第四章 狂わす月に照らされて
暗く深い闇の中。
何も見えない、何も聞こえない場所でどこからか指を鳴らす音が聞こえてくる。
音は次第に大きくなっていく。
闇の中からぼんやりと白い霧のようなものが浮かび上がり、一つの声が響いた。
「フフフ………待っていてください」
「え………?」
聞き慣れた声と同時に、レイナは目覚めた。
ベッドから起き上がり、頭を抱える。
「夢か…あの声、どこかで聞いたことがある……」
ぼんやりしている意識を働かせても、考えれば考えるほど頭が痛むような気がする。ずっと考えてると意識を失いそうだった。
その時、ドアを軽く叩く音が聞こえる。
「レイナ?起きていますか?」
その声に落ち着い て、やっと状況を理解した。
レイナ達はブリツから南に向かい、スノーフリア付近の小さな村に泊まっていた。
野宿が続き、村に到着したのは明け方、食事より仮眠を選び、各部屋で休んでいたのだ。
寝過ぎていたのか、カリルが起こしてくれたのかは分からない。
「入ってきていいよ」
レイナが部屋から合図を送ると、ゆっくりとドアが開いてカリルが部屋に入ってきた。
部屋に入ると、レイナが座っているベッドの近くにある椅子に腰かけた。
「大丈夫ですか?」
「もう大丈夫。少し寝たか………えっ!!もう夜なの?」
レイナは背伸びをして、窓から外の景色を眺めた。
二時間くらいの仮眠だと思っていたが、すでに日が傾いて、薄暗くなっていた。
レイナは驚いてカリルの顔を見る。
もしも夜だとしたら、明け方に村に到着して半日以上寝ていた事になる。
カリルは首を横に振って答えた。
「いいえ、正確には昼過ぎなんです。村の人達に聞いたところ、最近になって夜の時間が長くなっているそうです」
「スノーフリアから近いからじゃなくて?」
「それもあるかもしれませんが、最近になって雪が降らなくなり急激に寒くなっているみたいです」
二人は最近の出来事を思い返す。
突然マリスが現れ、精霊を見つけては世界を破壊しようとしていた。
精霊が滅び、その魔力は増大し、反対に自然は衰退していくばかりだった。
「おい、二人ともいるか?」
話の途中で、部屋の外からマーリの声が聞こえる。
ドアを叩こうともせず、マーリは部屋に入ってきた。
「マーリ、何か変わった様子はありましたか?」
「ああ、カリルの言う通り、村のはずれにある巨大な石板から大きな魔力を感じた。中に翡翠色の宝石が埋まっていて、何か文字が刻まれているんだが…竜族と異なる古代文字なんだ」
マーリは空いている椅子に座り、足を組んで答えた。
レイナが寝てる間に、二人は何か情報を得たのだろう。
「じゃあ内容は分からなかったんだ?」
レイナもマーリに問いかけた。
地の魔力を感じて村を訪れたが、その時は何も感じられなかった。
「いや、多少なら読めたぜ。確か…天高き輪廻…がどうとか…」
「古代文字は種族で 異なるので、もしかしたら有翼人かもしれませんね」
「分かった。なら、ついてきてくれないか?」
マーリは立ち上がろうとしたが、カリルの言葉によって動きを止めた。
「いえ、もう少し後にしませんか?」
カリルの視線だけでマーリはすぐに察知した。
二人の表情が険しくなる。
「ああ…あれか。何か分かったのか?」
「スノーフリアあたりから何か嫌な気配を感じます。マリスか…」
「…ルト」
二人の会話を聞きながらレイナはぽつりと呟いた。
カリルは感じていた気配に対して嫌な予感がしていた。
「ちょっと嫌な感じがして…。よく分からないけど、夢でルトの声を聞いたような気がするし…」
俯いたままレイナは困惑した。
意識をすればするほどルトの存在を思い出すのに、気が遠くなりそうな気分だった。
両手はベッドのシーツを握っている。
「また後で呼びにきます。今はゆっくり休んでください」
「ありがとう」
カリルとマーリは頷いて立ち上がると、部屋を後にした。
一人になったレイナは立ち上がり、窓から外を眺める。昼過ぎだと言われてもそう思えなかった。
「ルト…」
たくさん寝たような気がするのにあくびが出る。それに頭が痛い。
レイナは倒れ込むようにベッドに戻り目を閉じた。
どこかで指を鳴らす音が聞こえたような気がする。
真夜中の村は静寂に包まれ、明かりは殆ど消えていた。
二階建ての建物は一階は食堂、二階は宿屋になっている。
廊下から扉を閉める音と廊下を歩く音が聞こえた。
音に気づいたカリルは目を覚まし、直ぐに扉を開けて様子を伺う。足早に階段を降りて、静かに扉を開け外に出た人物がいる。
「レイナ?」
カリルはレイナが急に外に出ることに少し驚いたが、気づかれないようにレイナの後を追い始める。
静まり返る村に足音が聞こえる。
カリルはレイナに疑問を抱いていた。部屋に訪れた時は、宿場に備えつけてある白の寝間着だったのに、今は普段着ている黒い服だった。
歩いているうちに村のはずれの林に辿り着いたレイナは、気づいていたかのように後ろを振り返る。
急ぎ足で後を追っていたカリルは、呼吸を整えながらレイナを見た。
レイナの瞳は虚ろだっ た。
「…レイナ?」
「カリル、新しい魔法を考えたの……見て」
虚ろな瞳は何を映しているか分からない。
レイナは右手の指を鳴らす。
突然、カリルの真下から魔法で作り出された黒い鎖が現れ、カリルの身体を締めつけた。
「な………っ!!?」
「誰に教えてもらったと思う?……ルトだよ……」
月に照らされて、うっすらと見えるレイナの影からルトが現れ、後ろからレイナの肩に触れる。
「ルトッ!!」
「お久しぶりです。レイナさんは戴いていきます」
ルトはカリルを見下しながら笑っている。
鎖で縛られ身動きがとれないカリルは、そのまま地面に倒れてしまう。
黒い鎖から霧が噴き出して、黒い結界がカリルを包み込む。
レイナの影から二人が消えていく。
「声が反響してる…?声が外に届かないのか…」
カリルは何とかしようと両腕に力をこめたが、鎖は外れず更にきつく締めつけた。
その時、遠くからマーリの声が聞こえ、足音が近づいてくる。
「おーい!!レイナ、カリル、いるのか?!」
カリルの姿を発見したマーリは驚いて、膝をついてカリルの様子を見た。マーリは黒い結界に見覚えがあった。
「やっぱりルトの気配だったか…ちょっと待ってろ、こういうのは苦手なんだ」
マーリは深呼吸して、両手を前に出した。
「汚れしものの不浄なる全てを取りはらえ…アンチディルク」
呪文を唱えると淡い光がカリルを包み、カリルの動きを封じていた鎖と結界が消えていく。
カリル は立ち上がり、服の汚れを払った。
「マーリ、助かりました。ですが、レイナは…」
「ああ、分かっている。そうだ、この場所は…」
辺りをよく見回すと、カリルが石の壁だと思っていたものは巨大な石板だった。
石板の中心には宝石が埋まっていて、文字のような模様が彫ってある。
「俺が言っていたのはこれだ。読めるか?」
カリルとマーリは石板を見上げて、文字を読もうとする。
「はい、これは有翼人の古代文字です。…天高き輪廻の………」
カリルが目で文字を追い、読み始めた時、カリルの声を遮る声が聞こえた。
「天高き輪廻の万物、大いなる源に臨む理に背く御使い…」
姿は見えないが、声は言葉を紡ぎだしていく。
言葉とともに石板は光り、石板の中から光が現れた。
光は人の形に変わっていく。翡翠のような瞳と髪、尖った耳、そして木々や風ような法衣を纏っている。
精霊はゆっくりと瞳を開いて言葉を発した。
「我ハ地ノ精霊ノーム。我ヲ喚ンダノハ誰デスカ?」
突然の出来事に、カリルとマーリは石板を見上げたまま驚いている。
精霊の問いに答えたのは、林から聞こえた声だった。姿は見えないが、その声はマリスだった。
「俺だ。目の前にいる奴を殺せ!」
木々の揺れる音に混じり、林からマリスの声が響く。
ノームは瞳を光らせ、辺りを見回して笑った。
「オヤオヤ、姿ヲ見セナイ契約者トハ珍シイ…有翼人デスネ?」
「そんな事はどうだっていい!」
返ってきたのは苛々しているような声だった。
「解リマシタ、封印ヲ解ク者ニ従イマショウ」
一瞬にしてノームの表情が変わる。
突然、地震が起こり地面は裂けていく。地面は杭のように迫りあがり、カリルとマーリの間に走る亀裂は二人を離した。
太い木の幹で傍観していたマリスは、漆黒の翼を羽ばたかせどこかに消えていってしまう。
マーリは不安定な状態で立つ事がやっとだった。また、立っていられないカリルは、翼を広げて飛翔する。
目の前にあった石板が変形して、巨大な岩が人形に変わっていく。
「ロックゴーレムか!?」
その姿を見たマーリは驚いて表情を歪める。
ロックゴーレム。特殊な魔法によって生み出された魂の宿った岩の人形であり、簡単な命令や作業しか動くことが出来ないものだった。
ロックゴーレムはカリルに襲いかかり、ノームは空中からマーリに襲いかかる。
ロックゴーレムはカリルの身体の何倍もある大きな拳を振り上げて殴りかかるが、動きが早くないせいか簡単にかわしてしまう。
「ルトは何を企んでいるんだ…?」
攻撃を避けている間にカリルは考えながらぼそぼそ呟いていたが、背後からノームの放った魔法の弾がカリルの背中を直撃した。
「ぐああああっっ!!」
ノームに気づかなかったカリルは、そのまま地面に振り落とされてしまう。
「カリル!」
「確カ、有翼人ハ我ノ力ニ弱イ種族デシタネ」
ノームは笑いながらマーリに接近して魔法を放つ。
しかし、マーリは攻撃をかわし、間一髪で木の幹に着地すると魔法を打ち返した。
「プラズマアースッ!!」
電流を帯びた魔法球は木々にぶつかり、音を立てながらいっせいに倒れ始める。
マーリも木の幹から離れ、安定できる地面に着地した。
「フリーズブレード!!」
マーリは右手で氷の剣を作りだし、足場の悪い地面の上を渡っていく。
「行くぜ!」
カリルは頷いた。カリルの魔法は完成していた。
「フレアトルネード!」
カリルが両手を前に突き出すと、渦を巻いた紅い球が生まれ、ロックゴーレムに直撃する。
ロックゴーレムの表面が赤く変色していく。
「…サセマセンヨ」
何かに気づいたノームは、マーリに接近して魔法を放つ。
空は曇り、空から幾つもの雷が降りそそぐ。しかし、マーリは瞬時に雷をかわしていく。
「ブレスウインド!」
炎の渦に包まれたロックゴーレムに向かって、マーリが風の刃を生みだす。
その風の刃の後に続くように、マーリは氷の剣を振り上げてロックゴーレムに切りかかった。
風の刃が炎の渦とロックゴーレムの表面を切り裂き、氷の剣が熱を帯びた表面に突き刺さると、巨大な身体は大きな音をたてて崩れてしまう。
石の塊は動くことはなかった。
マーリは額に汗を浮かべながら、カリルとの距離を縮める。
カリルは次の呪文を詠唱している。精霊を目の当たりにしてから、並の魔法では通じないと気づいていたからだ。
カリルは両手で印を結び、真下には光り輝く魔法陣が描かれていく。
マーリも静かに目を閉じて、小さく呪文を唱えた。真下には黒く輝く魔法陣が唸り声をあげるように、光っている。
「ホーリークロスッ!!」
カリルが両手を重ねて前に突き出すと、矢のような光線が現れ、不規則な動きでノームに向かって加速していく。
マーリの魔法も完成する。
「ダーククラッシュ!!」
マーリが言葉を発動させると、ノームの上空に暗闇の球体が現れ、徐々に膨らんでいく。
カリルの放った光線は吸い寄せられるように闇の球体に絡まり、螺旋を描くように交わっていく。
突然、光と闇の球体から異様な空気と重苦しい気配を感じ、カリルとマーリは空を見上げる。
それが存在しているだけで身体は震え、心臓が潰される衝動に襲われた 。
二人は苦しそうに胸を押さえ呼吸を整えながらも、それから視線を反らすことが出来なかった。
光と闇の球体の中からうっすらと紅い瞳が見えて、眼球が何かを威嚇するように動き始める。
「あれは…何だ?」
「発動に失敗したわけではないようですが…」
光と闇の球体はノームを飲み込んだ。
球体の中から雷鳴が轟いた直後、ノームの掠れた叫び声があがる。
「アアァァーーーーッッ!!」
球体に映る紅い瞳がゆっくりと閉じると、球体そのものは消えていった。
そこにノームの姿は無く、雲が晴れた夜空が広がっていた。
「終わった、のか?」
「分かりません…ですが、あの紅い瞳は何だったのでしょうか…?」
カリルは大きく深呼吸をして、冷静になろうとしていた。
その時、二人の背後から足音が聞こえる。
倒された木々をまたぎながらレイナが姿を現した。
「カリル?マーリ?……良かった、ここにいたんだ」
レイナはにっこり笑って二人に近づこうとするが、カリルの表情が変わった。
カリルが怒っている。
「…どういう事ですか?ルト!」
カリルの言葉に驚いたレイナは俯いて、身体を震わせている。
しかし、次の瞬間、人が変わったように笑いだした。
「ハハハッ!…簡単にばれてしまうものなんですね。でも、貴方達は迂闊に手を出せないでしょう?」
レイナの身体から、レイナとルトの声が重なって聞こえる。
ルトがレイナの身体に乗り移ったのだ。
ルトはただ無防備に立って笑っている。
「ルト!何を企んでいる?」
マーリの声に動じず、ルトは腕を組んで考えたフリをする。
「以前はある人に依頼されてレイナさんに近づきましたが、今はレイナさんに興味があるだけです。僕の術を破った。それと、大天使ユルディスの愛娘でありながら翼が生えない…というのもありますが…」
ルトは自分の身体のように、両手を掲げ小さく呪文を唱えた。
刺のような黒い球体が生まれ、ルトの両手から離れて加速する。
球体はいくつもの槍に変わり、マーリを狙う。
「リフレクト!!」
マーリは瞬時に魔法壁を作りだし、ルトの魔法を跳ね返そうとしたが、黒い槍は魔法の壁を貫いてマーリの身体を直撃した。
「ぐああああぁぁっ!!」
「魔法壁を破った……?」
その様子を目の当たりにしたカリルは驚愕した。
レイナの滞在能力かルトの魔力か分からないが、魔法を打ち破るということは、マーリの魔力を越えていたのだ。
カリルは思い出す。以前、レイナが操られていた時、呪文の詠唱無しで闇の高等魔法を発動していた。
魔法を受けたマーリは全身に傷を負い、倒れてしまう。
マーリはすぐに立ち上がり、反撃しようと呪文の詠唱を始めた。
しかし、カリルは動きを止めるように片手をマーリの前に出した。
「いけません。操られていても、レイナはレイナなんです」
「分かってる!でも、どうしろって言うんだ?!」
カリルは腰に下げていた短剣を抜いて、構えた。
カリルが剣を構えるのは、滅多に無かった。
「いいんですか?レイナさんが傷つきますよ?」
ルトは笑いながらカリルに近づく。
カリルは剣を構えたまま走り、ルトとの距離を縮める。
カリルが切りかかろうとした瞬間、申し訳ないように呟いた。
「………すみません」
カリルは剣を捨て、レイナのみぞおちを殴った。
「な…………に……?」
腹を抱えてうずくまる身体は二つに別れ、ルトの身体だけどこかに消えてしまった。
倒れたレイナの身体は大きく痙攣すると、苦しそうに咳をした。
「カリル……?マーリ?」
「本当にすみません、でも…これしか浮かばなかったのです」
小さな声で呟いたレイナは状況を把握しようとした。
カリルはレイナの身体を支えて立ち上がらせる。
「マーリ!その傷…」
「気にするな。それより、何があったか話せ」
レイナは全身に傷を負ったマーリの姿に驚いた。
レイナのことを考えたマーリも、レイナに気を使わせないように話を変えようとした。
「…二人が部屋から出ていった後、激しい睡魔に襲われたと思ったら、急に指を鳴らす音が聞こえたの…私、もしかしたら…」
レイナの悲痛な声を遮ったのはカリルだった。
互いに言いたい事は分かっていた。
レイナは自分がルトに操られ、二人を傷つけたかもしれないという罪悪感。カリルとマーリは分かっていてレイナに言わせないようにしているのだ。
「このままルトやマリスに好き放題させるわけにはいかない」
マーリは不快な顔をした。
その横でカリルが呪文を唱えている。マーリの身体が淡く光り、傷口が塞がっていく。
「手がかりが見つからないなら、大きな魔力を頼りにするしかありませんね…」
三人は顔を見合わせて頷いた。
「ごめん……宿に戻っていい?」
レイナは安心したのか大きな欠伸をする。満月は出ているが、正確な時間が分からない。
「ええ、少し休みましょう」
「宿に戻るか」
マーリは片手をかざして目を閉じると、周りの空間が凝縮して球体のように変化して消えていく。
倒れていた木々は元に戻っていたが、巨大な石板はどこにも見当たらなかった。
「マーリ…結界を張っていたんですね」
「さっきここに来た時にな」
マーリは溜息を吐いて答えた。少なからず疲れているのだろう。
三人は林を抜けて、宿屋に戻っていった。




