18章 従う者
男たち三人がまとめて自分に襲い掛かって来る。
ヴァンは三人の動きを一瞬のうちに観察し、見切ると、身体を捻った。
攻撃を避けるとともに、相手と自分のお互いの勢いを利用して間合いを詰め、鋭く三人それぞれの腹、胸、肩を斬りつけた。
悲鳴には耳を貸さず、ヴァンは三人に向けていた集中を解き、全体の把握に気を向けた。敵の一人に背後に回り込まれていたことに気がついたのはそのときだった。
ヴァンが焦ったのもつかの間、すぐ違和感に気がついた。
殺意が自分に向いていないのだ。
振り向くとやはりその通り、痩せた男が一人、兄者の方へと向かって突進していた。
「おい!」
その場で硬直している兄者に駆け寄ろうとする。
だが、続けて襲い来る四人の男の相手をしているとそれも叶わなかった。
ヴァンは一瞬、二年前の光景を思い出した。
家のベッドに横たえられた父の遺体。
自分の目の前で、死が、兄者へと迫りくる。
「くそっ」
二人の男の首を一振りで飛ばして、ヴァンは彼らに背を向けた。
兄者とエリーの元へと走る。残りの二人に背中を斬られるかもしれない。だが今のヴァンには、そんなことは些細なことに思えた。
兄者は固まっていた。恐怖で動けないように見えた。
だが、そう見えただけだった。
兄者は突然、俊敏な動きで膝を曲げて重心を下げた。
男の下半身に体当たりし隙を突くと、近くの死体から剣をひったくる。
そして両の手で剣を握り締め、男の鳩尾を深く突き刺した。
男が血を吐いて崩れ落ちる。
兄者の剣から手、腕と伝い肘からぽたりぽたりと静かに落ちる鮮血と、赤い髪の兄者の取り合わせが、ヴァンの目に焼き付いた。兄者はじわりと背筋を伸ばすと、ヴァンを安心させるように微笑みかけた。
ヴァンはそれを受けて、自分の方に襲い掛かってくる男の相手に移った。
兄者の赤いその瞳に冷たい光がたたえられていたのを、ヴァンは見逃せなかった。
男たちもヴァンも、油断していたのだ。
この細身の青年が剣を扱えるとは予想していなかっただろう。
その計算違いが、命取りになった。
ヴァンも、兄者が恐怖で動けなくなっているのではないかと心配したほどだ。
味方をも騙してしまうくらい、彼は怯えているように見えた。
なんという演者なのだろう。
きっと、そう生き方をしてきたのだ、こいつは。
やがて倉庫内で動くものは、ヴァンと兄者だけになった。首領のように振る舞っていた出入り口前の男も意外と呆気ない最期を迎えた。迎えさせたと言った方が正しいのだろうか。
兄者は倒れている男たちが本当に動かなくなっているか、遠目で確認しているようだった。
まだ息の上がっているヴァンが、倉庫の奥の木箱の山に向かい口を開いた。
「あとはお前だけだな」
その言葉に押されて男が一人、木箱の裏から現れた。
今まで斬ってきた男たちとは異なり、そこそこ裕福そうな白髪混じりの男だった。年齢はヴァンの倍ほどだろうか。
「隠れたつもりだったんだろうが……」
「さすがに気づいたか」
男は動じず、薄く笑った。
「お前が大将か?」
「大将ではないな……雇い主だ」
「なるほど。こいつらを雇ってあいつを攫ったのか」
まだ意識の戻らないエリーを指差し問いかける。
男は黙っていたが、それが肯定を意味することは明白だった。
答えに期待はできないが、質問を続けることにした。
「お前ら、エリーを攫ってどうするつもりだったんだ」
「そんなこと分かりきってるだろうが」
ヴァンには本当に分からないのだが、兄者には思い当たることがあるらしい。重く大きく息を吐く音が背後から聞こえた。
それだけが兄者の答えだった。つかの間の沈黙が訪れた。
やはりこの兄妹自身に誘拐の原因があるのだろうか。
分かっていないのは俺だけか。
ヴァンが自嘲気味に苦笑すると、男は一瞬にやりと笑ってから、視線を落とした。
ヴァンたちを直視しないその表情からは、この先の行動について考えを巡らせているのが見て取れた。
「人質は返す、だからどうか……」
「君を生きて返すわけにはいかない」
男の命乞いを兄者が遮った。静かだが迫力のある凛とした声であった。彼は歩み出てヴァンの横に並んだ。
「ちっ」
男が舌打ちして懐から短剣を取り出した。
兄者が血に染まった剣を構える。
しかしそれを左手で制し、ヴァンが一歩前へ出た。
「ヴァン」
「俺がやろう」
兄者なら、この男に返り討ちにされかねない。
兄者の本当の実力なんて分からないが、ヴァンは自分が手を下した方が確実だと思った。
「武器を捨てろ」
ヴァンが一応の忠告をする。
「どうせ生きて返してくれないんだろ? やなこった」
「そうだろうな」
男も兄者も殺意に溢れている。まったく兄者め、余計なことを言ってくれたものだ。
ヴァンは溜息を吐くと、男との距離を詰めていった。
「俺から情報を聞き出そうとは思わないのか?」
「君は吐かないよ」
兄者が感情のない声で吐き捨てた。
「何故そう思う?」
「君は蒼の国の諜報員のようだからね。諜報員っていうのは、こういうときどうやったって口を割らない。そうやって育成されているはずだ」
何故兄者は男が諜報員だと分かったのだろうか。ヴァンは不思議に思ったが、それを顔には出さなかった。
「時間をかければ口を割らせることができるかもしれないけど……あいにく時間が無くてね。お願いできるかな、ヴァン」
その頼みに兄者は従った。ヴァンは無言で男に歩み寄ると、まず男の右手に握られたナイフの先端近くを剣で叩き、弾き飛ばした。
男はまさか弾き飛ばされるなどとは思っていなかったらしく、その顔には驚愕の色が浮かんでいた。
男が舌打ちしながらヴァンの腹を殴ろうとすると、ヴァンは身体を右に捻って避けた。
そして前に突き出された男の右腕を掴むと腹に膝蹴りを入れ、剣を振り上げた。
男が勢いよく顔を上げて痛みに耐えながら、悔しさと憎しみを込めた眼差しでヴァンを睨みつける。
ヴァンも冷たく睨み返す。
一瞬の睨み合いに、ヴァンは微かに違和感を覚えた。ヴァンを写す男の瞳に、憐れみの色が混じっているように思えたのだ。
「やはり貴方様は……生きているべきでは……」
それが男の最後の言葉となった。
鮮血をまき散らしながら、首が飛んだ。否、飛ばした。
「ヴァン、君は一体……?」
兄者は返り血をたっぷりと浴びたヴァンに呆然と問いかけた。
「さあな」
顔に付いた血をぬぐいながらヴァンは短く返答した。
自分自身にも知らない事実が、自分にはあるらしい。そんな可能性の片鱗を見せられて、ヴァンの心は波立っていた。
だが、それはこの冷酷な赤毛の青年に気付かれぬよう努めながら、手の甲に付いた血を見つめていた。