第5話 リーネとの出会い
異世界四日目。
秘密基地で迎える朝。
今日もクロに顔を舐められて起床。
子狼は昨日より一回り大きく感じる。
肩幅が明らかに広がっている。
「お前、寝てる間に育ってないか?」
わふ。
知らんがな。と言われたような気がした。
朝飯を済ませ、滝の前の岩でくつろいでいた。
基地完成の満足感でだらけている。
昨日はフィルが去った後も地味な活動はした。
鹿の残りを自分なりに解体してみたり、木の実を補充したり、植物や毛皮で内職してみたり、秘密基地やこれからの探索を充実させる準備もした。
足を水に浸し、赤紫の実を齧り、木漏れ日を浴びる。
クロは浅瀬で前足をぱしゃぱしゃやっている。
「平和だなあ……」
しみじみ呟いた、その時。
常に展開を意識している探知魔法に反応が走った。
南西。複数。六つの生命反応。
速い速度で移動している。
その前方にもう一つ。なんだか弱っているような動きだ。
走っては止まり、また走る。
追われているのか。
距離が縮まっていく。
「…………」
アクロスは起き上がった。
関わるべきか…放っておくか。
まだこの世界への理解は浅い。
スキルや戦闘に関しても中途半端。
トラブルは、避けたい気持ちが強い。
弱っている反応が、ふらりと揺れて倒れた。
起き上がる。また走る。また崩れかける。
「……ったく」
「変身」
人間の旅人に切り替わる。
(クロ、ついてこい。吠えるなよ)
(わふ)
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森の中を南西に走った。
叫び声が聞こえてくる。
男の怒号。
「逃がすな!」
「角がでけえ! 上物だぞ!」
そして女の声。
「来ないで……っ!」
木々を抜けると、小さな空き地に出た。
倒木に背を預けた一人の女。
どうみても、人間ではない。
額から後方に伸びる二本の角。
黒曜石の艶に、先端が暗い紫。
銀白色の長髪が汗で額に張りつき、枝や葉が絡まっている。
乱れてなお絹糸の質感。
切れ長の深紅の瞳。瞳孔がわずかに縦長。
頬骨が高く凛とした顔立ちでどうみても美人の類だが、今は泥と擦り傷で汚れ、血の気が失せている。
肌は日焼けした小麦色の肌より少し薄いくらいの褐色肌。
だが、日焼けではないことは一目でわかる。
ノースリーブのチュニックは右肩口が裂け、褐色の肌が覗く。
黒いインナーも破れかけで、豊かな胸が荒い呼吸で上下している。
膝丈のスカートは左太腿が裂け、引き締まった脚がむき出し。
サンダルは片方脱げ、左足首が腫れている。
右手の木の杖、先端に光る紫の光が弱々しい。
魔力が尽きかけた、魔族の女だ。
彼女を囲む六人。
赤毛の薄笑い男が先頭。短剣二本。
右に弓の長身、蛇の刺青。
左に太った双子、手斧と剣。
後方に投網のフード男。
少し離れた位置に六人目。
リーダー格。 革鎧に鉄の肩当て、曲刀。
短い黒髪を撫でつけ、鋭い目。他の五人とは場数が違う空気。
「なあ嬢ちゃんよ。おとなしくしてりゃあすぐ終わるんだよ」
赤毛が軽く言った。何度も同じようなことをやってきた男の声だった。
「おまえの角は金になる。他にもおまえの体自身――色々使い道がある」
(転生モノの最初にでてくるベタベタの悪党だな)
アクロスは少し離れたところで様子を見ていた。
読んでいる時は「でたでた、いつものやつ」と思う程度だったが…
実際目の前で経験すると、なかなか気分が悪いものだな、と思った。
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アクロスはわざと枝を踏んだ。
「おーい」
間の抜けた声。
六人が振り向く。
弓の男が矢先をこちらへ。
だがそこにいたのは、くたびれた革ジャケットのおっさんと足元に黒い子犬。
「悪い悪い、驚かせたか。道に迷っちまってさ」
へらっと笑いながら両手を軽く上げる。
クロが尻尾を振り、きょとんとした顔で男たちを見ていた。
完璧な「人懐こい飼い犬」の演技。
赤毛が目を細めた。
「……誰だ、あんた」
「旅の者だよ。アクロスってんだ」
頭を搔きながら続ける。
「南の方に町があるって聞いて歩いてたんだけど、森に入ったら方角がわかんなくなっちまってね」
困った旅人風に言う。
赤毛がリーダーをちらりと見た。
リーダーは目を細めてアクロスを値踏みしている。
「ここは危ないぜ、旅人。俺たちは今、仕事中でね」
「仕事?」
首を傾げ、初めて気づいたように空き地と森との境界を見る。
「おお……角が生えてる。なんだあの女」
「魔族だよ。角や血は金になる。俺たちは賞金稼ぎさ」
「へえー。魔族ねえ。初めて見たわ」
「なかなかの上物でね。角だけで金貨二十枚は堅い」
「金貨二十枚! そんなにすんのか!すげえな」
目を丸くして食いつく。
赤毛が得意げに語り始めた。
小物は自慢が好きだ。
「おうよ。しかも生きたまま売りゃあ、闇市場でさらに値がつく。
特に、若い女はな」
「闇市場ってどこにあんの?」
「近場だとグラザの町だな。ここから南に半日。裏に回りゃ何でも売れる」
「へえ!いいこと聞いた。あんたらは――」
「コル。」
低い声が切った。
リーダーが腕を組み、赤毛を見据えている。
「ベラベラ喋りすぎだ」
赤毛のコルが口をつぐんだ。
リーダーの鋭い目がアクロスに向く。
「旅人。どこから来た」
「北の山脈側の小さい村からさ」
「武器は」
「見ての通り手ぶら。犬が一匹いるだけ」
クロが間抜けな顔でぱたぱた尻尾を振った。
「この辺の森を丸腰で歩くのは自殺行為だろう」
「食べ物と水探してたら、ついつい森に深入りしちまったんだよ」
リーダーの目がアクロスの全身を数秒舐めた。
何かを測っている。
だが結局、肩の力を抜いた。
変装したアクロスを「ただのおっさん」と判断したらしい。
変身を見破れるような魔導士はいないようだ。
「……用が済んだならさっさと行け。南に向かえば一本道だ」
リーダーの男は指で示した。
「そうか、ありがとな!助かる」
ぺこりと頭を下げ、くるりと背を向けた。
--
アクロスは、歩き出した。
一歩。二歩。三歩。
背中越しに声が聞こえる。
「さて嬢ちゃん。邪魔が入ったけど、続きといこうか」
赤毛のコルの声。
そして――
「……やめて、来ないで」
魔族の女の声。震えている。
だが泣いてはいない。
「角は、あげるから…それ以上は…」
歯を食いしばる音。
杖を握る手が白くなるほど力を込めている音。
もう魔力なんか残っていないのに、それでも杖を手放さない。
四歩目。
五歩目…が踏み出せなかった。
「コル、投網。フェイ、脚を押さえろ。暴れたら杖を折れ」
「了解っス」
「やだ……やめて……!」
アクロスの足は完全に止まっている。
(行くな。関わるな。ここは引くのが賢い。)
頭がそう言っている。
だが足が動かない。
胸の奥で、何かが煮えている。
怒りとか正義感とか、そんな高尚なものじゃない。
もっと単純な。もっと心の根っこにあるもの。
(…………俺は。何のためにこの世界に来たんだ?)
ファルティシアに言った言葉が蘇る。
「俺、新しい世界で、魔王やりたい」
「次は、自分で決めてえんだ。全部」
自分で決める。
全部。
なら――今この瞬間も、俺が決めるんだろうが。
決めるってのは、簡単に言えば、覚悟の話だ。
見て見ぬフリをするのがおまえの覚悟なのか?
賢く立ち回った気になって、同じ魔族を見捨てて、やり過ごすことで、
魔王になれると思っているのか?
少なくとも魔王ってのは、仲間や領域を自らの力で守っていく存在だろう。
この森を三日間歩き回って、水を飲んで、飯を食って、滝を見つけて、
基地も作った。
ある意味、俺の森でもある。
そんな森で、俺の目の前で、俺と同じ種族の、女を追い回して好き放題されて。
同胞の危機、自分の領域踏みにじられて、
黙ってみて見ぬふりして帰る魔王がどこにいるよ。
自分に問いかけ自分に答えた。
「…………そりゃそうだ」
声が漏れた。
決めた。
そして足の向きは反転する。
--
「なあ」
穏やかな声。
六人が振り向いた。
「まだいたのか」という顔の赤毛。
リーダーの目が僅かに鋭くなった。
アクロスは空き地の真ん中に立っていた。
「もう一個だけ、聞いていいか」
「……何だ、旅人。さっさと行けと言っただろ」
「うん。行こうとしたんだけどさ。どうしても無理だった」
ポケットから手を出した。
肩の力を抜く。
深呼吸。
「お前ら、やめる気はねえよな」
「当たり前だろ。これが仕事だ。三度目はねえぞ旅人、次は――」
「そうか」
アクロスが目を閉じた。
一秒。
「じゃあ、もう旅人はやめだ」
目を開けた。
「解除」
光が走った。
焦げ茶の革ジャケットが裂け、黒のロングコートが姿を現す。
小麦色の肌が青みを帯びた浅黒に変わり、黒紫の魔紋が腕に脈動し始めた。
丸い耳が鋭く尖り、焦げ茶の瞳が右は琥珀に、左は紅に燃えた。
立襟のコートが風もないのに揺れる。
暗紫の裏地がちらつく。バンテージの下から紫光が漏れる。
魔族の男が、そこに、立っていた。
琥珀と紅のオッドアイが、六人を見据える。
森が、静まった。
鳥が黙り、虫が止まった。
アクロスの覚悟で震える魔力が、周囲の空気を変えた。
赤毛のコルの顔から血の気が引いた。
「ま……魔族……!?」
弓の男が反射的に矢をつがえた。
手が震えている。双子が後ずさる。投網の男はフードの下で凍りついていた。
リーダーだけが動かなかった。
だが曲刀を抜く手が、一瞬だけ止まっていた。
「さっきの旅人が……いや、化けてやがったのか」
「まあ、そういうことだ」
アクロスは首をごきりと鳴らす。
「改めて自己紹介する。俺はアクロス。名前は本当だ。それ以外は全部嘘だけどな」
にっと笑った。犬歯が光る。
「さっき色々教えてくれたろ。グラザの町のこと、闇市場のこと。助かったよ、ありがとな」
コルの顔が「嵌められた」と歪んだ。
「改めて、お前たちに言おう。その女を放せ。」
魔族の女は木に寄りかかりながら口に手をあて、呆然としている。
「ふ、ふざけんな! 魔族が二匹に増えただけだろ! こっちは六人いるんだ!」
コルが叫んだ。虚勢だ。
声が裏返っている。
「賞金稼ぎが、六人か。――足りねえだろ」
アクロスが魔力をあえてオーラのように、全身から噴出させる。
一歩踏み出した。ただの一歩。
だが空気が圧縮されたように重くなった。
コルが短剣を構えた。
弓の男が矢を放った。
矢が飛ぶ。
まっすぐ、正確に、アクロスの眉間を狙って。
左手を上げた。
指の間で矢を掴んだ。
ぱきん、と矢を折り、地面に捨てた。
「なんだ、こんなもんなの?」
「う、うわああぁ!」
動転したコルが出鱈目に斬りかかった。
二本の短剣。下段と上段。だが素人のアクロスが見ても素人に見える太刀筋。
簡単に見切る。
右の短剣を手首ごと掴み、ひねった。コルの手から短剣が落ちる。同時に左の短剣を腕ごと弾き、体勢を崩したところに膝を腹に入れた。
「がっ……」
崩れかけたコルの襟首を掴み、投げた。
地面に叩きつける。ではなく――双子の片方に向けて。
人間の体が人間にぶつかり、二人まとめてもんどりうって倒れる。
弓の男が二の矢をつがえようとしていた。が、遅い。
一歩で間合いを詰め、弓を手のひらで上から押さえつけた。
弦がびん、と鳴って弛む。
弓の男が見上げる。
至近距離でオッドアイと目が合い、顔面蒼白になった。
「弓は一発外したら、次はねえんだよ」
額にデコピンした。
まあまあ力を込めたデコピン。
身体強化が乗った指先の一撃で、弓の男は二メートルはふっとんだ。
白目を剥いてちょっと痙攣している。
投網の男が逃げ出した。
背を向けて全力疾走。
(クロ)
無声指示。
黒い影が地を這うように飛んだ。
子犬サイズの子狼が投網の男の足首に食いついた。
「ぎゃあっ!」
転倒。網が絡まって自分が投網に捕まった。
悪党定番の間抜け絵面。
「ナイスクロ」
わふ。
残る双子。
コルの下敷きになっていた片方は気絶。
もう片方は手斧を構えてガタガタ震えている。
アクロスが視線を向けただけで、手斧が手から滑り落ちた。
「……ゆ、ゆるしてくれ……」
「おまえはそれであの女を許したのか?」
手を男に向けて、魔力のオーラをそれっぽく見せて、
手斧の男の方に魔力のもやもやを動かしていく。
ハッタリで脅かしてみる。
「ひいぃあああ!」
男の股からじょわぁ…と水気がひろがり、男は気絶する。
五人が沈黙。残るは一人。
--
リーダーが、曲刀を抜いていた。
構えは正確。低い重心。
刃先がぶれない。
他の五人とは別物だった。
部下が全滅しても、冷静に相手を観察している。プロの目。
「……ただのおっさんの旅人、じゃなかったな」
「アクロスだ。名前は嘘じゃない」
「アクロス。俺はドルク」
名乗り返してきた。
それ自体が、この男の格を示していた。
負けるかもしれない相手にも名を明かす。
「アクロス。お前、ただの魔族でもないな」
「さあな」
「隠すか。……だが動きは見た。
体術だけなら俺の上だが。問題は――」
ドルクが半歩踏み込んだ。
「この曲刀の相手をしたことがあるかどうかだ」
曲刀が閃いた。
速い。
赤毛のコルとは次元が違う斬撃。
引き斬りの軌道が首を狙い、返す刀で胴を薙ぐ。
二連。流れるような動き。
アクロスは後ろに跳んだ。
コートの裾が切れた。かすった。
(やっぱりこいつは強い。コルとは格が違う)
曲刀がもう一度閃く。
今度は下段からの斬り上げ。
膝を狙ってから、避けた先を読んで横に薙ぐ。
避けた。
だがギリギリ。
身体強化で反応速度は上がっているが、剣の間合いに対する経験値がない。
素手と剣ではリーチが違う。
(★3の体術じゃ決め手に欠ける。魔法を使うか)
右手に炎を灯した。
黒紫の拳大の火球。
ドルクの目が見開かれた。
「炎――黒い炎だと?」
投げた。ドルクの足元を狙う。
直撃させる気はない。牽制。
ドルクが横に跳んだ。火球が地面に着弾し、土が焦げてガラス化する。
小さな爆発。
着地したドルクの体勢が崩れた一瞬を突いた。
足元の地面を土魔法でせり上げる。
★3ではぼろぼろの壁しか作れない。
だが足場を崩す程度なら十分。
ドルクの踏みしめた地面が隆起し、バランスが崩れた。
そこに踏み込む。
左手で曲刀の腹を押さえ、右手でドルクの手首を掴み、ひねりあげた。
格闘技のディスアームではない。
飲み会で暴れた酔っ払いを取り押さえた時の、ケンカ殺法。
「ぐっ……!」
曲刀が手から離れ、地面に落ちた。
アクロスがドルクの腕をねじり上げたまま、背後に回る。
もう片方の腕も取り、両手を背中で合わせた。
完全な拘束。
ドルクが歯を食いしばった。
力では振りほどけない。
「…………見事だ」
低い声。
「体術と魔法の複合。型がない。厄介だ」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
「一つ聞く」
「何だ」
「お前は何者だ。
お前のような魔族は見たことがない。
炎の色が違う。纏っている雰囲気が異質すぎる」
「…………」
「まあいい」
ドルクが力を抜いた。抵抗をやめたのだ。
「負けたのは俺だ。好きにしろ」
--
六人全員を拘束した。
コルと弓の男と双子の片方は気絶中。
もう一人のお漏らし双子は自主的に座り込み、
投網の男は自分の網に絡まったまま泣いている。
ドルクは木の根に背を預け、両手を蔦で縛られた状態で静かに座っていた。
クロが六人の周りをぐるぐる巡回している。
番犬の仕事を覚えたらしい。
アクロスは息を整えた。
ドルクとの戦闘で★3を使い切った感覚がある。
(炎と土の複合。即興だけど、効いた。やるじゃん、俺)
魔族の女の方を見た。
倒木に背を預けたまま、
深紅の瞳を限界まで見開いてアクロスを凝視していた。
少し震えている。
さっきまで人間の旅人だった男が、
変身を解いて魔族の姿になり、
六人の賞金稼ぎを一人で全員制圧した。
しかも最後の一人とは剣に魔法と体術で渡り合った。
理解が追いついていない顔。
アクロスはしゃがみ込んで、なるべく穏やかな声を出した。
「よう。もう大丈夫だ」
「…………」
深紅の瞳が、アクロスの顔を舐めるように見た。
角。尖った耳。青みがかった肌。魔紋。オッドアイ。
「あなた……魔族…なの」
「ああ。さっきまで化けてた。去ろうとして、悪かったな」
「なんで……人間のフリを……」
「色々事情があってな。――足、見せろ」
「え」
有無を言わせず左足首を確認した。
腫れているが骨は折れていなさそうだ。
「あなた……何者なの」
「アクロス。名前は本当。それ以外は教えられない」
正直に言った。嘘は重ねたくない。
「……変な魔族」
「たぶん、これからもよく言われるんだろうな」
クロがとことこ歩いてきて、女の膝の横にちょこんと座った。
紫の瞳で見上げ、尻尾を振る。
女の表情が、ほんの一瞬だけ緩んだ。
「この子も……あなたの?」
「ああ、クロ。旅の相棒だ。懐こいだろ」
おそるおそる伸ばした手に、クロが鼻先を押しつけた。
「……温かい」
長い間一人で、逃げていたのだろうか。
そう思わせるような孤独感が、その一言から滲んでいた。
「名前、聞いていいか」
「……リーネ」
「リーネか。――よろしくな」
「…………よろしく」
小さな声。
この出会いは、きっと。
なにか特別なものになる。
アクロスはなぜかそう感じた。




