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第21話 おっさん、剣を作る

翌朝。


目が覚めると、建物の外から湯気の音が聞こえた。

ことこと、という穏やかな沸騰音。

それに混じって、深くて温かい香りが石の隙間から流れ込んでくる。

昨夜リーネが仕込んでおいた出汁が、煮立っている。


クロが尻尾を振って扉のそばに座っていた。早く開けろ、という目だ。


外に出ると、焚き火の上に石の鍋が据えられていた。

煮込みの中をリーネが木の枝でゆっくりかき混ぜている。

草角獣の肉を拇指大に切り分けたものと、昨日採取した出汁の出る植物、紫キノコが一緒に煮えている。表面に浮かんだ脂が橙色に光っている。


「……いい匂いだ」


「おはよう。もうすぐ出来るわよ」


アクロスは石に腰を下ろした。

朝から煮込みの香りに出迎えられる生活が、この世界で始まった。

草原に一人で立っていた頃とは、全てが違う。


受け取って、ひと口。


「……」


次の言葉が出るまでに数秒かかった。


肉が崩れるほど柔らかい。

昨夜から浸けておいた出汁が全体に染み渡り、キノコの旨みが液体に溶けて、全体をひとつの味にしている。

塩と果実酢が遠くで利いていて、重さがない。

朝に食べるものとして完璧な調整だ。


「うまい……これは本当にうまい」

「ほんと?こどもの頃から見てた。母の秘伝の煮込み」


「そうなのか…普通じゃねぇな、このうまさ」


「ずっと塩焼きだったんだから当然でしょ」


「……ぐ、それは否定できん」


リーネが器をすすりながら、口元だけかすかに動かした。


器の前でクロがぱたぱた尻尾を振っている。

フレスはリーネの肩から嘴を伸ばし、湯気を嗅ぎながらもじもじしていた。


「分けてやるから落ち着けお前ら」


「クロには肉を多め。フレスは出汁を冷ましてから」


リーネが素早く取り分けた。

クロがばくばく食べ始め、尻尾がこれ以上ないほど回転した。

フレスはリーネの指先から行儀よくついばんだ。


「ふふ。煮込みは時間が全部やってくれるの。私は仕込むだけ」


「その仕込みが大事なんだろ」


「そうね」


クロが一気に食べ終えてもっとくれと目で訴え、フレスがリーネの袖をくちばしでつついた。


「こいつらも、うれしそうだな」


「よかった」


--


食後の空気が緩んだ頃。


「さて。昨夜考えてた変身魔法を試す。根本から作り直した」


「消耗を減らす設計よね。聞かせて」


アクロスは右手を開いてみせた。


今までの変身は「外見そのものを書き換える」方式だった。肌の色、耳の形、瞳の色、魔紋の隠蔽。それを全部、全力で維持し続けるから消耗する。


「新しい設計は二段構えだ。第一層は魔力の膜。体表に薄い膜を張る。第二層は光によるごまかし見え方だけ変わる感じだな。

膜を通して、外部に届く光の情報だけを書き換える。実体は変わらない」


リーネが腕を組んだ。


「照明魔法の発展系ね。光を操る」


「変身魔法は他者にかける時も問題があった。俺と相手の魔核の波長がずれると膜が安定しない。だから触れて、相手の波長を感じ取って、合わせる。

これでかけられる方の維持もだいぶ楽になる」


「……リミットレスの儀式と、同じ感じね」


「そんな感じ。試してみていいか」


「……どうぞ」


リーネの肩に手を置く。


リーネの魔核の波動が伝わってきた。氷のように透明で、細い風が吹き抜けるような軽さ。清涼で、芯が硬い。


その波長に膜の周波数を合わせ、光の書き換えを起動させる。


変身シフト


薄い光の膜がリーネの輪郭を一瞬だけ包んだ。


角が消えた。


耳が丸くなった。


切れ長の深紅の瞳が、焦げ茶色に変わった。


それだけじゃない。銀白の長髪はそのままだが、全体の雰囲気が変わった。魔族の鋭さが抜け、旅慣れた若い人間の女に見える。凛とした頬骨の高さと引き締まった顎のラインはそのままで、なのに、別の誰かのように映った。


「……軽い。昨日の消耗と比べ物にならないわ」


リーネが自分の腕を見ながら言った。驚きと、それより深い安堵が声に混じっていた。


「だろ。ただ耳の先端を確認してくれ」


リーネが足元の水たまりを覗き込む。ぎりぎりかすかに尖った耳の先端が、言われてみればそこにある。


「……ほんの少し残ってる」


「そこを光で補う。形が大きく違う箇所だけ重点的に上書きする。

角でも突起物でも、光の情報を差し替えれば消える」


膜の第二層を意識的に厚くする。耳の先端。瞳の奥に残る深紅の名残。

それぞれに光のフィルターを乗せた。


「……もう一度見てくれ」


リーネが水面に顔を近づけた。


「……完璧。耳も、瞳も。近くで見ても、人間の目なら絶対に気づかない」


「エルフや熟練の魔導士は別だ。そうだな…

それに関連して、リーネに話しておきたいことがある」


リーネの目が引き締まった。


「お前と出会う前の話だ。この森でフィルという旅のエルフに会った。

あの時も変身していたが、一目で見抜かれた」


「エルフが? この中央回廊に?」


「薬草採集の旅の途中らしかった。エルフは魔力の流れを視る目を持ってる。

外見を整えても、魔力の波長と質がそのままなら、光のごまかしも意味をなさない」


リーネが角の根元を一度、静かに撫でた。


「……それで、どうなったの」


「問わず、忠告だけ残して去っていった。水場の縁、とか言ってな」


「……運がよかったわね。でも、次は同じとは限らないわね」


エルフの目には、アクロスの変身なんて最初からなかったも同然だったのだ。

リーネはそれを理解した顔をしていた。


「グラザにもし、エルフや熟練の魔導士がいれば同じことが起きる。

だから次の課題は魔力の隠蔽だ。完全には無理でも、魔族特有の波長を薄めて人間の雰囲気に近づけるくらいは今から試せる」


「……魔核の出力を絞れば抑えられるけど、絞りすぎると魔法が使えなくなる。

バランスが難しい。でも方向性は正しいわ。一緒に考える」


「頼む。俺の理屈だけじゃちょっとな…」


「知ってるわよ」


角を撫でる手が止まった。

フィルの名前を胸に刻んだ、という顔だった。


---


「次。収納魔法だ」


「昨夜、なんかびっくりしてた件ね」


「実用サイズまで広げた」


空間の折り畳み。原理は変わらないが、入り口の拡張に一晩かけた。


「何か入れてみてくれ」


リーネが昨日自分で作った財布を差し出した。

草角獣の革を丁寧に縫い合わせた、小さな仕切り付きの財布。


「自分の分も作ってたのか?」

当然か。財布は二人とも持ってたほうがいいもんな。


「当然じゃない。あなただけにお金持たせてたら大変なことになりそうだもの」

リーネは腕を組んでじっとアクロスを見る。


「もしかして、俺お小遣い制なの?」

嫁さんかよ。いやお母さんか。


「そのあたりはまた相談しましょ」


「そうだな。でもこれで俺たち、お揃いのお財布だな」

からかうように言ってみた。


「な、なに言ってんのよ!そういうことじゃないから…」


「あ、人間に変身してても照れると耳が赤くなる癖は変わらないな」


「う、うるさい!」


照れるリーネから財布を受け取り、腰の横に意識を向ける。


空間の入り口が開く感触。見えないが、指先が冷たくなる。

折り畳まれた空間の端を触っている感覚だ。


財布を押し込んだ。


音もなく、煙もなく、ただ財布が消えた。


「消えた……!」


リーネが声を上げた。


「出すぞ」


手を伸ばすと、同じ座標から財布が戻ってきた。

温度も形も、消える前と全く同じだ。


「……本当に。消えて、また出てきた」


「中くらいの袋一つ分が今の限界だが、とりあえず使える。

グラザで目立つ素材や貴重品を人目から隠せる」


「……貴重品か」


アクロスがポーチに手を当てた。


指先に固くて小さなものの感触。

布人形。角が二本ついた、笑顔の人形。


取り出し、空間のポケットへ押し込んだ。


消えた。


「こっちに移した」


リーネが静かに目を細めた。


「……大切なものを、安全なところに」


「ああ」


---


「最後に、これを見てくれ」


アクロスが右手を前に差し出した。


静かに。ゆっくりと。


根幹の世界から力を引き出す。

原初の奔流。

全属性が枝分かれする前の根源的なエネルギー。

それを刃の形に固体化させる。


右手の横から、影が伸びるように、


剣が生まれた。


七十センチほどの直剣。


黒紫の光沢が全体を包み、刃の縁だけが白く輝いている。

朝の木漏れ日を受けると、刀身の中で深紫の光が脈打つように揺れた。


柄はアクロスの握りに収まる太さで、余計な装飾はない。

しかし、どこから見ても剣だった。

実体を持ち、鋼のように光を弾き、魔力が固体になったという事実を全身で示していた。


リーネの目が、刀身の光に引き込まれた。


しばらく、何も言わなかった。


「……綺麗」


それは思わず漏れた声だった。


「魔導士として言うわ。これは本当に綺麗な魔法」


「材質は原初の奔流から固体化した魔力そのものだ。切れ味は鋼に劣らない。

たぶん、そう簡単には折れない。消せる。いつでも出せる」


刃を消した。右手が戻る。再び出す。刃が生まれる。


「飛ばせる。雷を纏わせることも、炎で包むことも理屈上はできる。

俺は剣術は知らないが、飛ばして使う分には無関係だ」


「……すごく便利ね。これは使えるわ」


リーネが剣に見惚れている。


昨夜からずっと温めてきた名前をリーネに教えてやろう。

カッコよすぎて、泣いてしまうだろうな。


「これが、アクロスソードだ」


沈黙。


三秒。


リーネの顔から表情が消えた。


「……なんて?」


「アクロスソード、だ。格好いいだろ」

アクロスは胸を張る。


「いやいやいや。聞いてるこっちが恥ずかしいわ。自分の名前をそのまま入れたの」

なぜかリーネは寒そうに腕を抱いている。


「俺が作った俺の剣に俺の名前が入って何が悪い!」


「全部悪い!! こんな綺麗な黒紫の刃… 

漆黒でも黒刃でも黒紫でも、もっとそれっぽいのあるでしょ!!」


「アクロスソードの方がわかりやすい」


「わかりやすさと格好よさは別の話よ!!」


クロが驚いてわふ、と吠えた。

フレスがぴぃぴぃぴぃと連続で鳴いた。

二匹とも事態を把握していない顔だ。


リーネが天を仰いだ。長い、長いため息。


「……清々しいくらいひどい名前ね。

まあ……あなたらしいといえばあなたらしいけど」


「認めてくれたか」


「諦めただけ」


口元がほんの少し弛んでいた。


それで十分だ。アクロスソードの名誉は死守した。


「飛ばしてみる」


刃を薄く、細く形成し直す。

右手から前方へ放った。


黒紫の残光が空気を引き裂き、十五メートル先の木の幹に深々と突き刺さる。


一拍の間。


意識で引き戻す。

刃が逆向きに飛んで、右手に音もなく戻ってきた。


「……すごい、戻ってくる」


「磁石みたいにイメージして操作してる。複数は今は無理だが」


もう一度放った。


今度は幹の直前で軌道を曲げ、別の木の幹を斜めに擦って戻す。


弧を描いた黒紫の軌跡が、朝の森の空気にうっすらと残光を刻んだ。

一秒も経たずに消えたが、確かにそこを通った証だった。


「……方向も変えられる」


リーネが腕を組み直した。


頭の中でいろんな場面が展開されているのがわかる。

それは、魔導士の目だ。


「……考えることが増えたわね。いい意味で」


「そういうことだ」


アクロスが刃を消した。

黒紫の光が指先で散って消える。


「以上が今日のお披露目だ。どうだ」


リーネが短く息をついた。


「正直に言うわよ」


「どうぞ」


「変身魔法は現状では完璧。収納魔法も実用的。剣は綺麗で強い。

名前以外は文句なし」


「名前も文句なしだ」


「文句しかない」


クロがわふ、と笑ったような顔で鳴いた。

フレスがぴぃと続けた。


日々、着実に魔法の理解が進み、★4が近くなっている気がする。


---


新魔法の確認が終わった昼前。


クロが足元に横になっている。


一週間前と比べると体高が明らかに増し、前足が太くなり、頭に不釣り合いだった大きな耳が少し体に追いついてきていた。


毛皮の中に、成獣の筋肉の予感が宿り始めていた。

黒紫の差し毛が増えて、漆黒の毛並みに深みが出てきている。


(やっぱり成長が早いな)


無声で伝えると、クロの尻尾がゆっくり大きく揺れた。


得意げとも、照れているとも取れる揺れ方だった。


フレスがリーネの肩で翼を広げてみせた。


産毛の奥に成熟した風切り羽がはっきりと見える。


銀の翼の付け根の骨格が、昨日より確実に太く、左右のバランスも整ってきていた。生まれた日の、掌に乗っていた丸い雛の面影はもうない。


「……午後から、そろそろフレスも頑張ってみない?」

リーネが話かけると、待ってましたと言わんばかりにフレスがぴぃ!と鳴いた。


「昨日の草角獣の素材回収に行く途中で、開けた場所があれば試す。

変身と収納の実地テストも兼ねて」


リーネが静かに頷いた。


「……私たちもパーティらしくなってきたわね」


「あぁ」


「二人と二匹でもパーティとして機能するなら充分よ」


クロがわふ、と返した。フレスが短くぴぃ、と続けた。


異議なし、とでも言いたげな声だった。



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