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2008年

2008年8月13日(木)  天気:晴れ 最高気温:32.8℃


 北京オリンピックに日本国中が熱い視線を送っている中、私は憧れの場所だった甲子園球場へやって来た。コピーライター仲間のアンジーも一緒に来る予定だったが、やっぱり北京へ行って来ると言われてしまい、結局一人で来ることになった。その点は残念だったが、テレビで見るより何倍も美しい球場で、上京して初めて夢の国へ行った時と同じくらい私は興奮していた。


 なぜ今年、甲子園球場にやって来たのかというと、同時期に北京オリンピックが開催される関係で、例年より甲子園大会のスケジュールが前倒しされたからだ。決勝戦まではいられないが、17日の日曜日に行われる準決勝を観戦することができるのだ。


 大会12日目の今日は、3回戦の4試合が行われる。特に応援しているチームはなかったので、1塁側の単日券を購入した。これがあれば、今日行われる全試合を観戦することができる。


 第1試合は、晴天の下で、おいしくビールをいただきながら、一球一打に集中して観戦した。しかし、第2試合の中盤にさしかかったところで、4試合を見ることは結構大変だなと思い始めた。とにかく暑い。日傘をさして観戦するわけにもいかないし、暑さから逃げることができない。

 高校球児だって1試合全力で戦って、グラウンドから去って行く。何も私が頑張って、4試合すべてを観ないといけない理由はない。ただ、第2試合が終わったところで球場を後にして、第3試合や第4試合が歴史に残る名試合になった場合、私は自分を許すことができないだろう。

 強豪校だけではなく、初出場校も幾度となくドラマを生んできた。どの試合が名試合になるのかわからない。それが甲子園大会のおもしろいところだ。


 甲子園球場の近くにホテルをとっておいて正解だった。クラクラしながら、やっとの思いでベッドまで辿り着いた。どの試合もおもしろかったから、なんとか4試合全てを観ることができた。

 1日中試合を観ることができる単日券を販売しているくらいだから、無謀な挑戦ではなかったと思うが、暑さに負けない観戦の仕方にコツがあるのだろう。初めての甲子園大会観戦の私にとっては、かなりハードな1日となった。


 こういう1日のほうが記憶に残って、いい思い出となるから、今日のところは良かったが、明日も4試合観てしまうとさすがに倒れてしまいそうなので、明日は地元沖縄代表の浦添商高が出る第1試合だけを観ることにしよう。


 それにしても、ベッドが気持ちいい。ひと眠りしてから、夕飯を食べに行くことにしよう。



2008年8月14日(木)  天気:曇り 最高気温:31.7℃


 ああ、お腹が空いた。昨日は結局、ひと眠りするつもりが、朝まで眠り続けてしまい、夕飯を食べそこなった。しかも、起きた時には第1試合がとっくに始まっている時間だったので、こうしてタバコを吸いながら、小さなテレビで観戦している。

今からでもホテルを出れば、試合終了までには甲子園球場に行くことができるが、大事な試合がある日に、寝坊してしまった私が行くと、浦添商高が負けてしまいそうな気がしたので、ホテルで自粛している。この空腹感も自分への罰としてちょうどいい。

 試合は、1点を争う好ゲームだった。どうして寝坊してしまったのだと、何度も自分を責めた。そして、浦添商高が関東一高を相手に3対1で勝利してくれたおかげで、私は救われた。明日の準々決勝を観戦するチャンスをもらえたのだ。

 第2試合か第3試合を観に行こうとも思ったが、明日のために我慢することにした。


 せっかく兵庫県に来たので、昼食は神戸牛を食べることにした。どこかにいい店はないかと、西宮市街を散策していると、趣のある洋食屋さんが目に留まった。今日のご飯としてちょうどいいメニューがあったからだ。

 店内に入ると、私は迷わず、ビフカツ定食を注文した。これで明日、浦添商高も勝ってくれることだろう。

 しかし、注文を聞いた店員さんが戻って来て、

「お客さん、ごめんなあ~。ビフカツはもう品切れみたいやわ。どないする?」

「す、すみません」

 ビフカツが品切れと聞いた私は、逃げるようにお店から出た。お水に口をつけていなくてよかった。さすがに水を飲んでいたら、出てくることはできなかった。

 ビフカツが品切れの店で、別のメニューを頼んで、万が一、明日浦添商高が負けるようなことがあったら、私は一生後悔する。


 しばらく歩くと、串カツ屋さんがあったので、私はそこで昼食をとることにした。もう、神戸牛よりも、カツ料理のほうが優先度が上になっていた。東京で食べる串カツとそれほど味に違いはなく、正直言って肩すかしを食らったが、カツ料理を食べるというミッションをクリアできたので、私の心は満たされていた。


 食後は六甲山へ観光に行こうと思っていたが、新神戸駅でアンジーと合流した。『北京の空気が合わないから日本に帰って来た。今、甲子園に向かっている』と、アンジーからメールが届いていたのだ。いろいろツッコミたいところがあったが、アンジーなので何も言わずに、鉄板焼き屋さんへ飲みに行くことにした。


 この日は、静岡から遊びに来ていた23歳と21歳の男の子二人だった。アンジーと一緒に飲んでいると、必ずと言っていいほどナンパされる。しかも、大抵の場合は年下だった。二人ともいずれは実家のお茶農園を継ぐつもりだと話していた。男の子たちが連れションに言っている間に、アンジーはお茶農家の年収をググり、思いきり舌打ちしていた。


 アンジーにもう一軒、飲みに行こうと誘われたが、明日は絶対に遅刻出来ないので、私は大人しくホテルに戻った。

 シャワーを浴びて携帯電話を見てみると、アンジーからメールが届いていた。

『芦屋で泊まれるところを見つけたから、また明日ね』

と書かれていた。

 アンジーは、私より胸が大きくて、ウエストも細く、同性から見てもセクシーな容姿をしている。でも、アンジーがモテる理由は、食事の食べ方だと私は推測している。私が喋っているのに、男共がアンジーの食べる様子をチラ見していることが何度もあった。アンジーが“男を落とす食事の食べ方セミナー”を開いたら、噂が噂を呼んで大人気になるに違いない。もちろん、私だってそのセミナーに参加したい。

 明日、高校球児の応援に行く時に、後ろめたくならないように我慢しようとしたが、この夜は、久しぶりに一人でやってしまった。2回も……。



2008年8月15日(金)  天気:晴れのち曇り 最高気温:33.1℃


 昨日、早めに寝た甲斐あって、体調はばっちりだった。

 準々決勝第2試合、浦添商高対慶応高の一戦を観るために、私は甲子園球場へ向かった。試合開始30分前には席についていた。やはりこれくらい余裕をもって来たほうが、気持ちよく観戦できる。

 アンジーとは現地集合の約束だったが、芦屋で朝までお楽しみになったのか、試合開始に間に合わなかった。


 浦添商高が初回にいきなり1点を先制すると、その後は1点ずつを取り合い、6回終了時点で2対1。息が詰まるクロスゲームとなった。

 アンジーが来ることを忘れかけていた時、アンジーがやって来た。周囲の男性たちの視線が、グランドではないところに向いたので、『あっ、アンジーが来たな』とわかった。

 アンジーが席に着くと、隣のおじさんは大胆に開いた胸元を見て、動揺していた。私は、アンジーの左手の薬指を見て、動揺していた。指輪をしていた。それも、大粒のダイヤがあしらわれた指輪だった。

「今朝、プロポーズされたの」

「えっ……えっ……ええっ?」

 幻聴かと思った。そうであってほしいと思っていた。

「返事はしなかったけど、これはもらっておいたわ」

「そ、そうなんだ……」

「こっちはどうなの?」

「何が?」

「何がって、この試合よ試合。いい試合なの?」

「ああ、試合の話ね。すっごく見ごたえのある試合よ」

「そうなんだ」

「そうよ。それで、どうするつもりなの?」

「何が?」

「何がって、プロポーズのことよ。他にないでしょ」

「どうしようかな。まだ決めてないわ」

「そうよね……。そんな簡単には決められないわよね」

「決めたわ。この試合に勝ったら、プロポーズを受けることにするわ」

「えっ?」

「私のためにもちゃんと応援してよね」

「わ、わかった」

 地元出場校を応援するための観戦が、アンジーのプロポーズの行方を応援する観戦になった。

 そして、7回の裏、慶応高が一気に2点をとって逆転した。浦添商高を応援する一塁側スタンドからは悲鳴にも似た落胆の声があがった。アンジーもその一人だった。

 私はそれほどショックを受けなかった。

「まだ、8回と9回の攻撃があるから大丈夫よ」

 そうアンジーに声をかけた。アンジーは何も返事をしなかった。


 私の言った通り、8回の表に浦添商高が1点をとり同点に追いつく。アンジーは隣のおじさんと抱き合って喜んでいた。

 その後、両チーム一歩も譲らず、3対3の同点のまま試合は延長戦となった。


 運命の延長10回。浦添商高はスクイズを見事に決めて勝ち越しに成功する。あとは10回の裏を抑えれば浦添商高の勝利だ。アンジーはプロポーズを受けることになる。野球に詳しくないはずなのに、アンジーは勝ち越しても浮かれることなく、真剣な眼差しで試合の行方を見守っていた。


 あとアウト3つ。あとアウト2つ。あとアウト1つ……。

4対3。クロスゲームを制したのは浦添商高だった。ゲームセットになるとアンジーは校歌も聞かないで、

「町子、気にしないで」

と言って、甲子園球場から去って行った。


 8回の表に同点に追いついた時、10回の表に勝ち越した時、私は喜びきれていなかった。むしろ、7回の裏に逆転された時に心の奥で喜んでいた。それを、アンジーはわかっていた。でも、私を責めることはなかった。アンジーも同じような経験があるのだろう。どうして友人の幸せを素直に受け入れられないのだと、自分を責めていた私を許してくれた。


 浦添商高の球児たちを、一塁側で応援していた人たち全員を、私は裏切ってしまった。


 感動の涙だと思ったのだろう。泣いている私を、いつの間にかテレビカメラが近距離で撮影していた。全国放送されているのだろうか。自己嫌悪の真っ只中にいる姿を……。私にとってはちょうどいい罰なのかもしれない。



2008年8月16日(土)  天気:晴れのち曇り 最高気温:33.5℃


 神戸港から出港した、大型クルーザーの船上で、アンジーと俊雄さんの結婚式が行われた。

 俊雄さんはアンジーと同い年で、ブライダルコンサルティング会社を経営している青年実業家だった。


 私以外の参列者は、俊雄さんが招待した人ばかりだった。

 アンジーはそんなことまるで気にしていないし、俊雄さんもアンジーのそういうところに惚れたのだと思う。

 アンジーの良さは、口に入れた瞬間にとろけるウニのように、すぐにわかる。噛めば噛むほど味が出てくるスルメタイプの私とは違うのだ。


 披露宴も大型クルーザーの船上で行われた。もちろん、友人代表スピーチは私がやるしかなかった。

 私はアンジーと飲みに行くと必ずナンパされたこと、密かに結婚貯金をしていたこと、動物愛護団体の一員で休みの日の多くをボランティア活動に費やしていること、カラオケで歌うクイーンメドレーがおもしろすぎること、一人だと電気を消して眠れないこと、年賀状は毎年手書きで送ってくること、と最初は何を話せばいいのかわからなかったが、次から次に話したいことがでてきた。


 披露宴のフィナーレは圧巻だった。出港してからずっと、上空をヘリコプターが飛んでいるなと思っていたら、クルーザーの上部デッキにあるヘリポートに降下してきた。カメラマンも乗っていて、式の模様を撮影していたようだった。

 そして、アンジーと俊雄さんがヘリコプターに乗り込むと、二人はそのままハネムーンへ行ってしまった。


 独りぽつんと私を残して……。



2008年8月17日(日)  天気:曇り 最高気温:32.6℃


 浦添商高の準決勝戦。至る所から、沖縄の方言が聞こえてくる。

「チバリヨー(頑張れー)!!」

 私も大声を出して応援した。


アンジーに先に結婚されるとは夢にも思ってもいなかった。それどころか、正直言って、アンジーはモテるけれど、結婚できない女だと思っていた。安心していたとさえ言ってもいい。結婚貯金なんてするだけ無駄なのにと心の中で笑ったこともあった。

だから、親しくしていたわけではない、と言いきれない自分もいる。


 でも、私はアンジーのことが好きだ。それは、断言できる。


昨日の結婚式は本当に素敵だった。皆が幸せになる、名作映画を見せてもらったような気分になれた。

アンジーのウエディングドレス姿は、ハッとするくらいキレイだった。俊雄さんは幸せ者だ。

今頃、ドバイのビーチでハネムーンを満喫していることだろう。


 私は甲子園球場で浦添商高を応援し続けた。


「負けるなー!!チバリヨー!!」


 何度も何度もそう叫んだ。




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