が裂けても言えない。
「親父は末っ子の俺には家を継がせる気なんてねえんだよ。それなのに商人やるなんて、馬鹿馬鹿しいだろ」
彼はそう吐き捨てたが、商家の長の兄弟たちが部下として働くことは珍しくない。だが、彼はその道を避けたいらしい。
「俺は別の生き方をする。剣の腕を上げて、自分の力で生きていく」
そこで何故、剣を取るという結論になるのか、ヴァンには納得できなかった。志望動機は、単純で無理のある理論でまとめあげてある。
きっと彼は納得させる理由なんて持ち合わせていないのだろう。感情的な現実逃避にしか見えない。
だが、シャクジの覚悟はヴァンの予想を超えていた。




