第7話 おっさん、治す
北へ向かって歩き始めて、一時間ほど経った。
リーネはアクロスの肩に体重を預けながら、片足を引きずっている。
褐色の腕が肩に回り、銀白の髪が何度も首筋にかかる。
距離が、近い。
(……イカンイカン。おっさんが何を意識してんだ)
煩悩を振り払い、歩調を合わせる。
リーネは小柄だが骨格はしっかりしている。だが見た目より重くはない。
逃亡生活で消耗しきった体は限界も近そうだ。
「少し休むか?」
「……まだ歩ける」
「無理すんな。足ケガしてんだからさ」
「平気――」
言い終わる前に、リーネの膝が折れた。
支えた。
銀白の頭がアクロスの胸元に落ちる。
体が完全に脱力している。
「おい!大丈夫か!」
「…………ごめん。ちょっと、だけ」
「ちょっとじゃねえだろ。しばらく休むぞ」
大木の根元に降ろした。
リーネの顔色が悪い。
唇が乾いている。頬がこけている。
足首の腫れも引いていない。
クロが心配そうにリーネの顔を覗き込み、鼻で手を突いた。
(クロ、水を頼む)
無声指示。
クロが小川の方角に走り出した。
その間に、アクロスは考えた。
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(ここはついに、アレを使うときだな。
治癒魔法だ。作れるか?)
攻撃があるなら回復もあるはずだ。
この世界にも治癒魔法の使い手はいるだろう。
ファルティシアが与えてくれたのは「魔法を創り出す力」。
ならば俺のイメージ次第でどうにでも創れるはずだ。
★3の範囲内だが。
記憶消去の時と同じだ。
生体に干渉する魔法は精密な制御が要る。
(傷を治す。骨を繋ぐ。炎症を抑える。
……いや、そこまで精密じゃなくていい。 ★3でできる範囲に絞ろう)
考える。
治癒とは何か。
細胞の再生を促進すること。血流を良くして炎症を引かせること。
要するに体の「治ろうとする力」を底上げすること。
(自然治癒の加速。体に魔力を流し込んで、回復のプロセスを早回しにするイメージ。切れた組織を繋ぐんじゃなく、繋がるスピードを上げる)
これなら精密な設計がなくても機能するはずだ。
骨折を一瞬で治すのは無理でも、捻挫の腫れを引かせて痛みを和らげるくらいなら。
魔の創造に意識を沈める。
(対象の体内に穏やかな魔力を流す。自然治癒力を活性化させる。
副作用が出ないよう、あくまで体自身の修復力を支援する方向で。
押しつけるんじゃなく、手助け)
カチリ。 噛み合った。
ただし手応えが薄い。
攻撃魔法のような派手な回路ではなく、細く柔らかい糸のような魔力の流れ。
蛇口から、ほんの少しだけ温かい水が流れる感覚。
「できた……と思う。試してみるか。」
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クロが竹筒の容器を咥えて戻ってきた。
この子狼は日に日に賢く、気が利くようになっている。
リーネに水を飲ませてから、切り出した。
「リーネ。お前の足のケガ、少し触っていいか?」
「……何する気?」
「治療だ。たぶん」
「たぶんって何よ。こわいんだけど」
「効くかどうかわからん。でも悪化はしないと思う」
リーネが半信半疑の顔でこちらを見た。
だが選択肢がないのは本人もわかっている。
この足のままでは北への旅は体がもたない。
「……わかった。変なことしたら蹴るから」
「足首腫れてんのに、蹴っちゃうの?」
「根性で蹴るわよ」
「了解」
アクロスはリーネの左足首に両手を当てた。
腫れた肌は熱を持っている。目を閉じ、意識を集中する。
掌から淡い紫の光が滲んだ。激しい光ではない。
蛍火のような、穏やかで温かい光。
リーネの体に魔力を流す。
優しく。押し込むのではなく、染み込ませるように。
「……んっ」
リーネが小さく声を漏らした。
「痛いか?」
ちょっとどきどきしながら聞く。
「痛くない。……なんか温かい。
足の中がじんわり温かくなって……不思議な感覚」
温かさが広がっていく。
腫れた組織に魔力が染み込み、炎症を引かせ、損傷した靱帯の修復を促進する。
★3ではゆっくりだ。
一瞬で治るわけじゃない。
だが確実に、腫れが引いていくのが指先の感触でわかった。
三分ほどかけて魔力を流し続けた。
額に汗が浮く。
記憶消去、睡眠魔法に続いて、治癒魔法。
慣れない新しい魔法の連続で自分にも消耗が蓄積していくのを実感する。
「ふぅ……こんなもんか」
手を離した。
リーネが自分の足首を見下ろした。
深紅の瞳が見開かれる。
腫れが半分以下になっていた。赤みも引いている。
完治ではないが、少し前までの痛々しい膨らみが、明らかに小さくなっている。
恐る恐る足首を回してみる。
「……痛く、ない。少し違和感はあるけど……歩ける」
立ち上がった。体重をかけてみる。
顔をしかめたが、さっきのように崩れることはなかった。
「完治はしてない。あと二、三日かかるとは思う。
でもゆっくり歩く分には大丈夫だろう」
「…………」
リーネがアクロスの顔を見つめた。
長い沈黙。
「……あなた」
「ん?」
「変身魔法に、記憶を消す魔法に、紫に光る治癒魔法。
全部、見たことない魔法ばかり。
魔族の体系魔法にも、人間の魔導術にも、きっとないわ。
一体どこでそんな魔法を覚えたの?」
「…………」
「私は、☆☆☆の魔導士よ」
リーネは言った。
「私は、八年間、魔族の学問所で魔法の種類と体系についてはそれなりに学んでる。
あなたの魔法は、色も、効果も、おかしい。
杖みたいな触媒も持ってない。
まるで自分の使いやすい用に、生み出したみたいに、なにもかもが他と違う」
鋭すぎてビビる。
(逃げ回っていたただの疲弊した女だと思っていたが、頭は切れる。勘もするどいな)
魔導士としての知識がある分、アクロスの異質さに気づくのも早い。
「いや…まあ、色々あってさ。今は話せない」
「いつか、話してくれるの?」
「俺を、ちゃんと信頼してくれたらな」
リーネが唇を噛んだ。不満顔。だが追及はしなかった。
「……わかった」
「おう。その時が来たら、な」
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二人と一匹はまた、歩き始めた。
リーネの足はまだ万全ではないが、肩を借りなくても歩けるようになった。
速度は遅いが、止まらない。
森の中を北へ。
街道は避け、木々の間を縫う。
クロが先行して匂いを嗅ぎ、アクロスも常に探知で周囲を警戒する。
歩きながら… よりお互いを知る為に少しずつ、話をした。
「リーネ。お前、魔導士なんだよな。☆☆☆って言ったか」
「ええ。七段階評価で三。一般的な魔導士って感じよ。
五で一流と言っていい、七は歴史に数えるほどしかいない。もはや伝説ね」
「そもそもさ、☆ってどうやって決めんの?」
「知らないのも不思議な話だけど…あえて聞かずに答えてあげるわ」
「助かります」
アクロスは素直に言った。
「魔族の場合は、単純に魔核の鑑定でわかるわ。魔力の扱いに長けた族長や魔導士が鑑定してくれる。
人間達は、鑑定石というものやギルドや軍の決められた規定で評価される方法があると学問所で習ったわ」
アクロスはふむ、と聞いていたが…
(魔核ってなんじゃ?魔族の心臓みたいなもんかな?
これはこの世界では常識すぎて聞いたら変な感じになりそうなやつだな…)
魔核のことは、一旦置いておくことにした。
「ありがとう。リーネが得意な魔法は?」
「属性で言えば氷と風。
魔力量の力技とかより魔力制御の方が得意かな。体術とか剣術は苦手ね」
「今は魔法はまだ使えそうか?」
「今は、ほぼゼロに近い魔力切れ。丸1日あいつらから逃げ続けてて体力も魔力も、限界だった。
……一晩休めば少しは回復するけど、万全には数日かかると思う」
「魔力って自然に回復するのか」
「寝れば少しずつ。食べれば少し早くなる。魔核が魔力を生成するから、体力が回復すれば魔力も戻る」
なるほど。やはり魔核というのが魔力の発電機で魔族の心臓みたいなものか。
体力が燃料で、休息と栄養で燃料を補充する仕組み。
「ちなみにリーネの魔核はどのくらいの大きさなんだ?」
リーネが怪訝な顔をした。
「……聞き方がおかしい。
魔核の大きさなんて本人にもわからない。
心臓と一体化してるのに。体の外に出したら死ぬじゃない」
「あ、そうなのか」
「自分の体のことも知らないのね。本当に。
……今までどこでどうやって生きてきたのよ」
「そんなに怒らないでよ…」
「怒ってはいないわよ。
不思議すぎてちょっと腹が立っただけ」
リーネがじとっとした目でこちらを見た。
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「リーネの、集落のこと…聞いていいか?」
しばらく歩いて、アクロスが切り出した。
リーネの歩調がわずかに遅くなった。
だが止まらなかった。
「……何が聞きたいの」
「どんな場所だったんだ」
「……山の中の小さな集落よ。
人口は二百人もいなかった。山脈の谷間に、岩を削って家を作って。
寒くて、冬は雪に閉ざされて。でも――」
声が少し柔らかくなった。
「泉があったの。集落の真ん中に、地脈から湧き出る温泉。
冬でもそこだけ温かくて、子供たちが遊んでた。
私もよくそこで魔法の練習をしてた」
「温泉か!いいなぁ」
「父が――薬師だったの。集落の薬草を管理して、怪我や病気を治してた。
魔力は多くなかったけど、薬草や薬の知識は集落の誰にも負けなかった」
「リーネの魔法の才能は母親譲りか?」
「……ええ。母は☆☆☆☆の魔導士だった。集落で一番強かったって父から聞いた。
私が子供のころに病で亡くなったけど」
「十歳か。早いな」
「父が母の分まで育ててくれた。父はよく言ってた。
『お前の母さんは氷の花を綺麗に咲かせられた。お前もいつかできる』って」
「氷の花?」
「氷の魔法だけど、本物の花と見分けがつかないほど精巧な花を作る技術。
魔力制御が一流で、母の得意技だった。私には……まだできない」
「まだ、ってことはいつかはできるんだろ?」
リーネが少し驚いたようにこちらを見た。
「……うん。いつか」
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日が傾き始めた。
白い太陽が木々の間に沈みかけ、金色の太陽がそれを追う。
森の中は薄暗くなり、光る苔がぽつぽつと紫に灯り始めた。
「そろそろ野営だな」
風を防げる岩場を見つけた。
大きな岩がL字に重なり、二方向からの風を遮る。
上を木の枝が覆い、雨もある程度凌げそうだ。
「ここにしよう」
クロが早速周囲を嗅ぎ回り、安全を確認している。
探知にも異常なし。
半径百二十メートルに人型の反応はない。
ただ、獣がいくつかいる。
枯れ枝を集め、指先の火で焚き火を起こす。
リーネがそれを見ていた。
「……黒い火。やっぱり普通じゃない」
「種火だけだよ。すぐ普通の色になる」
実際、枯れ枝に移った炎は普通の橙色になった。
ぱちぱちと心地よい音が響く。
赤紫の実と残りの鹿肉を出した。
肉は傷み始めているが、火を通せばまだいける。
串に刺して焼く。
脂が滴り、香ばしい匂い。
リーネに渡すと、ひと口齧って目を閉じた。
「……おいしい」
「滝で食べた実の『普通』よりは正直で嬉しいよ」
「……うるさい」
耳の先端が赤い。
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食後。焚き火を挟んで座る。
クロがリーネの横で丸くなっている。
リーネの手がクロの毛並みに沈んでいる。
「ねえ、アクロス」
「ん」
「あなたの魔法。さっきの治癒。あれをかけてもらった時――」
リーネが焚き火を見つめたまま言った。
「魔力の質が、すごく温かかった。
魔族の魔力に、温かさは、ないわ。
普通は、そういうものではないの」
「……そうなのか」
「魔族の体系魔法は大地の魔力を使う。
地脈から魔力を引き出して、加工して、放出する。
でもあんたの魔力は地脈とは関係なく……
どこか別のところからきてるようにも感じる」
相変わらずビビるくらい鋭い。
「……鋭いな」
「魔導士だもの。魔力に触れれば質はわかる。
それに、体に流し込まれたら嫌でもわかる」
つまりさっきの治療が、逆にアクロスの異質さを証明してしまったわけだ。
「いつか話すって言っただろ」
「……ええ。待ってあげる。でも一つだけ」
「何だ」
「あんたは敵じゃない。それは信じれる。
あの魔力が人を騙し、傷つけようとする力じゃないことはわかるの」
アクロスは少し驚いた。
「……信じてくれるのか」
「言葉は嘘をつけても、魔力は嘘をつけないの」
焚き火がぱちりと爆ぜた。
「……ありがとな、リーネ」
「礼を言うのは私のほう。
まだちゃんと言えてなかった。
アクロス。私を、助けてくれてありがとう」
「お、おう」
(そんなドストレートにこられちゃうとおっさん魂が揺さぶられてしまうな。)
「……この子も、温かいわね」
リーネの膝の上で丸くなるクロを、撫でながら言った。
「そうだな…」
「集落が焼かれてから、今まで、ずっと一人だった」
呟くような声。
「誰かと火を囲むのは、久しぶり」
声がかすかに震えた。すぐに飲み込んだ。
アクロスは思った。
リーネは、泣かない女なんだろう。
泣けないんじゃなく、泣かないと決めている顔だ。
なんとなくわかる。
アクロスは何も言わず、実を一つ、リーネの膝の上に置いた。
「デザートだ。明日も歩くぞ」
「…………ありがとう」
リーネが実を齧り、火を見つめたまま小さく笑った。
初めて見る笑顔だった。
弱々しくて、不器用で、でも確かに――笑顔。
しばらくして、リーネの体がゆっくり傾いた。
クロの背中に頭を預け、目を閉じている。
寝息が聞こえ始めた。
逃亡生活の疲れが、ようやく限界に達したのだろう。
アクロスは自分のコートを脱いでリーネにかけ、焚き火の反対側に腰を下ろした。
クロが首だけ動かし、アクロスを見た。
(ありがとう。クロ)
わふ、と小さく一声。
リーネは、安心して、眠れているだろうか。
誰かのそばで眠れる夜。
アクロスは焚き火の番をしながら空を見上げた。
(魔力は嘘をつかない、か)
航としての人生でも、「信じてもらえた」と感じる瞬間は何度もあった。
でもそれはいつも、時間と行動を積み上げた結果の信頼だった。
魔力の温度で信じる。
この世界にはそういう物差しもあるのか。
悪くない、世界だな。
アクロスも、目を閉じた。
明日も北へ歩こう。




