第20話 おばあちゃんからの贈り物
「まず火は強めに。最初に表面を焼き固める。
中の汁を逃がさないようにするためよ」
「へえ」
「次に弱火に落として、ゆっくり火を通す。
草角獣は肉が厚いから中まで時間がかかるの」
「なるほど」
「あと…ねぇ、聞いてるの?」
「聞いてる聞いてる」
アクロスは平たい石の鍋代わりに向かってしゃがみ込むリーネの背中を、火に当たりながら眺めていた。
正確には眺めつつ、聞き流していた。美人が料理しているのは目の保養だ。
聞き流していたとは言えない。
リーネが今日の夕食に選んだのは、草角獣の厚切り肉と、採取してきた植物三種の合わせ料理だ。
脚の部分の肉を厚く切り、平たい石の上で焼く。
その傍らで別の石に、今日見つけた出汁の出る植物の茎と葉を水と一緒に乗せて煮出している。
薬草類を刻んで肉に振りかけ、最後に絞ったオレンジの実の果汁を回しかける。
石の上で肉が焼ける音が変わった。じゅうじゅうから、ぱちぱちへ。
表面が色づいてきた。
「ひっくり返して、もう少し……よし」
リーネが石の上から肉を取り上げ、煮出した汁を少しかけた。
瞬間、湯気と一緒に香りが爆ぜた。
「うわ、なんだこの匂い」
「いい匂いでしょ」
「いい匂いどころじゃない。ここで生活始めてから一番いい匂いがする」
「それは昨日の香草焼きより?」
「それを超えた」
リーネが少しだけ頬を緩めた。得意顔だが、表情は穏やかだ。
受け取って、ひと口。
「…………」
言葉が出なかった。
肉の旨みが口いっぱいに広がる。表面の焦げが香ばしく、中はしっとり。
そこにオレンジの果汁の酸味が重なり、薬草の香りがすっと鼻に抜けた。
出汁の汁は肉の脂と混ざって、ソースのような深みが出ている。
「なんだこれ……うまい。本当にうまいぞぉお!」
ラノベの転生飯ジャンルでもいけそうなほどうまい。
「よかった…」
「いや、これ普通に店で出てくるレベルだぞ」
「もう、おおげさよ」
角を撫でて耳が赤い。
かわいいじゃないか。
リーネが自分でもひと口食べて、すこし目を細めた。
「……うん。悪くない」
「悪くないどころじゃないだろ」
「最初に作る時はいつも緊張する。
食べてもらうまで本当においしいかわからなくて」
「緊張するのか」
「するわよ。あなただけじゃなく、クロとフレスも食べるんだから」
クロとフレスの前に取り分けた肉を置いた。
クロが鼻先を近づけて、ひと嗅ぎして、それからものすごい勢いで食べ始めた。
尻尾が今日一番の速度で回転している。
フレスはリーネの指から直接つまみ食いした後、ぴぃと満足げに鳴いた。
「採点は?」
クロが顔を上げて、わふぅ!と遠吠えのように吠えた。
「満点みたいよ」
「そうだな。満点だ」
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食後。焚き火が落ち着いてきた頃。
「ねえ、アクロス」
「ん」
「今日、変身を維持しながら歩いてみて気になったことがある」
「何だ」
「変身してる間、魔法の威力が少し落ちる気がした。気のせいかな」
「……気のせいじゃないかもしれない。
変身に魔力回路の一部を割いてるから、他の魔法への供給が微妙に落ちる。
俺も同じ感覚があった」
「改善できる?」
「今夜考える」
「今夜?」
「人間の町入りに備えてもう一度変身魔法を煮詰め直す。
設計が甘かったのかもしれない。
どこを削れるか、もう少し効率のいい回路の形がないか」
リーネが頷いた。
「私も変身の感覚を覚えておく。明日また試してみましょう」
「頼む」
リーネが立ち上がった。
「じゃあ私はこれから準備をする。明日の朝食の仕込みもしておきたいし」
「俺も魔法の設計を考える」
「頑張って」
「お互いにな」
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リーネが建物の中で何かを始めた気配がある。
布を広げる音。小刀で何かを削る音。
静かだが、手が動いている音だ。
アクロスは焚き火の前で足を組み、目を閉じた。
まず変身魔法の再設計。
今の変身は「外見を変える」ことに魔力を使いすぎている。
肌の色、耳の形、瞳の色、魔紋を隠す。
これを全部「常に維持し続ける」のが消耗の原因だ。
(別のアプローチがある。「隠す」んじゃなく「見えなくする」)
炎を消す時のイメージ。燃料を断つか、酸素を断つか、熱を奪うか。同じ結果でも方法が違う。
変身も同じかもしれない。
外見を「作り直す」のではなく、本来の外見に「膜をかけて別の像を投影する」イメージ。
(見ている側の目に届く光の情報を書き換える。
実際の姿は変えない。光学迷彩に近い感覚)
LEDライト魔法の応用が使えるかもしれない。
特定の波長の光だけを吸収して別の情報に変換して反射させる。
(理屈では成立する。消耗が減るかどうかは試してみないとわからないが……
やってみる価値はある)
(あとは魔力の隠蔽とかもしないとなぁ…
大きな町だと実力者とかもいるだろうからなぁ…
おまえのその魔力…わかるぞ…みたいなやつも出てきそうだな
設計のイメージが固まってきたが… もう少し練ってみて。
明日の朝、試してみるか。)
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次。
アクロスは目を閉じたまま、胸の奥の魔の創造に意識を向けた。
(さて。これは……ずっと考えてたやつだ)
ラノベ読みなら誰でも一度は憧れる魔法がある。
それは…
収納魔法。
アイテムボックス。無限収納。次元の狭間に荷物を入れる。
旅の必需品。これがあれば荷物問題が全部解決する。
今は袋に詰め込んで運んでいるが、魔核、毛皮、食材、水、薬草、全部が嵩張る。
問題は実現できるかどうかだ。
(収納魔法の原理として考えられるのは二つ)
一つ目。空間を圧縮する。物理的に体積を小さくして、別の場所に押し込む。これは理屈として無理がある。物は圧縮されると密度が増して壊れる。食材を圧縮したら使い物にならない。
二つ目。次元の折り畳み。空間そのものを曲げて、別の座標に「ポケット」を作る。そこに物を入れる出口と入り口を繋ぐ。
(これが正解に近い気がする)
魔の創造は魔法をゼロから設計できる。空間の折り畳みを、魔力を使って実現できるか。試してみる価値はある。どこまでできるか。
(まず小さいサイズから。名刺一枚分の空間を折り畳んで、そこに鉛筆一本入れる感覚で)
設計を始める。空間という概念に魔力を干渉させる。
これは今までの魔法とは次元が違う。
土や水や空気を操るのではなく、空間そのものを触ろうとしている。
(……なるほど。手応えがある。薄い膜ができてきた)
指先の前に、目には見えないが感触がある。薄くて、伸縮する膜のようなもの。これが折り畳まれた空間の入り口だ。
試しに石ころを一つ押し込んだ。
消えた。
「……うわ!…おぉ」
思わず声が出た。
建物の中でリーネが「どうしたの」と声をかけてきた。
「な、なんでもない。ちょっとうまくいったからびっくりした」
「そう…?気になるわね」
「待ってて、できてから見せる。きっと驚くから」
「はいはい…」
リーネは作業を続けた。
最近は、おかあさんでありながらもおばあちゃんにも見えてきたな。
まあ七十三歳だしな。
さて、続きだ。
取り出す。石ころが戻ってきた。温度は変わっていない。形も変わっていない。
(できた。規模は米粒ほどだが、収納魔法の原理は成立した)
問題は容量と維持コストだ。
今の設計では、せいぜい手のひらに乗るサイズの物しか入らない。
しかも維持に常時魔力を少し使う。★が上がれば容量も安定性も改善されるはずだが、今は実用には遠い。
(でも原理が成立した。あとは★を積み上げれば大きくできる)
これは嬉しい発見だ。
旅の道中でコツコツ練習すれば、実用レベルになるかもしれない。
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次。これが一番こっそり考えたいやつだ。
アクロスは周囲の気配を確認した。リーネは建物の中で何かを縫っている。
クロとフレスは寝ている。
大丈夫だ。誰も見ていない。
(武器魔法)
魔の創造で魔法を生み出せるなら、武器として使える魔法の刃を作れないか。
剣として機能する魔力の刃。
掌から直接生み出す、魔力製の刃。取り出し自由。
しかし、問題は俺自身が、武器を持ったことがないことだ。
アクロスは四十三年間、剣を握ったことがない。
体術は仕事で酔っ払いを押さえたりした経験から来ている。
だが刃物の使い方は全く知らない。
ドルクと戦った時も、あくまで素手と魔法の組み合わせだった。
だから「剣」を作っても、雰囲気でしか使い方がわからない。
正直な話。
折角転生したんだから剣を使って戦いたい気持ちはもちろんある。
(ゆくゆくは剣も使って戦うが…今のところは、
飛ばして使ったり、獲物の解体とか、ちょっとした時に剣はあれば便利だもんな)
(よし、作るか…アクロスソードを!)
考えた瞬間に自分で「ダサッ!」と思ったが、
じゃあ他に何があるかと考えても思いつかない。
魔力の刃。
どうせ技名として声に出すつもりはないし、自分の中の名前だから別にいいだろう。
(アクロスソード。原初の奔流から引き出したエネルギーを、刃の形に固定する)
設計が動き始めた。魔の創造が反応している。
刃の形状。幅と厚みと長さ。材質は……魔力そのものを固体化するイメージ。氷の刃に近いが、氷の制約がない。理論上は熱を持たせることも可能。つまり焼き切る刃も作れる。
(冷たい刃、熱い刃、電気を帯びた刃。応用範囲は広い。しかも使い捨てではなく、魔力さえあれば何度でも生成できる)
ただし今日は設計だけだ。実際に試すのは明日の朝、リーネがいない時に……
いや、リーネがいる時に試して批評を受けた方が改善は早い。
(アクロスソードがカッコよすぎて泣かない女がついに涙を流すかもしれないな)
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建物の中から、小さなハンマーで何かを叩く音がした。
続いて、革を引っ張る音。
「なに作ってんだ」
「見ればわかるわよ。終わったら持ってくから」
「なになに、リーネさんも秘密主義ですか?」
「黙りなさい。出来上がるまでおとなしく待ってなさい」
「はい」
アクロスは焚き火を少し整えながら待った。
しばらくして、リーネが建物から出てきた。
手に、いくつかのものを持っている。
まず財布だ。草角獣の革を折り畳んで、細い紐で縛った小さな財布。
縫い目が丁寧だ。中に仕切りが一つある。硬貨を分けて入れられる。
次に、二人分の荷袋。既存の袋よりも肩紐が太くて、背負いやすそうな作りになっている。口の締め方も改良してあって、走っても中身が飛び出さない構造だ。
それから、小さな薬草入れ。
蓋付きの革の筒がいくつか紐で繋がっていて、腰に下げられる。
「すげぇ!作ったのか、これ全部」
「革細工は集落で学んだから。剥いだ毛皮がたくさんあったし、有効活用しないと」
「慣れた作業だしすぐ作れるわ」
アクロスは財布を受け取った。草角獣の革は硬くて丈夫だ。
使えば使うほど手に馴染んでいく素材だ。
仕切りの構造が、銀貨と銅貨を分けて入れられるように設計されている。
「……リーネ」
「なに」
「財布、作ってくれたのか」
「あなた、お金を全部、ポケットにでも入れて持ち歩くつもりだったの?
ちゃんと財布にいれないと」
「それは……そうだな」
航時代は正直、小銭はいつもポケットに入れてた。
それは黙っておこう。 リーネばあちゃんに叱られちまう。
「荷袋も肩が痛くなってたでしょ。
毎日布袋を抱えて歩くなら、改良した方がいいと思って」
「思ったら黙って作るんだな」
「口より手の方が早いから」
「確かにな」
アクロスは頬をさすった。
さすがにもう治ってる。
リーネが自分の分の荷袋を確かめながら言った。
薬草入れを腰に当てて位置を確認している。
「明日の朝食の仕込みも終わった。朝は煮込みにする。昨日の出汁を夜のうちに水に浸けておいたから、明日の朝に煮れば完成する」
「煮込みか。楽しみだな!」
「ふふ、作り甲斐があるわね」
リーネが満足そうに頷いた。
それから少し考える顔になった。
「明後日、グラザに行く前に、近くの村か集落を探してみましょう。
あなたが言ってた、変身の練習をするための場所」
「ああ。いきなりグラザは情報量が多い。一度小さい場所で試したい」
「変身魔法、何かいいアイデア浮かんだの?」
「設計は固まった。消耗は減らせると思う…」
「そっちも楽しみね」
「理屈がきっちり練れればどんな魔法でもきっと作れるんだ。
お前が言ってたこと、正しかったよ」
「他にもいろいろ考えてみたんでしょ?
収納魔法とか、きっと手から剣が出る魔法とかも考えてそう」
「……え」
鋭すぎておしっこ漏らしちゃいそう…
「昨日から時々変な顔をして考えてたから。何か考えてるなって思って」
「ばれてたのか」
「あなた、考え事してる時にだいたいいつも同じ顔をするのよ。
口元がちょっと変な感じになる」
「どんな感じに」
「なんかニヤニヤしてる」
それは恥ずかしい、しかもキモイやつじゃん。
アクロスは頭を掻いた。
「……設計中だ。まだ形になってない」
「明日の朝、それも試してみてよ。一緒に見たいわ」
「ああ。見てて批評してくれ」
「容赦しないわよ」
「はいはい、頼むよ先生」
「ふふ…先生は嫌って言ったでしょ」
フレスがリーネの肩でぴぃと鳴いた。
眠い、という声だ。
クロがアクロスの足元に頭を乗せている。
「そろそろ寝ましょう」
「ああ。今日もよく動いた」
リーネが荷袋と薬草入れを建物の中に持ち込みながら言った。
「毎日どんどんやることが増えるわね」
「やることが増えるのは悪いことじゃない」
「そうね。……少し前まで逃げることしか考えてなかった」
静かな声だった。
ただの感想として言った言葉。
だが重さは確かにある。
「今は次のことを考えてる。それだけで全然違う」
アクロスは焚き火に最後の枝を加えた。
炎がぱちりと爆ぜる。
「そうだな」
「おやすみ、アクロス」
「おやすみ、リーネ」
建物の中に光る苔の紫が揺れている。
財布の感触がポーチの中でしっくりきている。
草角獣の革は今夜から手に馴染み始めるだろう。
目を閉じる前に、アクロスは胸の奥でもう一度呟いた。
(アクロスソード。……いや、逆にかっこいいんじゃないか?)
小さな魔王軍の夜が更けていく。




