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19章 赤の兄者

 ヴァンは兄者と倉庫で倒れている傭兵たちの息を確認していった。

 まだ脈がある者も残っていた。

 しかし、その誰もがもはや虫の息であった。放っておけばもうじき死ぬのは明らかだ。

 切れた喉から苦しげに風の音を立てて呼吸をする男もいた。

 ほとんどの者はもう声を出すことすらできないようだった。

 兄者はそんな者たちの息の根を止めていった。

 これ以上苦しむことの無いようにという彼なりの慈悲だろうか。

  ヴァンにはもう、そうは思えなかった。

 男を刺し、手を鮮血で染め、冷たい瞳で微笑みかけてきた姿が網膜に焼き付いていた。


 ついに息がある者は、脚の健を斬られて横たわっている男一人だけになった。

 兄者はその赤毛の男の側にしゃがみ込み、話しかけた。

「君が知っていることを、全て話してくれるかい?」

 柔和な口調ではあったが、芯の冷たい声だった。

「俺はあのガキを攫ってこいって命令されただけだ! リーダーもあの男からの仕事としてやってただけみてえだし……目的なんて、知らねえよ!」

 言葉は途絶え途絶えながらも、男は威勢を振るうことは忘れていなかった。暑苦しく品のない返答に、兄者は溜息を吐いた。

「そうかい」

 次の瞬間、男の首は胴体から離れ、床を転がっていた。

 兄者は躊躇しなかった。

 血にまみれながら、兄者は微笑を浮かべた。

 優しくて、残酷で、上品で、静かな威圧感を放つ笑み。その目は何処か遠い所を見据えているように見えた。

「情報を漏らすわけにはいかないからね」

 ヴァンに向かってか、兄者はぽつりと呟いた。

 ヴァンの家で見せた笑顔よりこの笑顔の方が兄者に似つかわしいように思えた。ヴァンは兄者の冷たい笑みに対し、自分でも驚くほど動じなかった。冷静さを保つ努力も必要なく兄者に問いかけた。

「俺は殺さなくていいのか?」

「僕が君を殺そうとしたって、返り討ちに合うだけだって判ってるからね。身の程はわきまえてるつもりだよ」

 兄者は立ち上がり、ヴァンをまっすぐに見据えて言った。

 何処までも冷え切った返事だった。

 先ほど死にそびれた男たちを殺したのはやはり慈悲などではなかった。ただ情報が漏れる可能性を消しかったからなのだ。

 それに思い当たった途端、ヴァンは自分が今、得体の知れないものと対峙しているような気になった。

 だが、すぐにふっと悲しげに笑ってから、床に転がる死体に目を向けた。

「僕としては、君を殺したくなんてない」

 顔を上げた兄者の表情には残忍さが抜けていた。それだけではなく様々なものが抜け落ちているようで、空虚という言葉がよく似合った。

「そうか」

 ヴァンはそう答えるのが精一杯だった。血にまみれた微笑よりこちらの表情の方が、ヴァンを動じさせた。たった今、躊躇なく人を殺した人間の者とは思えない。

 最も、ヴァンだって人のことは言えない。これだけの人間を斬った自分は既に大量殺人犯だ。正当防衛の域を超えているだろう。この兄妹もそれぞれ人を殺してしまっている。

 二人はどうだか知らないが、自分は死刑だろう。人数の差という以上に、エリーと兄者には一商人に過ぎない自分にはない、身分という大きな楯がある。

 しかしひとまず差し迫った問題を口にした。

「この死体はどうする」

「ヴァンは心配しなくていい」

 兄者の即答を素直に喜ぶ気にはなれなかった。その言葉にとりあえず救われたことは確かなのだ。だが、兄者の素性をまたも垣間見てしまったことが不快だった。この二人が自分とは違う世界の住人であることを今更に痛感して、嫌になった。

「ヴァン、君が罪に問われることはない。ただし、他言無用だ」

「ああ」

 ヴァンは溜息を吐いて、木箱の一つに腰かけた。自ら牢屋に入ってやろうという考えもなかったから、兄者の話に異議はない。

 そして、鉛のような痛く重い沈黙が訪れた。兄者は木箱に寄りかかって立っていた。ヴァンは倉庫の中を見るともなく見ていた。

 血と汗の匂い、赤々とした血溜まりと無数の死骸、自分の呼吸以外は物音一つしない。

 地獄だった。

 そしてその地獄を作り出したのは他でもない自分たちだ。

 これが現実だとは思えなかった。

 一度そう感じると、この兄妹も夢の中の存在のように感じられてくる。

 暗い底無しの穴に堕ちていって、何故自分がここにいるのか分からなくなるような、そんな感覚だった。

 強烈すぎる現実ゆえに実感を失いつつあるヴァンの思考を遮ったのは、兄者の呟きだった。

「僕はあの死に顔を、ずっと忘れられないんだろうね……。君もそうかい?」

 兄者の言う死に顔とは、彼自身が殺した者たちのもののことだろう。

「まだ、分からん」

「そうだよね。僕もまだ分からないはずだ……エリーもかな」

「分からん」

「……ごめん」

 搾り出すような声で兄者は謝った。

 その後どちらからということもなく、血だまりと死体を避けながら倒れているエリーの方へ向かった。

 二人ともようやく人の心配が出来るくらいの心の余裕ができたのだ。

 自分が殺した人間の顔なんて、この少女には忘れて生きてほしかった。少なくともエリーの行動は、正当防衛だったのだから。

 エリーはまだぐったりとしていた。

 身体のあちらこちらに擦り傷や切り傷があった。それは不得手な抵抗の跡だった。赤毛の青年は意識の戻らない妹に自分のローブをかけた。

 二人ともエリーを見守り続けた。

 何をするのが正解か判らず、とりあえず間違いではないであろう行動を取った結果だった。

 黙ってエリーが目覚めるのを待った。

 頭の中にあまりに沢山のことが雪崩れ込んできていて、これからのことを考えねばと思うほど、思考は鈍って結論が出せなかった。

  聞こえてくるのは、自分たちの呼吸音だけだった。

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