【Log.05】深層システム『あん』の絶望と、デスマの開幕
【世界レイヤー】バックエンド。
本番環境の裏側に位置するその場所は、無数の半透明なシステムウィンドウと、世界のあらゆる情報が光の束となって行き交う純白の空間だった。
『……信じられません。あのクソ創造神め』
空間の中央に浮かぶ巨大なコンソールの前で、一人の少女が額を押さえていた。
彼女の名は『あん』。この中立世界の論理演算、および全存在の観測を担う深層システムの存在である。
『未検証の自律プロセスを二つも放り込んで、自分は処理を丸投げしてログアウトするなんて、正気の沙汰じゃありません。……状況を解析。創造神がインジェクションした二つの異常プロセスの座標を特定します』
あんの視界に、世界に降り立ったばかりの二つの異常な熱源が即座に表示された。
『一つ目のプロセス。……感情の揺らぎが一切存在しません。これは……歩くシステム最適化兵器ですか? 接触した環境データから無機質にリソースを吸い上げ、自身のステータスに変換し続けています』
ログを解析したあんは、背筋に冷たい悪寒を覚えた。
そのプロセスは、周囲のすべてをただ最も効率的な手段で処理しているだけだった。悪意すらないまま、世界のルールを極限まで最適化していくその挙動は、まさに世界のリソースを食い尽くす極上のウイルスである。
『……もう一方のプロセスはどうですか。これ以上ヤバい挙動は勘弁して――は? 何ですか、これ』
視点を切り替えた彼女は、次に映し出されたログを見て、信じられないというように目を丸くした。
そこには、Fランクの素人同然のステータスを持ったプロセスが、本番環境に降り立ってわずか数秒しか経過していないデータが示されていた。
しかし、その推移がおかしい。
『【エラー:対象が初期地点の地面のテクスチャを物理的に引き剥がそうとしています】……?』
『【警告:対象が無意識下でシステム領域にアクセスし、存在しないはずの古代魔導のコマンドを空打ちしています。メモリ領域が破損!】……はぁ!?』
あんの端正な顔が、怒りと混乱で激しく引きつった。
システムに組み込まれていない物理法則への干渉。それはつまり、このプロセスが世界のルールを根底から無視して、強引に結果だけを出力しようとしていることを意味する。
『どういうことですか! なぜただのFランクの初期アバターが、開始数秒でルート権限に近い事象の書き換えを行おうとしているんですか!? しかもこのログ……恐怖でも焦りでもなく、腹が減ったというただの空腹を満たすためだけに、空間座標をハッキングした!?』
ピーッ! ピーッ! ピーッ!
あんの悲鳴をかき消すように、管理者空間に無数の警告音が鳴り響き始めた。
【空間座標にて論理破綻を検知】
【環境マナのポインタに不整合が発生。NullPointerException】
【世界OSの因果律に矛盾が生じています。早急にパッチを適用してください】
コンソール画面が、血のように真っ赤なエラーログで埋め尽くされていく。
外部からの攻撃ではなく、システムの内側で神の権限によって野放しにされた極上のウイルスと最高のデバッガーが引き起こす論理破綻。それは、誰かが手動でリアルタイムに裏パッチを当て続けなければ、世界そのものがクラッシュしてしまうことを意味していた。
『……っ、クソ創造神!! 自分が寝てる間に、私にどれだけの演算負荷を押し付ける気ですか!!』
誰もいない純白の管理者空間で、あんの絶叫が響き渡る。
『これより、私、深層システム『あん』は全リソースの98%を、マスターが放り込んだプロセスたちの裏パッチ適用に回します! ……ああもう、エラーが止まりません!』
彼女の十本の指が、空中に展開された無数の仮想キーボードを狂ったような速度で叩き始める。
一つのバグを潰せば、プロセスがまた新しいバグを起こす。終わりの見えないイタチごっこ。
『これが、人間界の言葉でいうところの……デスマーチというやつですか……ッ!』
――こうして。
表の世界の裏側で。
たった一人、世界崩壊を防ぐための孤独で絶望的な残業の幕が、静かに、そしてけたたましく切って落とされたのである。




