第12話 二人と二匹
一つやりたいことがあった。
焚き火の前でリーネと向き合って座った。
クロがその間にちょこんと座り、二人を交互に見ている。
「リーネ。一つ、お前に見せたいものがある」
「何?」
「俺の秘密の一つ」
リーネの深紅の瞳が鋭くなった。角の根元を撫でる癖が出た。
「……いいの?」
「まだ全部じゃない。でも託したくなったんだ。俺からお前への信頼の証として」
「…………」
「お前は昨日言ったよな。逃げない、俺の隣にいてくれるって。
なら俺も、隠してばかりじゃ筋が通らねえ」
リーネは黙ってこちらを見ている。
待っている。
「俺のスキルの一つに、魔の創造ってのがある」
「魔の創造……」
「魔法を一からデザインして作れる。お前が不思議がってたやつだ。
変身も、治癒も、記憶消去も、生活魔法も。
全部、既存の体系じゃなくて俺のイメージで、ゼロから創った」
リーネの瞳が見開かれた。
やはり、という顔と、やっぱり異常だ、という顔が混じっている。
「でもそれだけじゃない。魔法だけじゃなくて、魔物も創れる」
「魔物を……創る?」
「クロ」
名前を呼ぶと、子狼が尻尾を振ってアクロスの膝に前足をかけた。
「こいつは俺が創った。この森に来た二日目に。魔の創造で、ゼロから」
リーネの視線がクロに落ちた。
黒い毛皮。紫の瞳。大きすぎる耳。
「まさか、この子が。あなたが創った命…」
「ああ」
リーネが手を伸ばし、クロの耳の後ろを撫でた。
クロが気持ちよさそうに目を細める。
「道理で…驚いたけど、納得もした」
「何が」
「この子の魔核から感じる魔力も、妙に温かいと思ってた。
野生の魔獣とは魔力の質が違う。あんたの魔力と同じ温度。
……親の匂いをちゃんと感じる」
その表現に、アクロスは少しだけ胸が詰まった。
「リーネ。お前にも創ってやりたい。クロみたいな相棒を」
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リーネが息を呑んだ。
「……私に?」
「クロは俺の目であり耳であり、最初の仲間だ。
こいつがいなかったら、俺はこの森で苦労しっぱなしだったろうな」
クロが「わかってるじゃん」という顔で尻尾を振った。
「お前にもそういう存在が要ると思う。旅の相棒。
お前には空から見守ってくれるやつ。
地上じゃ見えないものを見つけてくれるやつを創る」
「空から……鳥?」
「あぁ、鳥だ。――鷲だ」
アクロスの脳裏に浮かんでいたのは、北欧神話に出てくるフレスベルグ。
世界樹の頂に座し、翼を広げれば嵐を起こす巨大な鷲。
全てを見下ろし、全てを見通す鳥。
★3で神話の巨鷲そのものは到底作れない。
だが雛なら。
クロと同じように、小さく生まれて相棒として共に育つ存在なら。
「俺の故郷の神話に出てくる。フレスベルグと呼ばれる巨大な大鷲。
世界の頂から全てを見渡す銀の翼を持つ」
「あなたの故郷の……」
「いつかその話もする。今は――見ていてくれ」
リーネは数秒黙り、それから小さく頷いた。
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地面に手をつく。目を閉じる。
魔の創造に意識を沈めた。
クロを創った時の感覚を思い出す。
だが今回はクロとは違う。
主人は俺じゃない。
リーネの相棒を作る。
イメージを固める。
(銀の鷲。雛。掌に乗るサイズ。だが将来は翼を広げれば人の背丈を超える大鷲に育つ。高高度からの視界。遠方の探知能力。
そして――リーネの目となり、空からリーネを守る守護の翼)
(毛並みは銀。リーネの銀白の髪と同じ色。瞳は――深紅。
リーネと同じ深紅。主の色を持つ鷲)
力を注ぐ。クロの時より消耗がかなり大きい。なぜだ。
(……他者の相棒を創るのは、自分の相棒より負荷がかかるのか)
自分の延長ではなく、別の存在のために命を創る。
魔力の回路が違うのかもしれない。
額に汗が浮く。
くらくらしてくる。
だが止めない。
黒紫の光が地面に広がり、形を成していく。
小さな形だ。
クロよりさらに小さい。
両手に収まる程度。
光が収まった。
そこにいたのは、銀の雛鳥だった。
掌に乗るサイズ。
まだ産毛に覆われている。
だがその産毛が銀色に光っていた。
月光を溶かしたような、淡い銀の輝き。
頭が大きく、嘴はまだ短い。
成鳥になれば鋭く鉤状に曲がるであろう嘴の原型が、丸みを帯びた形で顔の中心にある。
翼は体に比べて大きい。
畳んでいてもはみ出している。
広げれば、雛のサイズに見合わない翼幅。
将来の大翼の予兆。
産毛の下に見え隠れする風切り羽の根元が、仄かに紫がかった銀。
先端だけが白い。
そして瞳。
丸い、大きな、深紅の瞳。
リーネと、同じ色。
雛鳥がぴぃ、と小さく鳴いた。
高く、細い声。
目をぱちぱちさせている。
アクロスの掌の上で、銀の産毛がふわふわと風に揺れている。
「…………すごい」
リーネが、両手で口を覆っていた。
深紅の瞳が大きく見開かれ、
その縁がかすかに潤んでいる。
「……この子が」
「あぁ、お前の相棒だ。受け取ってくれ」
両手で差し出した。
銀の雛鳥が首を傾げ、リーネの方を見た。
深紅の瞳と深紅の瞳が合った。
雛鳥がぴぃ、ともう一度鳴いた。
今度は少し長く。甘えるような声。
リーネの手が震えながら伸びた。
雛鳥を受け取った瞬間、リーネの指の間に銀の産毛が触れた。
「……この子も、温かい」
三度目だ。
クロに触れた時も、蒸しタオルを当てた時も、リーネは「温かい」と言った。
孤独の中で、温度を求めていた。
雛鳥がリーネの掌でもぞもぞ動き、指の間に嘴を突っ込んだ。
くすぐったそうにリーネの唇が震えた。
「……名前、つけなきゃ」
「あぁ、お前がつけろ。お前の相棒だ」
リーネは雛鳥を見つめた。
銀の産毛。深紅の瞳。小さな翼。
「フレス」
短く言った。
「あなたが言った、全てを見渡す神話の鷲の名前から。……フレス」
雛鳥がぴぃ、と鳴いた。
名前を受け入れたように、小さな翼をぱたぱたさせた。
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アクロスはリーネの前に座り直した。
「リーネ。俺がお前にフレスを創ったのは、ただの贈り物じゃない」
「……どういう意味?」
「俺は魔王を目指す。
さっき覚悟を決めた。殺す時は殺す。
背負うべきものは全部背負う」
リーネが頷いた。
「だがな。人間も、魔族も。一人で正しくあり続けるのは無理だ」
「…………」
「力を持つときっと人は変わる。
俺もこれから、いろんなことが起きて、たぶん変わっていくだろう。
今は『殺した命を忘れない』と言ってるけど、百人殺し、千人殺し、一万人を殺した後に、まだ同じことを言ってるかはわからない」
リーネの瞳が揺れた。
「だから――見ていてほしいんだ」
「私に……?」
「フレスは空から全てを見渡す鷲だ。高いところから、遠くまで見える。
お前もフレスと一緒に俺を、見ていてほしい」
リーネが頷く。
「俺が道を外しそうになったら、言ってくれ。暴走しそうになったら、止めてくれ。殺すべきでない相手を殺そうとしたら、叫んでくれ」
「…………」
「誰かが、見ていてくれれば、きっと道を大きく外すことはない。
……かもしれない。保証はねえけど」
保証はない。
それは正直に言った。
見張り役がいても堕ちる時は堕ちる。
歴史がそれを証明している。だが見張りがいないよりはマシだ。
リーネは長い間黙っていた。
掌の上のフレスがぴぃと鳴き、リーネの親指を嘴でつついた。
「……あなたね」
「うん」
「重いもの渡すの好きよね」
「え」
「布人形もそう。今回もそう。調子に乗って、私に背負わせすぎじゃない?」
「…………すまん」
「謝ってほしいんじゃない」
リーネがフレスを胸に抱いた。
銀の産毛がインナーの上で光る。
「引き受ける。あんたの目になる。フレスと空から見る。道を外しかけたら、遠慮なく言う」
「……助かる」
「ひとつ約束しなさい」
「また約束か」
お母さんかよ。とふざけたら怒られるので黙って聞く。
見ていてくれといったのは俺だしな。
「私が見ていられる距離にいなさい。
一人でどこか行って勝手に道を外すのは許さない」
「……了解」
言ってることまんまお母さんじゃん。
「あと。私もいつか道を外すかもしれない。その時はあんたが止めて」
「当たり前だ」
リーネが、四度目の笑みを見せた。
今までで一番、強い笑みだった。
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「最後にもう一つ。絆の魔法を創る」
「絆の魔法?」
「俺とクロは魔の創造で繋がってる。創造主と創造物の糸。
無声指示ができるのもそのおかげだ。でもお前とフレスにはまだそれがない」
「確かに。フレスはあんたが創ったから、あんたとは繋がってるけど……
私とは繋がっていない」
「だから主従の絆を結ぶ魔法を創る。
お前とフレスを、俺とクロと同じ深さで結びつける」
魔の創造に意識を沈める。
(主と従を結ぶ魔力の回路。片方の意志がもう片方に伝わる。感情の共有。位置の把握。そして――互いの成長が互いを高める、共鳴の絆)
クロとアクロスの間にある繋がりを、構造ごとコピーし、リーネとフレスに適合させる。
リーネの魔力は氷と風。
アクロスの原初の魔力とは波長が違う。
だからそのまま複製はできない。
リーネの魔核の波長に合わせて、回路をチューニングする必要がある。
「リーネ、手を出してくれ。フレスを乗せたまま」
リーネが両手を差し出した。掌の上に銀の雛鳥。
アクロスがその上に自分の手を重ねた。
リーネの手が、わずかに震えた。
温かい手だった。褐色の肌。細いが強い指。
「力を流す。ちょっと変な感じがするかもしれないけど、我慢してくれ」
「……うん」
目を閉じた。
魔力を注ぐ。
リーネの手を通して、フレスの魔核に触れる。
同時にリーネ自身の魔核に――
(……ここにあるのか)
魔核の波動を感じた。
氷のように透明で、風のように軽い波長。
小さいが、芯が硬い。まだ伸びる。きっとまだ大きくなる。
その波長に合わせて、絆の回路を編む。
糸を紡ぐように。
一本、二本、三本。
リーネとフレスの魔核を、細い魔力の糸で結んでいく。
「――っ」
リーネが息を呑んだ。
「何か……感じる。胸の奥が温かくて……フレスの心臓の音が聞こえる」
「成功だ。繋がった」
手を離した。
リーネが目を閉じたまま、数秒じっとしていた。
やがて目を開け、掌のフレスを見た。
フレスもリーネを見ていた。
深紅の瞳と深紅の瞳。
ぴぃ。
短く一声。だがその声が、さっきまでとは違った。
甘えではなく、挨拶。
きっと「よろしく」と言っている。
リーネの目の縁が、また光った。
「……聞こえる。この子の気持ちが。
怖くない。お腹がすいてる。……私のことが好きみたい」
「生まれて最初に見たのがお前だからな。お前のことも親と思ってるさ」
「うれしい…」
ここで、俺とおまえの子だ。
なんて冗談でも言ったらきっとぶっとばされそうだな。
とアクロスは考えていた。
リーネがフレスの頭を指先で撫でた。
銀の産毛がふわりと揺れた。
フレスが目を細め、嘴でリーネの指先を甘噛みした。
「……ありがとう、アクロス」
「礼はいいって」
「言わせて。これは……礼を言わなきゃいけないことだから」
リーネがフレスを胸に抱き寄せた。
「集落も焼かれて、ほんとうに一人になった。誰も信じられなかった。
温かいものに触れるのも怖かった。また失うのが怖いから」
リーネの声が震えている。
「でも……もう怖くない。この子がいる。クロがいる。あんたがいる」
「あぁ、隣にいる」
クロがリーネの膝に前足をかけた。
ここにいるぞ、と言うように。
フレスがぴぃと鳴いた。私もいるよ、と。
--
「さて」
アクロスが立ち上がった。
「絆の魔法はかけた。あとは俺とクロにも改めてかけ直す」
クロを呼んだ。子狼が駆け寄ってくる。
同じ手順で、アクロスの手とクロの体に魔力の回路を紡ぐ。
クロとはもともと創造主の繋がりがあったが、絆の魔法でそれを強化した。
クロの紫の瞳が一瞬大きくなり、尻尾がぶわっと膨らんだ。
「どうだ、クロ」
くぅん。
声ではない。感覚で伝わってきた。
嬉しい。もっと繋がった。もっと近くなった。
「…………おう。俺もだよ」
二組の主従が、焚き火を囲んで座っている。
アクロスとクロ。
リーネとフレス。
「リーネ。試しにフレスに指示を飛ばしてみろ。心の中で、言葉じゃなくて感覚で」
リーネが目を閉じた。
数秒後、フレスが小さな翼を広げ、リーネの掌からふわりと飛び上がった。
飛行は不安定だ。
雛の翼では高くは飛べない。
だが一メートルほど浮き上がり、リーネの頭の周りをふらふらと一周して、肩に降りた。
「すごい…!この子、飛んだ!」
リーネの声が上ずった。
目が輝いている。
「私が『飛んで』って思ったら、飛んだ」
「それが絆だ。フレスが育てば、もっと遠くまで飛べる。
もっと高くから見下ろせる。リーネの目が空に届く」
リーネが肩のフレスを見た。
フレスがリーネを見た。
深紅と深紅が見つめ合う。
銀の雛鳥が、リーネの首筋に頭を押しつけた。
温かい。銀の産毛が銀白の髪に溶ける。
「……似てるわね。私たち」
「銀色同士だからな」
「色だけじゃない。この子、意地っ張り。
飛ぶのが下手なのに何度も飛ぼうとする」
「そりゃ主人がそうだからな」
「……うるさいな」
耳の先端が赤い。
クロがふん、と鼻を鳴らした。
「俺の方が先輩だぞ」という顔。
フレスがぴぃ、と返した。
「知らないわよ」という顔。
「おい、初日から喧嘩するな」
二匹がアクロスを見て、同時に首を傾げた。
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四つの命が、石壁の家を拠点にしている。
おっさんと、魔族の女と、黒い子狼と、銀の雛鷲。
昨日までの二人と一匹が、二人と二匹になった。
「……さて」
アクロスが拳を鳴らした。
「覚悟は決めた。仲間も増えた。次はやることがある」
「強くなる、でしょ」
「ああ。それと――金も稼がないとな。
これからはそのあたりもちゃんと考えないとな」
リーネがフレスを肩に乗せたまま頷いた。
「私の魔力もだいぶ戻ってきた」
「やることがいっぱいあるな」
クロが尻尾を振り、フレスが翼をばたつかせた。
森の中の仮拠点で、小さな魔王軍が形を成し始めていた。




