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第4話 おっさんと秘密基地とエルフ

翌朝。

鳥の声が聞こえる。


だが俺は、鳥の声で、

爽やかに目覚めては…いない。

顔を舐め回す舌の感触と唾液の匂いで目が覚めた。


「んぐっ……

やめろクロ、いや、ほんとにやめて……?」


べろべろべろ。


「わかった起きる起きるから!」


ようやく解放され、袖で顔を拭う。

犬の唾液がべったり。

朝から衛生観念がゼロである。


体を起こすと、森の空気が肺に流れ込んだ。

冷たくて澄んでいて、目が一瞬で覚める。

焚き火はとっくに燃え尽き、白い灰が残っている。


二つの太陽が東の空に並んで昇り始めていた。

白い方が先行し、金色が少し遅れてついてくる。

この世界の朝は、光が二段階で明るくなる。


「さて」


残しておいた赤紫の実を一つ齧り、小川で顔を洗う。


昨日のうちにこの森はだいぶ歩いた。

水源も食料も確認済みだが…

「やっぱ、まず拠点だよな」


どんな冒険でも、安全に眠れる場所がないと始まらない。

野宿は一日二日なら我慢できるが、これが毎日では体力が持たない…

いや今は持つか…

だが、おっさんの精神は快適を求める。


そして、アクロスの脳裏に浮かんでいたのは――

あの滝だった。


小川を上流に遡り、滝に戻ってきた。

高さ三メートルほどの小さな滝。

水飛沫が霧のように舞い、朝日を受けて虹がかかっている。

滝壺の周囲に平たい岩。開けた空間。

そして、昨日は確認しなかった滝の裏側。

どきどきしながら近づいてみる。


水のカーテンを潜って回り込むと――


あった。


岩の窪み。

奥行き六メートル、幅四メートル、高さ二メートル半ほどの天然の半洞窟。

滝の裏側が壁のように水で覆われ、外からは中が見えない。

床は平らな岩盤で、乾いている。水は入ってこない。


「最高じゃん…」

アクロスの目が光った。


立地は完璧だった。

水源は目の前。食料の赤紫の実は周囲に豊富。

滝が天然のカモフラージュ。外から見つかるリスクも…たぶん低い。


問題は、ただの岩の窪みでは居住空間として物足りないことだ。


「よし…ここを…秘密基地にする…!」


口に出した瞬間、胸が高鳴った。


秘密基地。

なんて素晴らしい響きだ。

小学生の頃、裏山の雑木林に板と段ボールで作ったあの秘密基地。

友達三人で「合言葉を言わないと入れない」ルールを作って、結局三日で飽きたやつ。

あれの、おっさん本気版。

しかも今の俺には魔法がある。


「魔の創造と魔法の実践訓練も兼ねて、だ。一石二鳥」


土魔法に意識を集中する。

両手を岩壁に当て、イメージ。

岩を「押す」。

ゴゴゴ、と低い振動。岩壁がゆっくり後退した。

★3の土魔法では一気にはいかない。

少しずつ、少しずつ。天井を上げ、奥行きを広げる。

三十分かけて、大人が三、四人は過ごせそうなサイズになった。


「換気が要るな」

天井に細い溝や穴を掘り、目立たないところで空気の通り道を作る。

生活の場に新鮮な空気の循環は必須だ。

異世界でもそれは変わらない。


床を均す。壁を滑らかに磨く。

左右の壁に等間隔で窪みを掘る。深さ十センチ、直径十五センチほどの半球形。

「ここに昨日の光る苔を詰める」


ポーチから苔を取り出し、窪みに押し込んだ。

紫の淡い燐光が灯り、洞窟全体が幻想的な薄明かりに包まれた。


「おお……いい雰囲気じゃん」

クロが首を傾げている。なぜ主人がはしゃいでいるのかわからないらしい。


「ベッドは……さすがに土じゃ硬いか」

岩を削って寝台の形を作り、その上に――

森から集めた大量の落ち葉と、青い小花の茂みから刈り取った柔らかい草を積む。

厚さ三十センチ。手で押すとふかふかと沈む。


「おお。天然マットレス」

寝転がってみた。悪くない。

落ち葉のクッション性と草の柔らかさが合わさって、地面に直寝とは雲泥の差だ。

ほのかに花の甘い匂いがする。


寝台は二つ作った。なんとなく。

ここで語り合う、仲間が増えるかもしれない。


奥に棚を三段掘る。

入り口寄りに焚き火用の炉を作り、真上に煙抜きの穴を開ける。

ここに食料や使えるもの置いとこう。


「換気よし。照明よし。寝床よし。収納よし」


仁王立ちで見回す。

クロが洞窟の中を歩き回り、寝台に跳び乗り、ぐるぐる回ってから丸くなった。


「お前、もう自分の寝床にしてんのか」


尻尾ぱたぱた。


「秘密基地の…完成だ…!」


おっさんの声とは思えないほど弾んだ声が出た。


アクロスが秘密基地の完成に浸っているなか、

クロは何かに気づいたように顔を上げた。


アクロスはクロの変化に気づいた。

すぐさま探知魔法を展開する。


半径百二十メートル。南西。

生命反応が一つ。獣じゃない。

人…?

この世界ではまだ誰とも出会っていない。

故に、判断に確信はない。


こちらに向かっている。ゆっくりした足取り。

急いでいない。


「クロ、静かにしろ」

無声指示。クロが耳を伏せ、姿勢も低くした。


変身シフト


魔族の姿が人間の旅人に切り替わる。

滝の裏から出て、滝壺の前の岩にさりげなく腰を下ろした。

水を飲む旅人を装う。


八十メートル。五十。三十。

足音が聞こえた。軽いが不用意ではない。

身体強化でようやく聞き取れるほどの音。

森を歩き慣れた者の足取り。


そして、木々の間から、一つの影が現れた。


エルフだ。


もちろん見たことはない。ただ、一目でわかった。

ラノベとマンガで何百回も読んだ特徴そのままだ。


人間の倍はある長い尖った耳が、銀色がかった金髪の間から覗いている。

男。

年齢は外見では判断できない。

二十代にも五十代にも見える。

細面。切れ長の碧い瞳に静かな光。

髪は肩を少し過ぎる長さで、後ろで緩く束ねている。

深緑のフード付き外套の下に生成りのチュニックと革ベスト。

腰に短剣と薬草の革袋。背中に長弓と矢筒。

右手に白木の旅杖。


静かな旅人。 威圧感はないが隙もない。

余計なものを削ぎ落とした佇まい。


エルフはアクロスに気づき足を止めた。

碧い瞳がこちらを見る。

警戒はあるが敵意はない。


「――こんなところに人がいるとは。 驚いた」

先に声をかけたのはエルフの方だった。

穏やかな声。


「おぉ…俺もびっくりだよ。こんなとこで人に会うとは思わなかった」

アクロスはへらっと笑って手を上げた。

無害な旅人アピール。


エルフの目がアクロスを一瞬だけ上下に走査した。

武器を持っていないこと、体格、表情。

近くの岩陰からひょこっと顔を出した黒い子犬。


「……犬連れか」


「ああ。旅の相棒でさ」


クロが尻尾を振った。紫の瞳はやや異質だが、子犬の目は色が変わることもある。

ギリギリセーフ。

エルフの警戒が少し緩んだ。


「滝の水を飲みに来たのか。ここは、いい水場だ」


「あぁ、昨日見つけてさ。あんたも?」


「ああ。この森を通り抜ける予定でね。――名を聞いてもいいか」


「アクロス。あんたは?」


「フィル。フィルヴェーレ・アスティーン。長いからフィルでいい」


--


エルフが滝壺に近づき、腰の革袋から水筒を取り出して水を汲み始めた。

自然な動作。

この森に慣れている。

少なくともアクロスよりはずっと。


「あんた、旅人か?」

アクロスは気さくに話しかける。


「そんなところだ。薬草を集めながら各地を回っている。――君は?」


「俺も旅人。北の山脈だがここよりだいぶ離れたところだ。

この辺は初めてで、右も左もわからん」


エルフが水筒の蓋を閉め、こちらを見た。

碧い瞳がほんの一瞬だけ細まった。


「……北の山脈から。なるほど」

何かを察したのか、それともただの相槌か。エルフの表情からは読み取れない。


エルフ――フィルは岩に腰を下ろし、水を一口飲んだ。

アクロスの隣ではないが、会話ができる距離。


「なあフィル。一つ聞いていいか」


「何だ」


「俺、北の山脈の村からほとんど出たことなくてよ。

この辺りのこともそうだが…今の大陸の情勢とかよ、少し教えてもらえねえか」


フィルはしばらくアクロスの顔を見つめていた。

嘘を探っている、というより、この男が何者かを分類しようとしている目だった。

旅人か。冒険者か。逃亡者か。あるいは――。

やがてフィルは小さく息をつき、杖を膝に横たえた。


「いいだろう。水場を共有する縁だ。聞きたいことがあれば答える」


「まずは…今いるここは、エルデシア大陸のどのへんなんだ?」

ファルティシアの言っていたこの大陸の名前はうろ覚えでかなり危なかったが、

覚えていた。


「今、私たちがいるのは中央回廊の東端あたりだ」


「中央回廊…」


「このエルデシア大陸には大きく分けて三つの勢力圏がある」

フィルは、杖の先で地面に地図を描き始めた。


「南部が人間圏。最大国家はアルセイド王国。勇者を擁し、今の大陸で最も強い政治力を持つ」


「勇者?」


「人間の中から選ばれた英雄だ。神の加護を受けた者。半年前に魔王を倒した」


「そして、北部に魔族圏。魔王城があったデモニア高地。魔王ゼヴァルスが勇者に討たれ、今は無政府状態だ」


「そして中央、ここが中央回廊。ここは魔族圏と人間圏の緩衝地帯。交易都市が点在するが治安は悪い。」


「魔王がいなくなって最近はどうなんだ?」


フィルが水筒の蓋をゆっくり閉めた。


「魔王がいた頃は均衡があった。人間も魔族も、互いを警戒し、それが抑止力になっていた。だが魔王が消えた途端――

人間側のタガが外れた」


「魔族狩り、とか?」


フィルの碧い瞳がちらりとアクロスを見た。

「……何も知らないそぶりの割には、知っているじゃないか」


「推測だよ。力の均衡が崩れりゃ、弱い方がやられる。どこの世界でも同じだ」


フィルは数秒黙り、小さく頷いた。

「その通りだ。今、魔族は各地で迫害されている。角や牙は闇市場で高値がつき、賞金稼ぎが横行している。魔族の集落が焼かれる事件も後を絶たない」


「……そうなのか」


「勇者は魔王を倒した後に姿を消した。止める者はいない。アルセイド王国は魔族排斥を黙認している。

――いや、暗に推奨していると言った方が正確だろう」


「エルフはどうなんだ? 人間でも魔族でもないだろ」


「我々は中立だ。エルフの森は大陸の西部にあり、基本的に他種族とは距離を置いている。だが……」


フィルの表情がほんの一瞬だけ、苦いものを含んだ。


「中立であることと、無関心であることは違う。私が旅をしている理由の一つは、大陸の現状をこの目で確かめるためでもある」


「見聞を広げに来たってことか」


「そんなところだ」


フィルは杖を手に取り、立ち上がった。地面の地図を足で消す。


「アクロス。もう一つだけ」


「ん?」


「この森の南にグラザという交易町がある。半日ほどだ。中立地帯だから種族を問わず出入りできるが、そこも治安はよくない。気をつけろ」


「あんたもグラザに行くのか?」


「いや、私は西に抜ける。エルフの森に戻る途中だ」


そうか、と頷いた。

フィルが旅杖を手に、歩き出そうとした。


「なあフィル。もう一つだけ聞いていいか」


「何だ」


「この世界で一番強い奴って、誰だ?」


唐突な質問だった。

だがアクロスには必要な情報だった。

天井を知りたい。自分が目指す場所がどこにあるのかを。


フィルが足を止め、振り返った。

碧い瞳に、微かな興味の色が浮かんだ。


「……変わったことを聞くんだな」


「気になってな。単純に」


フィルは少し考え込んだ。

「現時点で最強と呼べる存在は、おそらく三つある」

指を立てる。


「一つ。勇者ライゼルとそのパーティー。魔王を倒した英雄たち。現在は行方不明だが、生きているなら★6以上は確実だ」


「★6……」


「二つ。アルセイド王国の剣聖、ヴァイス・グランドール。

人間最強の剣士。★6。勇者パーティーにも匹敵すると言われている」


「三つ目は?」


「竜」


短い答えだった。


「北の山脈の奥深くに古代竜が棲んでいるとされているが…

誰も確認した者はいない。だが伝承が正しければ、★7以上の存在だ」


「★7……」


アクロスの中で、原初の奔流の上限が頭をよぎった。

☆七つ。★7が上限。

つまり自分のポテンシャルは、古代竜と同じ領域にある。


ただし今は★3。気が遠くなるほど先の話だ。


「ありがとな、フィル。いろいろ聞けて助かったよ」


「礼には及ばない」

フィルが背を向け、数歩歩いた。


そして足を止めた。振り返らずに言った。

「アクロス。一つ、忠告だ」


「何だ」


「エルフは、魔力の流れを視ることができる」

少し、間を置く。


「君の変身は…、 私たちエルフの目、人間でも熟練の魔術師の目は、誤魔化せない。」


「耳の先端と瞳の奥、衣服から漏れる変異した魔力――ちゃんと、見えているぞ」


心臓が跳ねた。


「だが、私はそれを問わない。誰にも何も言わない。

水場の縁とは…そういうものだ」


フィルが歩き出した。

銀髪が木漏れ日の中で揺れ、深緑の外套が森に溶けていく。

数歩で気配が薄くなり、十歩で姿が木々に紛れた。


フィルは静かに、去った。


--


しばらく呆然としていた。


「……やっばぁ…バレてたんだ」


★3の変身はエルフの目や人間の魔術師には通用しない。

覚えておくべき弱点だ。


だがフィルは見逃してくれた。

問わず、告げず、忠告だけ残して去った。


「いいやつだったな」


フィルが話してくれた情報はかなり有難い。

今日一日でわかったことが随分増えた。


クロを抱き上げた。

顔をぺろぺろ舐めてくる。


「よし。秘密基地もできたし、そろそろ町でも見に行くかな…」


南に見える煙は、グラザの町。


滝が変わらず白い水を落としている。

水飛沫が虹を作る。


「帰る場所があるってのは、いいもんだ」


クロがわふ、と鳴いた。

同意してるように聞こえた。


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