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第14話 おっさん、謝る

リーネに殴られた翌朝。


目が覚めた。頬がまだ腫れている。

治癒魔法を自分にかけたが、魔力込みの一撃は一晩では完治しなかった。

触れるとずきんと痛む。実戦でも全然使えそう。


建物の中を見る。

リーネの寝台は空。

毛布が畳まれている。


外に出ると、リーネが焚き火の前に座っていた。

フレスを膝に乗せ、火を見つめている。

背中が硬い。


クロがアクロスの足元で見上げた。

「行けよ」と言いたげな紫の瞳。


「……おう」


歩いていく。

足音を殺さず、ゆっくり。


三メートル手前で止まった。


「リーネ」


返事がない。

フレスだけが片目でこちらを見ている。


「昨日は悪かった。言い訳しない。全面的に俺が悪い」


銀白の髪が微かに揺れた。

振り向かない。


「魔力切れで意識が飛びかけたしたのは事実だ。でもそれを言い訳にはしない。

お前の体に触れる儀式をやるなら、もっと慎重に準備すべきだった。

リスクをしっかり考えれてなかったのに強行した。判断ミスだ」


フレスがちらりとこちらを見た。

深紅の小さな瞳。

主人の代わりに値踏みしている目。


「…………」


「もう一つ。正直に言う」


ここで嘘をついたら、二人の関係も安っぽいものになってしまう。

全部嘘になる。


「手が思ってもないほうに動いた。これも本当だ。

ただ、最後のもみもみに関しては、男の本能がそうさせたのかも知れない。

四十三年の煩悩が――」


「四十三年てなに?」


リーネが今日、初めて声を出した。

振り向いてはいない。


しまった。テンパって年齢が。


「……いや」


「あなた、前にも人類がどうとか言ってたわよね」


「…………」


「まあいいわ。続けて」


「……つまり、不純な意識がゼロだったとは言い切れない。

それも含めて謝る。すまなかった」


長い沈黙。


焚き火がパチパチと音を立てている。

フレスがぴぃと小さく鳴いた。


リーネがゆっくりと振り返った。


深紅の瞳。怒りはまだ残っている。

だが昨夜の殺意は消えていた。


「…………三つ、約束しなさい」


「…はい」


「一つ。儀式は私が許可するまでやり直さない」


「わかった」


「二つ。魔力制御もちゃんと練習してから再挑戦する。

もちろん魔力も万全の状態で」


「同意する」


「三つ」


リーネが立ち上がった。

フレスを肩に乗せ、アクロスの正面に立った。


「三つ目。今後私の体に触れる時は、必ず事前に許可を取る。

治癒魔法の時も。儀式の時も。全部」


「……約束する」


「よろしい」


ふん、と鼻を鳴らした。

許された。……たぶん。


「腫れてるわよ、頬」


「お前が殴ったんだろ」


「自業自得でしょ。……冷やしてあげるから」

リーネが手を伸ばし――止まった。


「…………やっぱり、……自分で治しなさい」


手を引っ込めた。

耳の先端がうっすら赤い。


「はい……」


--


朝飯は普通に一緒に食べた。


塩焼きの狼肉と赤紫の実。

リーネはフレスに実の果肉を小さくちぎってやっている。

雛鷲がぴぃぴぃ鳴きながら嘴でつつく。


空気はまだ少し硬いが、昨夜の氷点下からは回復した。


「リーネ」


「何」


「お前の魔法を見せてくれ」


リーネの手が止まった。


「……いいけど」


「覚悟の話をした。仲間の話もした。フレスも生まれた。でも互いの力をちゃんと知らない。俺はお前の魔法をちゃんと知らない。

お前は俺の魔法をいくつか見たけど、本気のやつじゃない」


「あなたに本気なんてあったの」


「★3なりの本気はある」


リーネがフレスを肩に乗せ、立ち上がった。


「わかった。見せてあげる。あなたの本気も見せて」


--


拠点の外、少し離れた開けた場所。


リーネが杖を構えた。

先端の紫の光が、出会ったときよりかなり明るい。

魔力はだいぶ戻ってきているらしい。


「私の得意は氷と風。力技より制御寄り。

まず氷からいくわね」


左手を伸ばした。

掌の前に空気が白く凝結し――氷の槍が形成された。

アクロスの氷槍とは出来が違う。

長さ五十センチ。

表面が滑らかで、密度が均一。

光を受けて透明に輝く。歪みがない。


「俺の氷は三十センチでぼろぼろ崩れたんだが」


「あなは力で無理やり固めてる。だから脆い。魔法の本質は力じゃなくて制御。

氷に関しては水の一粒、一粒を一つずつ並べて固める感覚。

私は編み物をする時の感覚で魔力を操作する」


「……編み物」


「毛糸を一本一本並べて形を作るでしょ。乱暴に押し込んでもちゃんとした形にならない。それと同じよ」


投擲。

氷の槍が空気を切り裂いて飛び、十五メートル先の木の幹に深々と突き刺さった。

根元まで。


「おまえ、編み物とか、できるんだ?」


「できるにきまってるでしょ。次。氷の壁」


リーネが杖を横に薙いだ。


地面から白い靄が立ち上がり、瞬く間に結晶が重なり積み上がっていく。

高さ二メートル、幅三メートル。

表面が鏡のように滑らかで、向こう側の木々がゆがんで映っている。

アクロスが拳で叩いた。硬い。石より硬い。指の骨が痛い。


「俺の土壁はぼろぼろ崩れたのに」


「だから制御の問題だって言ってるでしょ。

…でもこれが☆三つの限界みたいなの。これ以上厚く、広くはどうしてもできない。

★5の魔導士なら家一軒まるごと氷で覆えるらしいけど」


氷壁を解除。

水蒸気になって消えた。


「次。風ね」


リーネが杖を縦に振った。


風が起きた。

アクロスの風魔法とは質が違う。


アクロスの風は「刃」を意識していた。

切ることに特化している。

リーネの風は「流れ」。

空気の塊を操り、方向を変え、圧縮し、解放する。


風が地面の落ち葉を巻き上げ、渦を作り、三メートルの高さまで持ち上げた。

リーネが手首を回すと渦の方向が変わり、落ち葉が螺旋を描いて舞い散る。


「綺麗だな……」


「これはまだ見せ技。実戦だとこう使う」


リーネが掌を突き出した。

圧縮された空気の塊が、弾丸のように飛んだ。

五メートル先の岩に着弾し、表面が砕けた。


風弾ウインドバレット。音がほとんど出ない。不意打ち向き」


「俺の風の刃と似てるな。でもお前の方が射程が長い」


「制御をしっかり意識すると、射程と精もが伸びるの。

あなたの魔法は力で押し切ってるから、射程を伸ばすと威力が落ちる。

そこが根本的な違いよ」


「俺はだいぶ力技でやってるんだな…」

勉強になる。


「最後に。氷と風の複合」


リーネが杖を両手で握った。

先端が光る。


凍嵐ブリザード


空気が一変した。


リーネを中心に、半径五メートルの空間の温度が急降下した。


一秒前まで普通の朝の空気だったのに、今は顎の筋肉が緊張するほど冷たい。


リーネを中心に、半径五メートルの空間に風が渦を巻き、

その中に微細な氷の結晶が混じっている。

無数の結晶が朝の光を受けてきらきらと輝きながら荒れ狂う。

美しいが、近づいたら凍りつく。


「これが私の全力。範囲が狭いのと、維持が三十秒が限界なのが課題ね」


杖を降ろすと、嵐が消えた。

白い霧が残り、ゆっくり晴れていく。


「十分だろ。俺から見たら普通に強えよ」


「お世辞はいいわよ」


「お世辞じゃねえ。俺にないものを持ってる。

精度。制御。構成の緻密さ。

俺の魔法は全部力任せだ。お前のは丁寧に編んである。質が違う」


リーネの耳の先端が赤くなった。

褒められ慣れていない顔。


--


「次は俺の番だな」


アクロスが前に出た。

「★3の全部見せる。遠慮なく評価してくれ」


炎。拳大の黒紫の火球。木に叩きつける。焦げて炭化。

氷。二十センチの槍。投げる。刺さるが浅い。

風。空気の刃。茂みを刈り取る。

土。膝の高さの壁。ぼろぼろ。

雷。指先のバチッ。牽制レベル。

身体強化。岩を叩く。ヒビが入る。


リーネが腕を組んで全部見ていた。フレスが肩の上で首を傾げている。


「……感想を聞かせてくれ。遠慮なく」


「遠慮なく?いいのね?」


「ああ」


「じゃあ、言うわね」


リーネが深呼吸した。


「全部、雑すぎる。ふざけてるのかと思ったわ」


「…………」


「炎は出力だけ。形状制御もない。氷は論外。風は方向性だけで収束が甘い。

土も論外。雷は出力不足以前に魔力回路の流れが雑。

身体強化も力技で雰囲気でやってる。筋力や骨への配分が意識できてない」


一息も置かずに言い切った。

容赦がなかった。


「…………もうちょっと手加減してくれても」


「遠慮なくって言ったのあなたでしょ」


「言ったけども」


「でも」


リーネが少しだけ表情を緩めた。


「魔力の量が私とは桁違い。属性制限もない。何よりゼロから魔法を創れる。

これは既存の魔法体系を学んだ私にも、たぶん誰にもできないこと」


「つまり?」


「あんたに足りないのは技術と理論。それは教えられるし自分でも学べる。

私は魔導士で、デモニア高地の学問所で魔族の体系魔法を学んでる」


リーネが杖の先をアクロスに向けた。


「あなたの創造力と、私が学んだ技術。組み合わせればきっと今とは見違える」


「……お前が師匠になるってことか」


「あなたの師匠なんか嫌よ。協力者。一緒にあなたの雑な魔法を矯正するの」


「厳しそうだな」


「甘くするつもりはないわ。覚悟は決めたんでしょう?」


その言葉に、昨日の朝の重さが一瞬だけ蘇った。

だがリーネの深紅の瞳に宿っているのは、厳しさの中の信頼。


「……よろしくお願いします、先生」


「先生もやめて」


--


そこからの午後は地獄だった。


「氷の槍。もう一回。粒を並べる感覚を意識して」


やる。崩れる。


「力で固めるな。水を凍らせてるんじゃない。水に形を教えてるの」


やる。少しマシになる。

でも崩れる。


「三十回やって一本もまともに作れないって、逆にすごいわね」


「褒めてないだろそれ」


「褒めてない」


風の制御。

収束と拡散の切り替え。


「刃にするだけが風じゃない。包む風、押す風、吸う風。用途で形を変えるの」


「難しい……」


「あんたの問題はイメージが攻撃に偏りすぎてること、理屈をしっかり整えなさい」


「理屈か…」


土の壁。


「崩れるのは構造が単純すぎるから。しっかり外や中の構造を理屈で意識して。

全てがひとつになっているように。考え方はいろいろあるけども、

厚い一枚板として考えてるでしょ。それじゃ力がかかった時に板ごと割れる。内側をどう考えるかも大事なの」


「内側の構造か……」


「例えば中にぎっしり固いものが詰まった箱として考えると、外の面と中の密度が合わさって強くなる」


「ちょっと待て」


アクロスの中で何かが繋がった。


完全に理解した。そういうことなら俺は色々知っているはずだ。

工場の安全講習。構造力学の基礎。ラーメン構造、ブレース構造、モノコック構造。鉄骨ビルの柱と梁が剛接合されることで揺れに強くなる理屈。戦闘機の機体が一枚の薄い外皮で強度を出すモノコックの原理。コンクリートが砂と砂利と水泥を絡ませることで単体より何倍も強くなる理屈。


「リーネ、外の面を一枚の繋がった皮として一体化させる。

面全体に力が均一に分散するイメージだ。内側はぎっしり詰め込むんじゃなく、縦と横に骨を走らせて、その隙間を別の素材で埋める。骨格と外皮の組み合わせだ」


「……何それ。何の話をしてるの」


「遠いところで学んだ建物の作り方だ。建物の構造と魔法の構造は、たぶん同じ理屈が通じる」


「建物の……」


「いいからやってみる」


目を閉じた。土壁を「立てる」のではなく「組む」。

外周の面を一枚の連続した膜として意識し、内部に縦横の骨格を走らせ、骨格の隙間を土の粒子でびっしりと充填する。

コンクリートが骨材と水と泥が絡み合って硬化するように、粒子一つ一つが隣の粒子と噛み合うイメージ。


「……できた、と思う」


目を開けると、さっきまでの「土を積んだだけ」とは明らかに違う壁が立っていた。面に筋が入らず均一で、色も少し違う。密度がある。


アクロスが拳で叩く。ガン、と鈍い重い音がした。

前回とは比べ物にならない。手の骨が痛い。


「……すごい」

リーネが目を見開いた。


「私も試してもいい?」


「どうぞ」


リーネが氷の槍を一本作り、壁に向かって思い切り投げた。轟音。氷の槍が砕けた。壁に深さ三センチほどのくぼみができたが、貫通しない。

割れない。


「……やればできるじゃない」


リーネが少しだけ目を見開いた。


「理屈を教えれば一発で応用する。そこはすごいと思う」


「お、珍しく褒めた」


「調子に乗らないで」


--


夕暮れ。

二人と二匹が焚き火を囲んでいる。


アアクロスは全身が魔法の筋肉痛のようだった。

魔力回路が疲弊している。

慣れない制御を何十回も繰り返したせいだ。


「リーネ。ありがとな」


「何が」


「色々教えてくれて。俺の魔法、確かに雑だった。自分じゃ気づけなかった」


「……当然よ。独学で体系なしに使ってたんだから。

基礎がないまま応用だけやってたようなもの」


「基礎か。仕事でも基礎を疎かにする奴は伸びないって言うもんな」


「仕事……? あなた、時々変なこと言うわよね。

仕事とか、人類とか、四十三年とか」


「…………」

もうちょっと口がうまくなりたいもんだな。と反省。


「まあいいわ。いつか全部話してもらうから」


リーネがフレスに蜂蜜を舐めさせている。

雛鷲が目を細めている。

甘いもの好きは主人譲りらしい。


クロがアクロスの膝に顎を乗せた。

紫の瞳が閉じていく。


穏やかな夜だ。昨日の重い覚悟の朝と、今朝の謝罪と、午後の猛特訓。

濃い一日だった。


「明日はどうする?」


「もうすこし訓練したいな。今日の訓練でいろいろ掴めた。

成果がでたら――」


「お金稼ぎする?」


「ああ。そろそろ金を稼がいだり拠点の物資も充実させないな。

塩も蜂蜜も底が見えてきた」


「冒険者ギルドで依頼を受けるのが手っ取り早いわね。

魔核と狼の毛皮とか売るだけでも足しになる」


「お前も町に行くときは変装するのか?」


「あなたの変身魔法、私にもかけられる?」


「たぶんいける」


「わかった。変身していきましょう」


リーネが焚き火越しにこちらを見た。

もう怒りの色はなかった。代わりにあるのは、前を向いている顔。


「了解。――先生」


「だから先生はやめてって」


フレスがぴぃと鳴き、クロがわふと応えた。


今日はいろいろ学べたな。

いろいろ試したいこと、アイデアがある。


明日も試行錯誤してみよう。


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