第六章 革命の光
真夜中。
暗い森の中を青年は歩いていた。
藍と青の混ざった少し跳ねた髪、濃い赤色い瞳は何かを探している。
ふと、一本の木を見つめると、上に向かって苦笑した。
大木の根本には無数の白い羽根が落ちている。
「…有翼人の融合は本当だったのですね」
皮肉を込めた言葉は、木の幹に身体を預けている少年に向かっていた。
木の幹に身体を預けている少年、マリスは姿は見えないが酷く怒っている様子だ。
「ふざけるなっ!!……こんな翼など必要無い!!」
「元の翼に戻れたからいいじゃないですか」
「………死にたいかっ!?」
青年、ルトはマリスをからかうようにくすくすと笑う。その態度に腹を立てたマリスは、ルトに向かって赤い魔法弾を放った。
しかし、マリスが自分に攻撃するだろうと察知していたルトは、魔法で防御壁を作りだして簡単に魔法の弾を消してしまう。
木の葉が揺れて、舞い落ちる。
「いえ、僕はまだやることがあります。…ああ、蒼飛、くれぐれも悪魔の王には気をつけて下さいね」
城にいた者は互いを名前で呼ぶことも称号で呼ぶこともあった。
ルトはそう告げると、何かを企んだ笑みを浮かべ、瞬時に消えていってしまう。
一人になったマリスは大きく息を吸って落ち着こうとして、痛む胸を押さえて眠りにつこうとした。
ルトの言葉が引っかかる。
「…悪魔の王…?」
マリスは何かを思い出した。
次第に信じられないような顔で笑みを浮かべ、自問自答した。
「は、はは、まさか、まさか…そんなことない…よな?……生きている……?あの人が…。だとしたら、早く光の精霊を消さなきゃ…」
夜はまだ長い。
デッドの街。
大きな建物が目立ち、全ての建物の扉には十字架と花輪が掛けられている。
人通りの多い道には多くの店が立ち並び、露店の看板にも十字架と花輪が掛けられていた。
街に到着したレイナ達は、一先ず宿屋を探して休憩をしようとしていた。
露店が立ち並ぶ道を通り、建物の角を曲がろうとした瞬間、出合い頭に一人の少女が見えた。
「ご、ごめんなさ…い。まあ!天使様っ!」
「えっ」
ぶつかることは無かったが、少女は慌てて一礼するとカリルの姿に驚いて歓喜した。
カリルはレイナとマーリの顔を見合わせながら、少女に話しかける。
「天使様……ではありませんが、何かありましたか?」
栗色の長い髪とまだ幼い顔立ち、頭の上の大きなリボンが目を引く。
「素敵!今日という日に天使様にお会いできるなんて感激です。天使様、どうか私のお願いを聞いてください」
カリルの言葉を無視して、少女は目を輝かせながらうっとりとしている。
「今日は何か特別な日なのか?」
それを見兼ねたマーリが少女に問いかける。
カリルは少女の反応に困っていたのだ。
「はい、明日は一年に一度の降神祭の日です。降神祭というのは一年に一度、この地に天使が舞い降りて人々に幸せをもたらすという古くから伝わるお祭りなのです」
「降神祭…それで、お願いって何?」
レイナも疑問を抱いていた。
魔力は強く感じているが、旅の疲れと賑やかな雰囲気で精霊がいるかどうかも分からなかった。
「きゃっ!申し遅れました、私はローザといいます。実は今朝、家の扉に変な貼り紙があったのですが、私達には何のことだか分からなくて困っているのです…」
「なら、その辺の警備兵に任せればいいだろ?」
マーリが話を止めた。
これだけ大きな街なら、警備兵の駐屯所があってもおかしくはないだろう。
「もちろん、警備の方も要請しましたが、その紙に書かれていた家宝は我が家に代々伝わる魔法の宝石なのです」
ローザの言葉に三人は反応した。
ローザから真剣な様子が伺えるが、カリルと目線が合うと頬を赤らめ俯いてしまう。
「その貼り紙、見せてもらえないでしょうか?」
「はい!あの…お名前は?」
「私はレイナ、こっちはカリルとマーリ」
レイナは指をさして簡単に紹介する。
「はい、では我が家にご案内します」
デッドの街でも一際大きな屋敷に案内されたレイナ達は、廊下を抜けて奥の部屋に移動していた。
扉を開けると部屋には思っていたよりも広く、壁一面に本棚が並んでいるせいか書斎のようにも見えた。
レイナ達が中に入ると、椅子に座っていた男性が立ち上がった。
「おかえり。ローザ、お客さんかな?」
白髪混じりの男性はローザの後ろに立つレイナ達に視線を向けた。
「お父様、天使様が貼り紙を見たいを仰ったので連れて参りました」
「天使様…?まあ、話は後で聞くとして…。突然ですまないが、貴方達はローザから話は聞いているかな?」
机の前のソファーに座った男性はローザの顔を見てからレイナ達にも手をソファーに向ける。三人もソファーに腰かける。
「初めまして、私はローザの父のリンカンといいます」
「レイナです。ローザさんから簡単に話は聞きました。その貼り紙を見せてもらえますか?」
「ああ…」
リンカンと名乗った男性ははベストの内側に手を入れると、一枚の紙を取り出した。
紙には血文字で『黄昏の閃光が揺らめく頃、世界は滅びの道を歩む』と書かれている。
レイナ達はそれを見て何かに気づく。自分達の中で、最近の異変はマリスが絡んでいた。
「リンカンさん、何か心辺りはありますか?」
「黄昏の閃光というのは、我が家の家宝の別名です。それ以外は全く…」
リンカンは困った表情で首を横に振って答える。
レイナとリンカンが話している間に、カリルとマーリは聞こえないように話している。
「カリル、光の精霊だと思うか?」
「はい、恐らく。…多分、マリスも気づいていると思います。問題は…その宝石が本物で、そこから光の精霊が現れるか…」
カリルは何か視線に気づいた。
リンカンとレイナの会話を聞いていたはずのローザは、カリルを見つめていた。カリルと視線が合ったローザな頬を赤らめ、また俯いてしまう。
「家宝が飾ってある宝物庫はすでに警備兵を見張らせている。問題はないでしよう」
「すみません、その警備兵の中で魔法を使える人はいますか?」
カリルの問いにリンカンは指を数えて答えた。
「簡単な魔法を使う者は五人ほどいる」
「私達は魔法も使えます。私達も宝物庫で見張らせて貰えないでしょうか?」
「おお!それはそれは心強い。では、案内します」
リンカンは立ち上がり安堵の表情を浮かべる。それほど大事な物なのだろう。
レイナ達はリンカンとローザに連れられ、部屋を出て別の場所に足を運んでいく。
その頃、デッドの街を見渡すことができる小高い丘に、マリスは立っていた。
背中には純白の翼が生えているが、まるでむしり取ったように羽根が抜け落ちている。
マリスは翼を広げて呪文を唱えた。
「冥界の門を開け放たれし闇の祝福に…今、魔王の御力を………」
足元に真っ黒な魔法陣が浮かび上がり、魔法陣から大きな力の波動と風が音を立てて流れ始める。
マリスは、強い魔力に思わず両腕で顔を防いだ。
マリスの目の前にも同じような魔法陣が浮かび上がり、魔法陣から徐々に何かが姿を現した。
黒い翼に獣のような身体、そして左目には古い大きな傷がある。
マリスはその場に膝をついて冷や汗を流しているが、その姿を見て喜びの笑みを浮かべた。
「やはり貴方だったのですね。ディアボロス……いいえ…」
マリスの身体、声、全てが震え上がる。
「ラグマ様」
「お前が私を喚ぶことができたとは……」
ラグマは人の姿に変わるとマリスに近づいた。
ラグマがいるだけで、立っていられないほどの畏怖を感じる。
「ラグマ様。あの時…瓦礫の中で息を止めたのを見ました………何故、何故、生きているなら俺に姿を見せてくださらなかったのですか!?」
震える身体を抑え、マリスは感情をぶつけた。
しかしラグマはマリスを見ているだけで、何も言おうとしない。
「…申し訳ありません」
「私はロティル様を失い、在るべき姿に戻って世界を見てきた。もちろん、お前がしてきたことも知っている」
「ラグマ様…お願いです!俺に…俺にもう一度、力を下さい!もう…白い翼を見たくありません!」
マリスは口唇を噛み、今にも泣き出しそうな声で懇願した。
「また、うなされるのか?」
「……はい」
ミスンと融合してから過去を思い返し、悪夢にうなされる日々が続いていたのだ。
ラグマはマリスの考えを知っているかのようにマリスを見つめると、懐から小さな黒い宝石を取り出す。
「背徳の王を知っているか?」
「はい…」
マリスはもどかしく答えて頷いた。
古い書物で見たことがある。魔族の中でも最も位が高く、最も強い存在が背徳の王と呼ばれるものだった。
「これは閣下の御力が秘められている宝石だ。閣下はいつか再び覚醒する時まで、と私に託していった。マリス、これをお前にくれてやっても構わないが…きっと閣下に自我を奪われることだろう」
ラグマが何か企んでいるように口角を上げて笑っている。
強い魔力の恐怖とラグマの笑みに怯んだが、マリスは首を横に振った。
「構いません…白い翼を纏ってうなされるより、閣下の御力を戴きたいです」
「そうか…」
ラグマは手に持った黒い宝石をマリスの心臓の位置に当てた。
黒い宝石は鈍い音をたててマリスの体内に入り込んでいく。
「ラ………」
何も起こらない。
マリスは声を出そうとした。
その瞬間、マリスの顔が歪み喉と心臓を押さえ激しく呼吸を繰り返し始めた。
「はぁ……はああ…ラ、グマ……様……」
声が掠れて言葉にならない。
マリスの脳裏に二度目の死が過ぎった。
汗を流し、倒れそうな身体を抑えて膝をついた。
白い羽根は全て抜け落ちて、代わりに六対の翼が生え始める。
「マリスには無理か…」
ラグマは失望したような溜息を吐いた。
しかし、何かを待っているように笑っている。
マリスの腕と首には黒い古代文字が浮かび、瞳を開けて立ち上がった。
「…閣下…?」
ラグマは様子を伺うように声をかけた。背徳の王の力によってマリスの自我は失われ、背徳の王が宿ったと確信していた。
「…ラグマ、様…?」
何が起きたか分からないマリスはラグマの顔を見る。
「マリスなのか…っ?」
表情は出ていなかったがラグマは驚いた。
マリスの自我は存在している。
マリスもまた自分自身の見慣れない姿に驚いていた。
「俺、頭の中で誰かの声を聞いて……急に身体中が悲鳴をあげるくらい痛みだして…。でも、それ以外は特に変化は…ありません…」
「(閣下の戯れか、暫くマリスを器になさるおつもりか…)」
ラグマは何かを考えていた。
強力な力を得たマリスなら、何かを起こすかもしれない。
冷たい眼差しでマリスを睨みつけた。
「我々が支配する新たな世界の為に…全てを破壊しろ」
「わかりました」
ラグマはそう告げると悪魔のような姿に戻り、地面に現れた魔法陣に吸い込まれるように消えていってしまう。
悪魔の六対の翼。
その翼に何故だか恐怖を感じながら翼を広げ、街に向かって飛翔した。
黄昏は闇に変わっていく。
月が高く昇り、賑やかだった街も静まり返っていた。
リンカンの屋敷のはずれにある宝物庫では、雇われたであろう何人かの傭兵と警備兵が部屋の中央を意識しながら巡回している。
天井には幾つもの窓があり、月の明かりだけが部屋を照らしていた。
部屋の中心に近い大きな柱の影で、レイナ達が様子を伺っていた。
「本当にマリスは今夜、宝石を狙うのかな?」
「さっき宝石を間近で見ました。あの宝石からとてつもない力を感じます…」
「それにしても、狙われてる宝石を部屋の中心に置かなくてもいいんじゃねぇか?」
三人は他の人に聞こえないように小声でこそこそと話している。
ガラスのケースで覆った宝石が、暗い部屋の中を神々しい光で照らしていた。
「余程、自信があるのでしょう」
その時、宝石は赤みがかった霧に包まれ、レイナ達から見えなくなってしまう。
霧は部屋を覆い、何かに気づいたマーリはすぐに口を手で塞いだ。
「お前ら!この霧を吸うな!」
マーリの言葉は警備兵達の耳に届かず、次々に倒れて眠ってしまう。
「何なの…?この霧は?」
レイナとカリルも霧を吸い込まないように、口を手で塞いだ。
「やはり、お前達も気づいたか」
光と影の狭間から声が聞こえる。
暗い部屋に満月の光が差し込む。
いつの間にか、窓に近い手すりにマリスが座っていた。
六対の翼を生やし、髪は少し長くなっているようにも見える。
「マリス!?」
「あの翼…まさか…」
マーリはマリスの姿を見て驚いた。
レイナ達の様子を気に留めず、マリスは軽やかに跳躍して宝石に近づこうとする。
レイナ達も霧を吸わないように近づこうとした。
その時、突然、窓のガラスが割れて一同は驚いて天井を見上げる。
「シルフーー!!」
外から少女の声が聞こえた。レイナ達の周りに小さな精霊が現れ、柔らかい風が吹くと部屋を覆っていた霧を全て晴らしてしまう。
暗くてはっきりとした姿は分からないが、真っ白な翼を生やした少女のようだった。
少女の胸元が光り、再び言葉を発動させた。
「セイレーン」
一瞬にして景色が変わり、目の前には海が広がる。
小さなハープを持った女の精霊は、音を奏でながら不思議な歌を歌いだす。
「耳が……痛い…」
「…幻覚ですね」
レイナ達は驚いたまま両耳を塞いで歌を聞かないようにした。聞いているだけで耳が痛み、気を失いそうだった。
マリスも翼を広げたまま、空中に浮かび両耳を塞いで動けなかった。
その間に、少女は部屋の中央に近づいてケースを開けると、宝石を持って空に向かって飛んでいってしまう。
「……ごめんなさい」
少女は苦しそうに呟いた。
「生きていたか…獣王!!」
『!!!』
それを聞いたレイナは耳を疑った。
以前、マーリから城にいた時から名前より称号で呼ぶことが多いと聞いたばかりだ。
そして、聞き慣れた懐かしい声。
それが何かに気づいたレイナの目には涙が浮かんでいた。
マリスは消えていく精霊の姿に目もくれず、少女の後を追って夜空に消えていってしまう。
一瞬の出来事に三人は何もすることができなかった。
「すみませんでした!」
次の日の昼過ぎに、レイナ達は再びリンカンの屋敷に訪れ、部屋に案内されるとリンカンに向かって頭を下げた。
自分で引き受けた事が失敗してしまったのだ。
レイナ達の前にはリンカンとローザが落ち込んだ顔で座っている。
「過ぎた事は仕方ありません。しかし、困ったなあ…あれは明日、ローザの為に使うはずだったのに…」
「あの宝石は何に使うのですか?」
「ああ、それは…」
リンカンとローザは顔を見合わせ、話をしようとした時、扉を軽く叩く音が聞こえる。
「どうした?」
リンカンは扉に向かって返事をした。
「旦那様、お会いしたいという方がいらっしゃるのですが…」
扉越しから初老の男性の声が聞こえる。何か戸惑っている様子だった。
「今、忙しいんだ!また改めてもらってくれ」
「ですが……その方、旦那様の宝石をお持ちなのです」
「何っ!?」
突然の男性の言葉に全員が驚いた。
宝石は昨夜、何者かによって奪われたはずだった。
「と、通しなさい」
リンカンも動揺して、ソファから立ち上がった。
「は、はい!」
扉越しにいる男性は慌た様子で返事をすると、走り去る音が聞こえた。
暫くすると再び扉を叩く音が聞こえ、扉は開いた。
「お入り下さい」
男性が扉を開いた。
部屋に入って来たのは、真っ白な翼を生やしたティムだった。
レイナと同じ色素の薄い青い髪と瞳、城で見た頃と変わらない格好。
ティムは生きていた。
「ティム!!」
「姉さん…」
レイナは目を見開いて驚いて、震える身体を抑えて立ち上がった。
二人とも目には涙を浮かべている。
「初めまして、ティム=ドルティーネといいます。昨夜は宝石を盗み出してしまい申し訳ありません!でも、この世界を守るためだったのです…本当にすみませんでした」
ティムは机の上に宝石を置くと、リンカンに向かって深く頭を下げた。
「君は一体…」
「天使様が二人も!」
状況を飲み込めないリンカンはどうしていいか分からず、ローザは驚いてティムを見つめている。
「ティム…」
レイナが何か言おうとしたが、ティムはレイナに抱きついて、つかえていたものが取れたように声をあげて泣き出した。
「ごめんなさい…あたし、姉さんを疑った。全部分かったの……村が火事になったのも、あたしを暗闇から助けてくれたのも…全部、全部!」
「ちょっと…どうしたの?説明して」
レイナは抱きつくティムを払いのける事はしなかったが、戸惑っていた。
「姉さんと戦って……ラグマ様の魔法で、私は時空の狭間に飛ばされた…。そこで、ある人に出会って…全てを教えてくれたの…。ロティル、様があたし達を殺そうとしていたの。…あの人は、あたしの力を引き出してくれた、隠れた有翼人の翼も出してくれた…」
ティムは少し落ち着いて、詰まっていたものを吐き出した。
それを聞いた三人はそれぞれ違う感情を抱く。
「ロティルの野郎…全部仕組んでいやがったのかよ!!」
「時空の狭間…」
ようやくティムはレイナから離れると苦笑した。目の回りが赤い。
「でもね、それと引き換えで…」
ティムは左の前髪をかきあげた。
ティムの左目には、うっすらと古い大きな傷痕があった。
「その傷…」
レイナは目を疑った。
年頃の女の子に古い傷痕。治すことはしなかったのか疑問を抱いた。
ティムは首を横に振って答える。
「ううん、いいの。あたし、いっぱい強くなった。我儘かもしれないけど、あたし、姉さん達と…この世界を守りたい」
「ティム…」
「それに、あの人に会う事もないし……」
ティムは最後に聞きとれるか聞きとれないような声で呟いて、首を横に振る。
ティムは大きく深呼吸をして、リンカンに向かって再び頭を下げた。
「お願いです…この宝石を使わせてください!」
リンカンとローザは話が理解できずに顔を見合わせて困惑している。
「しかし…この宝石は代々伝わる家宝だ。娘の結婚式の指輪に使うためにあって、壊されては困る…」
レイナはマントの裏地に手を当てて何かを呟くと、マントの中に手が入り探った。
中から小さな袋を取り出して、宝石の隣に置いて中を見せる。
袋の中には、レイナの拳ほどの紅い宝石が入っていた。
「これでは足りないことは分かっています。私が錬成した魔法石です……お願いします!」
ティムと並んでレイナも深く頭を下げた。
「お父様、天使様がこんなに必要としているんですもの…聞いてさしあげて」
ローザはにっこり笑い、レイナとティムを見つめている。
「二人がそこまで言うなら仕方ありません」
リンカンは大きな溜息を吐いて頭を掻いた。
『あ、ありがとうございます!!』
二人の声が重なり、笑顔で一礼した。
レイナが宝石を手に取ると、宝石から光と蒸気が噴き出して部屋中を眩しく照らし始める。
光は次第に人の形に変わり、精霊が姿を現した。精霊はゆっくりと瞳を開いて言葉を発した。
「我ハ光ノ精霊ウィスプ。過去ノ時ヲ眠ラセ幾千ノマバユイ聖光ヲ導ク者ナリ。…女、汝ハ何ヲ望ム?」
精霊の姿を見たリンカンとローザは声も出ないくらい驚いている。
「精霊によって変わってしまった世界を元に戻して!!」
レイナは願いをこめて叫んだ。
「ソノヨウナ事カ…我ハ封印ヲ解イタ者ニ従ウ」
ウィスプは光り輝く魔法球を作りだすと、天井に浮かび無数の光になって外に向かって放出されていく。
「コレデ消滅シタ精霊ハ再ビ存在シ、失ワレタ自然ノ力モ元ニ戻ルダロウ…」
急に何かを察知したウィスプは瞳を閉じると、静かに呟いた。
「来タカ…」
それだけを告げると、光り包まれて消えてしまった。宝石は壊れずに机の上に残っていた。
「姉さん、何が来るって…」
突然、地震が起こり、外から大きな爆発音が聞こえる。
「な、何なんだ…!?」
「外へ出ましょう!」
レイナ達は部屋を飛び出して、外へ向かった。
建物の中は蒸し暑く、焼け焦がれる臭いがする。
扉を開けて外を見ると、街中が炎で包まれて建物は瓦礫の山に変わっていた。
黒い煙が巻き起こり、逃げ惑う人々の絶叫があちこちで聞こえる。
「い、いやぁぁぁーーーーっ!!」
「何なんだ…これは…。これが、私らの…街なのか…」
状況を把握できないリンカンとローザは、燃え上がる街を見て目を疑い困惑している。
「二人は安全な場所に逃げてください!」
カリルが二人に近づいて伝えると、二人は火の気のない場所に走っていった。
「まずは、火を消そう」
レイナは冷や汗を流しながら呪文を唱えようとする。
それより先に、マーリが竜の姿に戻ると口から氷の息を吐いた。煙は消えて、火は徐々に鎮火していく。
「姉さん、あたしに任せて」
ティムはレイナの肩を叩いて、マーリに背を向けた。
ティムの真下に青く光る魔法陣が浮かび上がる。
「水を連なりし氷の息吹よ、この手に集いて力となれ………ディーネッ!!」
ティムが両手を前に突き出すと、魔法陣から水の精霊ディーネが姿を現した。
「ティム!」
「精霊を召喚した…?」
「!!!」
ティムが精霊を召喚した。それは三人にとって驚きべき事実だった。
水の精霊ディーネはティムの周りをくるりと回ると、風のような速さで炎に向かい、一瞬にして火を消してしまう。
街から炎が消えると、レイナは辺りを見回して叫んだ。
「マリス!出てきなさいっ!」
「間に合わなかったか…」
レイナ達の頭上には、六対の翼を広げたマリスが立っていた。
今までとは違う姿に、四人は驚き目を疑っている。
「絶対に許さない!!」
「許さない…?愚かだな。そんなに早く死にたいか…」
マリスはレイナ達の目の前に着地して、片手を地面に向けた。
周りの空気が変わり、奇妙な魔法陣が浮かび上がる。
「さあ、纏めて葬ってやる」
魔法陣の光は人の形に変わり、ある姿に変わっていく。
腰まで伸びた金の髪、長い純白のローブを纏ったそれはレイナ達を見て笑った。
「あれは………」
「スーマ?」
「あ、兄貴………」
マリスの前に現れたのは、過去のスーマの姿だった。
「てめぇ!!いい度胸してるじゃねぇかっ!!」
マーリは怒りをあらわにして叫び、口から氷の息を吐き出した。
スーマのダミーが片手を前に出すと、手の平から青く光る魔法球が生まれ、勢いよく地面に潜ると凍りながら地面を削り、レイナ達に向かって加速する。
「ウィンドスピアッ!!」
岩石を避けて、カリルが魔法を発動させた。
巨大な風の刃は岩石と氷を粉砕して、スーマに直撃しようとする。
しかし、ぶつかる直前に目の前の空間が歪み、風圧の刃はどこかへ消えてしまった。
「魔法が…効かない…?」
カリルは驚いた。
完全に直撃したはずだった。
「あの野郎…本物そっくりに作りやがった…!」
驚いているカリルとマーリの横で、ティムは首にかかっているネックレスに片手をあてて何か呟いている。
「ファントム、おいで!」
ティムのネックレスから飛び出した黒い影は、光のように速くスーマのダミーに接近すると、不規則に周りを動き始める。
スーマのダミーは幾つもの魔法を放って攻撃するが、不規則に動く影は攻撃を避けていく。気がつけば、ダミーの真下には黒く光る魔法陣が浮かび上がり、影はダミーの身体に纏わりついて自由を奪っていた。
ティムは胸の前で印を結び、影を指差して呪文を唱えた。
「目をつぶれば闇、深影の彼方へと滅びの道を歩め…ダークイレイザーッ!!」
影が黒い光を発するとダミーの身体を覆い隠し、黒い光が消えるとダミーの姿も消えていた。
「マリス!汚い手なんて使わないでかかってきなさいよ!」
いつのまにか上空で様子を伺っていたマリスを見つけ、ティムは睨みつけながら叫んでいる。
それを見たマリスは急降下して、レイナに向かって呪文を唱えた。
「…メギドロンド!!」
炎を帯びた光の球は螺旋を描くように回り、レイナ達の周りを覆った。
光は蒸気を発して、激しく燃え上がる。
炎の恐怖と熱気に耐えながらレイナは呪文を唱えている。
「デスウィンドッッ!!」
レイナの放った黒い風は激しく燃え上がる炎を巻き込み、押し返して消してしまう。
マリスは舌打ちをしてレイナを睨む。
レイナは両手で印を結び、マリスとの距離を縮めると詠唱せずに魔法を発動させた。
「フリーズランス!!」
虚空に生まれた無数の氷の槍は、マリスの翼を狙う。
マリスは避けようとせず、片手を前に突き出した。
「バーストダイスッ!!!」
マリスの放つ直方体の炎の弾は、全ての氷の槍を消してしまう。
驚いたレイナは大きく呼吸を繰り返した。詠唱しないで魔法を使うとより多くの力を使う。
視界が歪み、身体が震える。
「(視界が、鈍くなってる…力を使いすぎたかな……)」
震える身体を堪えてマリスを睨みつけようとした。
その時…。
「レイナ!危ない!」
遠くでカリルの声が聞こえてる。
一瞬の出来事だった。
マリスの放った魔法によってレイナの身体は貫かれていた。
『!!!!!』
気づいた時には遅く、レイナは吐血するとその場に倒れてしまった。
『レイナーッッッ!!』
「い、い、いやぁぁぁぁぁぁーー!!!!!」
三人の悲痛な叫び声が響き渡る。
それを見たマリスは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ハーハッハッハッハっ!!レイナ=ドルティーネは死んだ!」
レイナの身体は微動だにせず、傷口から大量の血が流れ出している。
「……この俺を本気にさせやがったなっ!!獣王、行くぞ!!」
「……は、はい!!」
マーリから怒りが込み上げ、空を見上げ咆哮した。
それに驚いたティムは我に帰り、涙を拭いて呪文を唱え始める。
マーリの身体が白い光に包まれると、光は十一体の竜に変化していく。
マーリと十一体の竜はマリスに向かって、いっせいに凍てつくような光線を吐き出した。
避けきれないマリスは、光線にぶつかり絶叫する。
「ぐあああっっっ!!」
翼は凍りつき、空を飛んでいるマリスはバランスを崩す。
「地獄の門より現れよ…ケルベロス!」
ティムの目の前には魔法陣が現れ、両手前に出した。
魔法陣から現れた大きな狼のような獣は、空に向かって吠えると口から炎を吐いた。
炎は大きく伸びて、マリスの翼の一部を貫通させる。
「ぐうううっっっ!!…喰らえ!!」
マリスは新たに魔法を発動させて、ティムの前に立ちはだかる獣に向かって撃った。
マリスが放った巨大な氷の塊は弧を描くようにティムに襲いかかる。
「ゴーレムッ!!」
ティムの言葉に呼応してネックレスが光り、岩で形成された巨大な人形が獣の前に現れた。
ゴーレムと呼ばれた人形は、マリスの魔法を両手で受け止めると身体全体を使って握り潰してしまう。
「二体同時に召喚した…」
魔力の消費で顔を歪ませているティムを見ながら、マーリは翼を広げて飛翔していく。
マーリとティムが戦っている間、カリルはレイナに近づいて膝をついてた。
カリルはレイナの身体を起こして手首に触れる。脈は動いていない。
「レイナ…」
レイナの腕を放すと、カリルは腰に挿していた短剣を抜いた。
躊躇したのは、ほんの一瞬かもしれない。カリルに迷いはあった。
「神様…」
カリルは自分の左腕に刃をあてがって、短剣を引いた。
「……っ!!」
カリルの表情は歪み、震える腕から血が溢れ出す。
流れる血をレイナの傷口に流す。
突然、レイナの傷口が塞がり、レイナの身体が白く輝き始めた。
その光は、街を覆う。
そして、奇跡が舞い降りた。
白い光とともにレイナの身体は宙に浮かび上がり、背中には白く神々しい翼が生えていた。
その光景を見たマリス、マーリ、ティムは驚いて動きを止めてしまう。光から目が離せなかった。
カリルは苦しそうに顔を歪めながら小さく呪文を唱える。すると、カリルの左腕の血が止まり傷口が塞がっていく。
レイナの心臓が脈を打ち、重い瞼を開いて目覚めた。
「あれ…私……?生き、てる…?」
自分でも状況を理解できずに、宙に浮いたまま驚いている。
「禁忌の有翼人の奴…妙なことをしたな!」
我に返ったマリスは、ティムやマーリに目を向けず、レイナに向かって魔法を放った。
「デスフレアーッ!!」
マリスの放った赤い魔法球が闇に包まれると、勢いを増してレイナの心臓を狙う。
「アイシクルウォール」
自分の身に何が起きたか分からなかったが、レイナは咄嗟に呟くと、レイナの前に氷の壁が現れて魔法を打ち消してしまう。
「…ネクロドライヴッ!!」
マリスは怒りをあらわにして、新たな魔法を発動させた。
風のように広がる闇の波は、レイナを覆いかぶさろうとする。
「(考えるより先に手や口が動いてる…)」
レイナは俯いて何かを祈ると、レイナの身体から光が流れだした。
マリスの魔法は、レイナの身体から現れた光によって方向をねじまげられ、一瞬にしてマリスを覆った。
「ぐぁぁぁぁーーーっっ!!」
逃げることも出来ずに六対の翼は撃ち抜かれて落下してしまった。
「はぁ…ぁぁ……はぁぁ…」
マリスは傷を押さえながら、翼を広げて羽ばたこうとする。
「…もう、止めて」
レイナは首を横に振ってマリスに訴えかける。
風の流れが変わっていく。
撃ち抜かれた翼を見て、マリスの中で何かが変わった。
「………様、すみま…せん」
聞き取れない声で吐き捨てると、マリスは瞳を閉じて呪文を唱え始める。
「…空に宿る神に命じる、その力を魔に変えてあらゆる全てのものを破壊せよ。禁じられた呪の贄として…我を捧げる、我を紅蓮の炎とし…全てを焼き尽くせ…デスマインド……」
マリスの身体は赤く染まり、赤い魔法の光に包まれる。
それは次第に大きく膨れあがっていく。
突然、周りの空間が歪み始め、重苦しい魔力が流れ出す。
「禁呪…!?」
「今からでも間に合います…!!」
マーリとカリルの言葉も虚しく、マリスを包んだ赤い光球は大爆発した。
一瞬にして衝撃と炎が広がり、街は再び炎に包まれた。
あちこちで何かが爆発すると、次々に黒い煙が昇る。
「マーリ、ティム、大丈夫ですか?」
「あたし達の村みたい…酷い」
爆発が起こる前に魔法で作り出された防御壁によって命の危機を避けられたカリルは、マーリとティムの様子を確認した。
三人は深く傷を負っていたが、立ち上がると朽ち果てた街を見渡していた。
「そうだ…姉さんっ!!」
ティムは危険を感じて空を見上げた。
街の上空では、光に包まれたレイナが微笑している。
「大丈夫」
レイナは翼を広げて降りていくと光は消えていった。
そして、再び翼が輝きだすとレイナは空に祈りを捧げる。
「…黄昏の糸を紡ぎ、終焉の時を迎えた生命に…今、新たな息吹を…」
レイナが呟くと、突然、周りの空間が歪み、球体が手の中に収まる。
すると、廃墟のような街は元に戻っていた。
レイナの周りに幾つもの小さな光の球が生まれると、倒れて動かなくなった人々の中に入り、次々に息を吹き返した。
「これがレイナの力?」
「姉さん…」
「…レイナ」
レイナが蘇生魔法を使ったことは一度もない。
レイナの未知の力に三人は驚きを隠しきれなかった。
「終わったのかな」
レイナから神々しい光が消えると、普段のような笑顔を見せて溜息を吐いた。
再び、平和な生活が訪れる。
翌日、マリスとの戦いで疲労が重なり、ローザの結婚式は一日延期した。
街の教会に向かう前に、屋敷の一室でローザは鏡に向かって化粧を直していた。
部屋の外から歩く音が聞こえ、誰かが扉を軽く叩く。
「はい」
部屋に入ってきたのはレイナだった。
昨日と違い、翼はなかった。
「失礼します。ローザさんおめでとうございます!…でも、私達も参列してもいいんですか?」
「レイナ様達は、この街を救った女神様!もちろん、出席してください」
鏡越しにレイナを見たローザは立ち上がり、きらきらとした目でレイナを見つめた。
ローザの様子にレイナは困り、慌てて話題を変えようとする。崇められることも讃えられることも経験したことはなかった。
「あ!あ、あの、素敵なドレスですね」
レイナはローザの着ているドレスを見た。
大輪の花が刺繍された純白のドレスとヴェール。結婚式は誰でも憧れるものだろう。
ローザは何かを思いつくと、レイナの耳に顔を近づける。
「…………えーーーー!!」
思わぬ言葉にレイナは耳を疑った。
ローザは笑いながら自分の背中に手をあてている。
数十分後、再び扉を叩く音が聞こえた。
街で買ったばかりの露出していない服を着ているティムだった。
「姉さん。そろそろ教会に向かったほうがいいん……じゃ…」
部屋に入りレイナの姿を見つけると、笑みを浮かべ、何故か逃げるように部屋から出ていってしまう。
すぐに複数の足音が聞こえ、ティムはカリルとマーリを連れて部屋に入ってきた。
「ほお…」
「………レイナ」
マーリとカリルは見慣れない姿に、目を丸くして驚いている。
「やっぱり、女神様のようですわ!」
ローザは別の服に着替えてレイナの姿を見て恍惚としている。
そこには、ローザのウェディングドレスを着たレイナが恥ずかしそうに立っていた。
ローザに何か言われたのだろう、背中には純白の翼が生えている。
「カ、カリル!マーリまで…!」
二人に気づいたレイナは、顔を赤らめて慌てている。
もうすぐ、教会の鐘が鳴る。
教会では祝福の鐘が鳴り響き、屋敷の外では正装したリンカンがローザの前で大泣きしている。
レイナ達は、ローザの幸せに満ちた笑顔を遠くから眺めていた。
「さあ、これからどうしようか?」
普段の服に着替えたレイナは三人の顔を見た。
しかし、カリルはさっきからずっと黙っている。
何かに気づいたマーリはティムの肩に触れた。
「街を出るなら、俺は挨拶してくる」
「あ、あたしもローザさんを見てくる!」
それに気づいたティムも、マーリの後を追って屋敷に向かって歩いていく。
視線を泳がせながら、カリルはレイナを見た。
カリルはマーリとティムの考えていることに気づいていた。
「レイナ」
「…何?」
レイナは何も気づかず笑っている。
気のせいか、カリルが何かそわそわしている。
少し俯いてから、レイナを見た。
「…僕はレイナの事が…好きです」
カリルの言葉にレイナは少し驚いたが、あっけらかんとして笑った。
「当たり前じゃない!嫌いな人と旅なんてしないでしょ?」
「……」
「どうしたの…?」
レイナは笑っている。
いつの間にかマーリが戻り、カリルの肩を叩いた。
ティムはカリルとレイナを見て、大きな溜息を吐いている。
レイナは『隠された言葉』で翼を隠すと、ローザ達に背を向けて歩きだす。
「よし、行こう!」
レイナは街の外に向かった。
これから再び旅が始まる。
「はい、おしまい」
「えー!!もう終わりー?」
部屋の本棚には幾つもの古い書物、壁には過去の歴史のような絵画が掛けられていた。
暖炉の炎が揺れている。
背もたれのついた椅子に座っていた女性は、持っている本を閉じて目の前に座っている子供に笑いかけた。
色素の薄い青く長い髪は鎖骨の辺りで揺れている。
小さな翼を生やした子供は、頬を膨らませ女性を見上げた。まだ聞き足りないのかもしれない。
「この話って、本当にあったんでしょう?僕も旅がしてみたいなー!」
子供は翼を広げると、女性の前で一回転した。目はきらきらと輝いている。
「もっと大きくなった時にね。さあ、もう寝る時間よ。礼拝堂でお祈りをしていらっしゃい」
「はーい」
子供は膨れっ面のまま部屋から出ていくと、扉から半分だけ顔を覗かせた。
「お母様、おやすみなさい」
「おやすみなさい、ラル」
ラルと呼ばれた子供は手を振ると、扉を閉めて廊下を走っていった。
一人になった女性は膝掛けを小さくたたみ、立ち上がる。
「旅は楽しくなきゃ…か」
女性は苦笑すると、椅子の上に書物を置く。
暖炉の火を消すと、何かを思い出すように笑い、部屋から出ていった。
書物の表紙には古い文字で『WONDER WORLD』と記されていた。
fin




