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第11話 おっさんの殺す覚悟

新しい拠点生活二日目。


目覚めたが、起き上がらなかった。


石の天井を見つめている。

光る苔の紫が淡く揺れている。

朝の冷気が頬に触れる。

それでも動かなかった。


リーネとクロの寝息が聞こえる。


静かだ。


この世界に来てからを思い返す。


草原で目覚めた朝。

二つの太陽。

初めて食べた赤紫の実の甘さ。

クロを創った夜。

フィルとの会話。

リーネとの出会い。

そして、廃墟。布人形。


なんだかんだ、動いていた。


動いている間は考えずに済む。

何かに追われている間は、自分の奥底を見ずに済む。

会社でもそうだった。

仕事を詰め込んでいる間は、この生活でいいのかとか、

自分は何のために生きているのかとか、

そういうことを問いかけずに済んだ。


今は違う。屋根があって、飯があって、仲間がいる。

だからこそ、止まれる。止まって考える時がきた。


そろそろ、真剣に考えて、向き合わないといけないことがある。

アクロスはそう思った。


起き上がる。

そしてポーチに手を入れる。角のついた布人形の感触。


--


リーネとクロを起こさず、そっと外に出た。


焚き火を起こす。

朝霧が白い。炎の橙が霧に滲んだ。


鹿肉を焼く気にならず、赤紫の実だけ齧る。

甘い。

だが頭は別のことを考えている。


魔王になる。


ファルティシアの前で言った。

リーネにも「こういう景色をなくしたい」と言った。

廃墟で、銀の木の前で。


あの言葉を嘘にする気はない。


だがそれは何を意味する。

簡単に言えば、こういうことだ。


「魔王になるってことは――戦争をする。

殺し合いをするってことだ」


声に出した。

朝霧に吸い込まれて消えた。


一昨日見た廃墟が頭に貼りついている。

焼けた壁。子供の絵。角のついた布人形。

あの景色をなくすには、焼いた側を止めなければならない。


それは話し合いで止まるものなのか。

止まらない。止まるはずがない。


フィルが教えてくれた。

アルセイド王国は魔族排斥を国策にしている。


半年かけて集落を焼き、角を切り、闇市場で売ってきた。


「話せばわかる」は通じない。

少なくとも今は。


なら――力で止めるしかない。

力で止めるということは、戦争をする。


殺し合いをする。ということだ。


--


戦争とは何だろう。

意味はもちろん知っている。

だが、本当の意味での「理解」はしていないだろう。


航として、平和な日本で暮らしていた。

知っている戦争は教科書とテレビの中だけ。


だが想像はできる。


人が死ぬ。大量に。

敵が死ぬ。味方が死ぬ。どっちも死ぬ。


「魔王になるなら、俺が命令を出す側になる。俺の言葉で人が死ぬ」


口にすると、腹の底が凍ったような感覚になる。


命令とは何だ。


会社なら「あの案件やっといて」で済む。

失敗しても始末書で終わる。


戦争の命令は違う。

「あそこを守れ」「あそこを攻めろ」

どちらも「命を懸けて、死んでこい」

ということだ。


命令を受けた仲間が突撃し、矢を受け、剣で斬られ、血を流して倒れる。

俺の命令で。


「…………」


焚き火が爆ぜた。


もっと踏み込め。

逃げるな。


自分が殺す場面を考えろ。


賞金稼ぎ達を殴り倒した。

あの時、殺す気はなかった。手加減した。気絶させて、

記憶を消して、水場に寝かせた。


あれが毎回通用するか。

絶対通用しない。


次に出会う敵は六人じゃなく六十人かもしれない。

記憶を消す余裕も、気絶させる余裕もないかもしれない。

刃を向けてくる相手に、掌底で済ませる暇がないかもしれない。


その時、俺は殺せるのか。


人間を。

言葉が通じる、家族がいる、飯を食って糞をして夜は寝る。

俺と同じ心を持った存在を。


「…………」


目を閉じた。

廃墟を思い出す。

角のついた布人形。


あの人形を作った親を殺した兵士にも、家に子供がいたかもしれない。


その兵士を俺が殺したら、その子供は俺を恨む。

やがて成長して、剣を取って、魔族を殺しにくる。


そしてまた誰かが死ぬ。


復讐の連鎖だ。 教科書で読んだ。

歴史の授業で習った。

だが教科書の知識と、自分がその当事者になることは、全く違う。


--


考えを変えよう。

「殺さない方法」を探す。


それ自体は間違いじゃない。

殺さずに済むなら殺さない方がいい。

当たり前だ。


だがそれを「原則」にした瞬間、全ては破綻する。


なぜか。


殺さないと決めた指揮官の下で戦う兵士はどうなる。

敵は殺す気で来ているのに、こちらは殺さない。

その差で味方が死ぬ。


「俺が手を汚したくないから、お前が代わりに死んでくれ」


それは最低だ。


工場で事故が起きた時のことを思い出す。

安全対策を怠った管理職が、責任を現場に押しつけた。

怪我をしたのは現場の作業員で、管理職は書類で逃げた。


あの時の怒りを覚えている。

上に立つ者が責任を取らない組織は腐る。


魔王が「殺さない」と宣言して、

その結果味方が余計に死ぬなら、それは責任の放棄だ。


自分のきれいな手のために、部下の命を差し出しているのと同じ。


「……甘えてんじゃねえよ、俺」


自分に言った。声が低かった。


--


じゃあどうする。


全部殺すのか。

敵は皆殺し。容赦なし。

それも違う。


全部殺したら何が残る。

焼け野原と、さらに深い憎しみと悲しみ。

笑顔で希望を語ることは二度とできなくなるだろう。


廃墟を見て怒った。

あんな景色をなくしたいと思った。

それは人間側に同じ景色を作るということではない。


「……答えが出ねえ」


頭を抱えた。

殺さないのは甘い。

しかし殺し尽くすのは愚かだ。


じゃあ何が正解だ。


正解は、「正解は無い」

だと思う。


四十三年生きた航の人生の中で、

一つだけ確信していることがある。


正解のない問題は確実に存在する。


会社の経営にも、家庭にも、人間関係にも、正解のない判断はいくらでもあった。

正解がない時、どうしてきた。


「その時、その場で、自分の持ってるもんを全部使って、

結果には、覚悟と責任で向き合い、最善の道となることを信じて、行動する」


それだけだ。それしかできない。


転職を決める時。離婚届にハンコを押す時。部下をクビにする書類にサインする時。

どれも正解じゃなかった。でもその時の最善ではあった。


--


焚き火に枝を足した。炎が大きくなる。


「整理しよう」


声に出す。ホワイトボードの前に立つ感覚で。


一。殺さないことを原則にはしない。

味方の命を守るために敵を殺す必要があるなら、殺す。迷わない。迷ったらその分だけ味方が死ぬ。


二。殺すことを目的にしない。

虐殺は何も生まない。恐怖で支配しても長続きしない。

焼け野原にしたら、そこに住む奴がいなくなる。

守るべきものがなくなる。


三。一つ一つの死を、忘れない。


殺した相手を覚えておく。名前がわかるなら名前を。わからないなら顔を。

それもわからないなら数だけでも。記録をつけろ。 忘れるな。

自分が背負った命の重さを、数字で持っておけ。

忘れた瞬間に、ただの殺人鬼になる。


四。最終判断は俺がする。

仲間に相談はする。知恵を借りる。だが「殺せ」と命じるのは俺だ。

部下に判断を押しつけない。殺した責任は全部俺が取る。

それが上に立つ者の義務だ。


五。自分も死ぬ覚悟を持つ。

殺す覚悟は、殺される覚悟と表裏一体。

命令を出す側が安全地帯にいるのは許されない。

常に最前線に立てとは言わない。だが逃げるな。


「…………」


五つ。

もちろん完璧じゃない。

具体的な場面に当てはめれば、矛盾も出るだろう。

だが今の俺が絞り出せる最善はこれだ。


--


さらに踏み込む。


最悪のケースを想像しろ。


味方を殺す場面。


裏切り者が出る。スパイが紛れ込む。

あるいは暴走した味方が無辜の人間を殺そうとする。


その時、俺は仲間を斬れるか。


「…………」


工場で、信頼していた班長が品質データを改竄していたことがある。

俺が見つけた。

報告すれば班長はクビになる。

黙っていれば不良品が出荷される。


報告した。


班長はクビになった。

最後に「航さん、俺のこと売ったんすね」と言われた。


あの時の胃の痛みを覚えている。

正しいことをしたはずなのに、しばらくまともに眠れなかった。


裏切った仲間を処刑する。

暴走した味方を自分の手で止める。止めるとは、殺すことだ。


「……できるのか」


わからない。

正直に、わからない。


ならわからないまま進むしかない。


その場面が来るまでに、可能な限り強くなる。

判断力を磨く。

仲間を信じる。

信じられる仲間を作る。


それでも避けられない場面が来たら――


「その時には、逃げない。 それだけは決める」


答えではない。

これは、構えだ。


どんな攻撃が来るかわからない。

だが構えだけは取っておく。


--


扉の開く音が聞こえた。


リーネが出てきた。


銀白の寝癖。深紅の半開きの目。


「……おはよ。早いね」


「ああ」


リーネが隣に座り、焚き火に手をかざした。


「何か考えてた?」


「ああ」


「……眉間にしわが寄ってる」


アクロスは眉間に触れた。

確かに固い。


「そうか」


「深刻な顔で一人でいる時のあなたって、なんか怖いわよ」


「怖いのか」


「嘘。怖くはないけど……心配」


リーネが視線を焚き火に戻したまま言った。

「聞いていい?」


「ああ」


「なんで外にいるの。寒くなかった?」


「そこまで寒くはない。考えたいことがあった」


「……何を」


「お前にも話そうと思ってた。聞いてくれるか」


リーネが少し驚いた顔でこちらを見た。

それから静かに頷いた。


「リーネ」


「何」


「お前は――人を殺したことあるか」


リーネの手が止まった。

長い沈黙。焚き火の音だけが続く。


「……ない」


「そうか」


「でも」

リーネが膝を抱えた。角の根元を撫でる。

癖なんだろう。


「集落が襲われた夜。逃げる途中で兵士と鉢合わせた。

氷の槍で足を凍らせて動けなくした。殺せた。でもできなかった」


「…………」


「あの兵士が追手に合図して、逃げ遅れた人がいたかもしれない。

私が殺さなかったから、誰かが死んだかもしれない」


ゆっくりと、言葉を噛みしめるように言う。

「ふとした時に考えてしまう。あの時殺していれば。

殺さなかったのは優しさじゃなくて、ただの弱さだったんじゃないかって」


アクロスは黙って聞いた。


リーネが顔を上げた。深紅の瞳がまっすぐこちらを見ている。


「アクロス。なんでそんなこと聞くの」


「俺は、魔王になろうと思ってる」


リーネの瞳が見開かれた。


「魔族を集めて、旗を立て、この世界を変える。

そうしたら人間と戦争になる。戦争になったら人が死ぬ。俺が殺す。

俺の命令で仲間が殺す。仲間も死ぬ。場合によっては俺が仲間を殺す時も来る」


淡々と言った。


「その覚悟が俺にあるのか。今朝からずっと考えてた」


リーネは何も言わなかった。

焚き火が爆ぜる音だけが長く続いた。


「……答えは出たの」


「出た。完璧な答えじゃない。でも出した」


「聞かせて」


「殺さないことを綺麗事にしない。殺す時は殺す。でも一人も忘れない。

俺が奪った命は全部背負う。最終判断は必ず俺がする。

部下に責任を押しつけない。そして俺自身も当然死ぬ覚悟を持つ」


リーネは黙って聞いていた。


「……それだけ?」


「それだけだ。 具体的な場面になったら、その時の最善を選ぶしかない。

正解はない。でも逃げない。それだけは決めた」


「…………」


リーネが焚き火を見つめた。


長い沈黙。


「私の集落を焼いた兵士。もし目の前にいたら。……あんたなら、どうする」


「状況による」


「状況じゃなくて。あんたの気持ちとしては」


「…………」

アクロスは答えに詰まった。


嘘を言いたくなかった。「許す」と言えば嘘になる。

「殺す」と言えば、覚悟の重さが軽くなる。


「……怒る。間違いなく怒る。殴るかもしれない。

でもそいつにも命令を出した上官がいて、その上官にも事情がある。

一人殺して終わる話じゃない」


リーネの目がわずかに揺れた。


「構造を、仕組みを壊さなきゃ、また同じことが起きる。

兵士を一人殺しても、次の兵士が来る。だから俺は兵士じゃなく、

この世界の構造を壊す側に立つ。それが魔王だ」


「構造を壊す。……それはもっと多くの血が流れるってことよ」


「ああ。わかってる」


「わかってて、やるの」


「やらなきゃ、あの廃墟が増え続ける」


布人形をポーチから出した。リーネに見せた。


「昨日拾った。集落に落ちてた。子供の人形だ」


リーネの息が止まった。


角のついた、笑顔の人形。丁寧な縫い目。

誰かが時間をかけて作ったもの。


リーネの指が、人形の角に触れた。


ほんの少しだけ。でも確かに、震えていた。


「…………」


「俺はこいつに約束した。こういう景色をなくすと。なくすためには血が流れる。

俺の手も汚れる。それでもやる」


リーネは人形を見つめたまま、長い間黙っていた。


やがて、人形をアクロスに返した。


「……あなた、覚悟ってのは、綺麗なものだと思ってる?」


「思ってない」


「なら、いいわ」


リーネが立ち上がった。

「私は――まだあなたほどの覚悟は持てない。

でも、私も逃げない。それだけは同じよ」


深紅の瞳がまっすぐこちらを見ていた。

恐怖はある。迷いもある。だがその瞳は逃げていない。


「一緒に行く。あんたが魔王を目指すなら。私はその隣にいる」


「……ありがとな」


「礼はいらないわ。私たちは魔族。これは私たち自身の話だから」


それだけ言って、リーネは建物に向かって歩き出した。

背中を見ていた。小柄で、細くて、それでも背筋が真っ直ぐだった。

もう、逃げ続けてきた人間の背中じゃない。

もっと別の何かが、その背中に宿り始めているような気がした。


--


リーネが建物に戻った後、アクロスはもうしばらく焚き火の前にいた。

空を見上げた。


二つの太陽が霧を焼き、森に光が差し始めている。


覚悟は決まった。


だが決まったからといって、心が晴れたわけではない。

晴れなくていい。晴れやかな気持ちで戦争を始める奴は信用できない。


重い。胸が重い。


この重さを抱えたまま歩く。それが覚悟だ。


布人形をポーチに戻した。

「……見ててくれ」


誰に言ったのかわからない。

ただ声に出さずにはいられなかった。


立ち上がった。

建物の中でリーネがクロに朝飯をやっていた。

クロがばくばく食べながら尻尾を振っている。


「リーネ」


「何」


「お前の魔法も見せてくれ。二人で強くなろう」


リーネが振り向いた。

深紅の瞳に、今朝とは違うものが灯っていた。


「……ようやく、まともなことを言ったわね」

ふ、と笑った。


クロが二人の間に飛び込み、尻尾をぶんぶん振った。


何も知らない子狼だけが、無邪気に朝を喜んでいた。


それでいい、とアクロスは思った。


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