第10話 おっさんと生活魔法
ぐっすり眠った翌朝。
鎧戸の隙間から差し込む光で目が覚めた。
クロの舌攻撃ではなく、自然起床。
最高だ。
見ると、クロはリーネの横で丸くなったまま寝ている。
すっかりあっちが定位置になってしまった。
「……なんだか寝取られた気分だ」
ぼやきつつ起き上がる。
昨夜の残りの魔狼肉を焼き、塩を振って朝飯にする。
湧き水で顔を洗い、うがいする。
だが歯を……磨くものがない。
仕方なく指で歯をこする。
「歯ブラシが欲しい。切実に」
リーネも起きてきた。
銀白の髪が盛大に寝癖で跳ねている。
深紅の瞳が半開き。
「……おはよ」
アクロスは三秒、我慢した。が、限界だった。
「わはは!寝癖すげえな!」
思わず大笑いした。
「うるさい!!」
リーネの機嫌を損ねてしまった。
「悪い悪い。直してやるよ」
「触らないでよ」
「風魔法で整えてやる。ほれ」
指先に細い風を纏わせ、リーネの髪に向けてそっと当てた。
全体的に収まれ、というイメージで。
「ちょっ……やめ、絡まる――」
悪化した。
もともと三方向だったのが五方向になっていた。頭頂部の立毛が二本に増えていた。
「おぅふ……ごめん、ふぅう…」
これで笑うと本当に殺されるかもしれない。
命を懸けて耐える。
「これで笑ったら殺そうと思ってた」
「ごめん」
異世界生活が始まって以来の危機的状況をなんとか乗り越えた。
結局リーネが自分の手でなんとかした。
だが肉を渡すと黙って食べ始めた。
食べている間は大人しい。
朝食後、アクロスは建物の中を見回した。
「よし。今日はこの建物をちゃんと住めるように整える。
リーネとクロは周囲の探索を頼む」
「探索?」
「この空間の外側。どのくらいの範囲が茂みで隠れてるか、獣道がどこに繋がってるか、使える植物や他の水源や食料が採れる場所の確認。地図を頭に入れてくれ」
「わかった。クロも連れてくわね」
「頼む。あいつの鼻があれば見落としは少ない」
リーネが杖を手に取り、クロを呼んだ。
クロが尻尾を振って駆け寄る。
一人と一匹が探索任務に出ていった。
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さて。
アクロスは腕まくりをして建物の中を見た。
昨日、掃き掃除と簡単な整理はした。
だがまだ埃っぽいし、壁の隙間から虫が入るし、床は冷たいし、寝床は落ち葉だし。
「普通にやるなら、雑巾で拭いて、隙間を埋めて、棚を整理して……
まあ半日仕事だな」
袖をまくり、膝をついて床を拭き始めた。
布の切れ端を湿らせて、石の床をごしごし。
三分。
「…………」
手を止めた。
「俺、何やってんだ」
航の時の家事の癖で、反射的に手作業を始めていた。
俺はあほか。待て待て
俺には魔法があるじゃないか
炎も氷も風も土も作れる。
変身も治癒も記憶消去もやった。
なら掃除や生活に使える魔法だって当然作れるんじゃないか。
「……なんで今まで気づかなかったんだ」
三日間、焚き火は手で枝を集めて起こし、水は竹筒で運び、肉は木の串で焼いていた。
全部手作業。
それが当たり前だと思っていた。
前世の常識が発想の邪魔をしていた。
「よし。魔法での生活応援キャンペーン実施だ!!」
一人きりの建物に向かって宣言した。
誰も聞いていない。だがアクロスのテンションは本物だった。
オッドアイがやる気に燃えている。
こういう時が一番楽しい。
目標が決まって、試行錯誤が始まる。
仕事の段取りを考える時や、トラブル原因を一つずつ潰していく作業は好きだった。
魔法の開発はそれに似ている。
最高じゃないか。
◇ 掃除魔法
まず目の前の課題。
埃。
風魔法の応用はどうだろう。
室内の空気を緩やかに循環させ、埃を一箇所に集める。
イメージは――掃除機。いや、ルンバだ。魔法のルンバ。
マジック・ザ・ルンバ。
(部屋全体に緩い風の渦を作る。床を這うように。埃や砂を巻き込んで、入り口の方に送り出す)
目を閉じ、魔の創造に意識を沈める。
風魔法は★3でも扱いやすかった。
攻撃用の「切る風」ではなく、もっと柔らかい「掃く風」。
右手を床に向けて振った。
ふわり、と風が起きた。
床を這う薄い風の層が、石の表面を撫でていく。
埃が舞い上がり――いや、舞い上がっちゃ駄目だ。埃が舞ったら散らかるだろうが。
やり直し。
(舞い上がらないように。床に張り付いたまま横に掃く。風の層を薄く、地面から三センチ以内に抑える)
もう一度。
今度は成功した。床すれすれの風が部屋の奥から入り口に向かって流れ、埃と砂と木の葉の欠片を静かに押し出していく。掃き掃除を風がやっている。
「おお……いけるじゃん」
三分で部屋全体の空気がきれいになった気がする。
◇ 水運び魔法
次の課題。水。
湧き水まで五十メートル。
毎回竹筒を持って往復するのは面倒だ。
(水を固めて、宙に浮かせて運ぶ。水球。風か氷の応用で)
これは少し難しかった。
水は重い。形を保つのにも力がいる。
最初の試みは、拳大の水球を掌の上に浮かせた。
問題なし。だがこれでは運べる量が少なすぎる。
バスケットボール大まで拡大。
振動で形が崩れそうになるが、風で外殻を包めば安定する。
「風の殻で水球を包む。シャボン玉みたいなもんか」
湧き水から水を掬い上げ、風の殻に包んで浮かせた。
空中をゆっくり移動する透明な水球。
建物まで運んで、陶器の壺の上で殻を解除。
ばしゃ、と水が壺に落ちた。
「……ちょっとこぼれた」
殻の解除が雑だった。
精度の問題。だが概ね成功。
三往復で壺三つ分の水を確保できた。
手で運ぶより断然速くて、なによりらくちん。
◇ 温水魔法
水があるなら次はお湯だ。
風呂は無理でも、温かい水で体を拭きたい。
リーネだって三日間まともに体を洗えていないはずだ。
(水に熱を加える。炎魔法の出力を極限まで絞って、水の中に通す)
壺の水に手を浸し、掌から微かな熱を送る。
黒紫の炎ではなく、熱だけ。
可視光を伴わない純粋な熱エネルギーをイメージ。
「…………」
十秒ほどで、壺の水がぬるくなった。
もう少し。
二十秒。
ちょうどいい湯加減。
「おお…!」
手を入れてみる。
風呂のお湯だ。ぬるめの。
「これはリーネ、喜ぶだろ」
喜びすぎて、うっかり、ほっぺにチューされちゃうかもしれんな。
布を湯に浸して絞る。
即席の蒸しタオル。
顔に当ててみた。
「うわぁ…マジ最高…」
飲み屋のお手拭きのような温かさ。
毛穴が開く感覚。思わず声が出た。
◇ 乾燥魔法
蒸しタオルの後、布が濡れたまま。
干す場所も時間もない。
(風で水分を飛ばせばいい)
布を持ち、薄い温風を通す。
風魔法と熱魔法の組み合わせ。
二十秒でからりと乾いた。
「魔法乾燥機。いいね、洗濯にも使える」
これは応用範囲が広い。
濡れた服、濡れた毛布、雨に濡れた装備。
全部すぐ乾かせる。
◇ 照明魔法
光る苔は雰囲気がいいが、明るさが足りない。
作業するにはちょっと暗い。
(炎の出力を極限まで絞り、熱を持たない光だけを出す。ランタンをイメージ)
掌の上に、豆粒大の白い光が灯った。
黒紫ではない。熱を排除した純粋な光。
浮かせてみる。天井近くに固定。
部屋全体が柔らかい白い光に包まれた。
「おお……魔法LED。しかも電気代タダ」
維持コストは微かな魔力消費だが、光る苔と大差ない。
「色も変えられるかな」
試しにオレンジにしてみた。
暖色の柔らかい光。夜にはこっちの方がいい。
白に戻す。作業中はやっぱこれ。
◇ 隙間塞ぎ
壁の隙間から虫や隙間風が入ってくる問題。
これは土魔法の出番だ。
石壁の隙間に意識を向け、わずかに岩を膨張させて隙間を埋める。
一つ、二つ、三つ……十五箇所。
「……うわ、コーキング作業だな、これ」
工場でコーキングを手伝った記憶が蘇る。
あの時はコーキングガンで打ったが、今は魔法で埋めている。
全箇所完了。
風の通りが変わった。
隙間風がなくなり、室内の温度が僅かに上がった。
うんうん。イイ感じ。
◇ 冷蔵魔法
食料の保存問題。
肉が傷む。果実も長くは持たない。
(氷魔法で冷蔵庫を作れないか)
棚の一段を氷魔法で冷やす。
石の表面温度を下げ、冷気を保つ。
最初は凍りすぎた。
棚全体が霜で白くなる。
出力を調整。
冷蔵であって冷凍ではない。
五度くらい。
「ちょうどいいかは……
肉を入れて様子を見るしかないな」
狼肉の残りを棚に置いた。
触ると冷たい。いい感じだ。
ただし維持に常時魔力を使う。
これは負荷がかかる。
★が上がれば改善されるだろうが…
今は必要な時だけ冷やすか、いっそ凍らせて壺に保管することにしようか。
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昼過ぎ。
屋根の隅に煙抜きの穴を開け、雨などが入らないように加工して換気口を作り、
室内でも火が焚けるようにした。
「とりあえずはこんなもんかな」
アクロスは一旦満足したように言う。
少しづつこの建物も進化させていこう。
他のアイデアも考えて生活魔法を充実させて、
一家に一台アクロス君とリーネに呼ばれるように頑張ろう。
扉が開けっ放しの入口からリーネとクロが帰ってくるのが見えた。
リーネの腕には何か抱えている。
クロの口にも何か咥えている。
アクロスは入口の外に出た。
無事、任務を完遂した二人をお出迎えしなければ。
「ただいま」
「おう。どうだった?」
「色々見つけたわよ。まずこの空間の外周。
茂みと蔦で囲まれた範囲は東西に三十メートル、南北に二十メートルくらい。
北側に獣道が一本あるけど、細くて人間は通れない。クロは通れる」
「逃げ道になるな」
「それから、南東に五十メートルくらいのところに薬草の群生地があった。
熱冷ましだけじゃなくて、止血草と、たぶん鎮痛効果のあるやつも。
父の教本で見た覚えがある」
リーネが腕に抱えた薬草は三種類。
葉の形がそれぞれ違うようだ。
「あとこれ。クロが見つけた」
クロが口から何かを落とした。
赤茶色のキノコ。
傘が小さく、茎が太い。
「これは炎茸。
乾燥させて粉にして使うの。傷口に振りかけると化膿を防げるわ。
魔族の集落では常備薬だった」
「クロ、お前どこでそれ見つけた」
わふ。得意げ。
最近この顔ばかりだ。
たしかにすごいやつだと思う。
「あと、廃墟の集落にもう一度行ってきた」
「大丈夫だったか?」
「人の気配はなかった。それで、広場の井戸の裏に地下貯蔵庫の入り口を見つけたの。瓦礫で半分埋まってたけど、クロが匂いで見つけて」
「中は?」
「崩れかけてたから深くは入れなかった。
でも入り口から手が届く範囲に、陶器の壺が二つ。中身は――」
リーネがもう一つの荷物を下ろした。
布に包まれた壺。蓋を開ける。
「……蜂蜜」
琥珀色の液体。
甘い匂いが広がった。
「魔族の集落では地下に食料を備蓄する習慣がある。蜂蜜は腐らないから、何年経っても使える」
アクロスの目が輝いた。
「蜂蜜……! すげぇ、蜂蜜……!」
アクロス大興奮。
塩に続いて蜂蜜。
調味料が二つになった。
肉に塩。果実に蜂蜜。
文明の夜明けと言っても過言ではない。
「もう一つの壺は酢だったわ。果実酢。こっちも使える」
「塩、蜂蜜、酢。料理の幅が一気に広がる」
「あんた嬉しそうね」
「嬉しいよ。飯がうまくなるのは絶対正義だ」
リーネが呆れたような、だが少し嬉しそうな顔をした。
そしてリーネの視線が、建物の中に向いた。
「……何これ」
リーネが建物の中に駆け込み、見渡す。
「ん?」
「なんか明るいと思ったけど…。昨日と全然違う。
壁の隙間もない。風除けの壁もできてる。棚が増えてる。それにこの光――」
天井の白い照明魔法を見上げている。
「生活魔法。今日一日で色々作った」
「生活魔法……?」
「掃除、水運び、温水、乾燥、照明、冷蔵。あと隙間埋め」
リーネが口を開き、閉じ、もう一度開いた。
「……あなた、半日でそれだけの魔法、全部作ったの?」
「まあ、どれも完璧じゃないけどな。
冷蔵は維持コストが高いからやり方をもう少し考えないといけないし、
水球は運ぶ途中でこぼれるし」
リーネは建物の中を歩き回る。
棚を触り、壁を確かめ、照明を見上げ、風除けを撫で、
そして――
作業台の上に置かれた濡れ布に目を止めた。
「これは?」
「蒸しタオル。壺の水を温めて棚にあった布を浸した。
顔拭くのに使ってくれ。温かいぞ」
リーネが布を手に取り、頬に当てた。
「…………っ」
深紅の瞳が見開かれた。
温かい布が三日分の汗と泥を拭う感触。
目を閉じ、もう片方の頬にも当てた。長い睫毛が震えている。
「……温かい」
「最高だろ?俺も感動した」
「…………ありがとう」
小さな声。
だが今までで一番柔らかかった。
--
夜。
焚き火の前で夕食。
鹿肉の塩焼き。赤紫の実に蜂蜜をかけたデザート。湧き水。
蜂蜜をかけた実をひと口食べた瞬間、リーネの深紅の瞳がきらきら光った。
「……すごく、おいしい…!」
「今日は『普通』じゃないんだな」
「……うるさい。これは普通じゃないの。すごくおいしい」
素直だ。
甘いものには弱いらしい。
覚えておこう。
クロにも蜂蜜を舐めさせたら、尻尾が過去最高速で回転した。
「お前らも甘党か」
満腹になり、焚き火に当たりながらぼんやりする。
「ねえ、アクロス」
「ん」
「今日作った生活魔法。あれ、全部あなたの自作よね」
「ああ」
「掃除も、温水も、照明も。
既存の魔法体系にないものばかり。あなたは本当に、ゼロから魔法を作れるのね」
「……まあ、そういうことだな」
「あの照明魔法とか。私にもできるかな?」
アクロスは少し驚いた。
「どういうことだ?」
「熱を持たない光だけを出すって言ってたでしょ。
私は属性魔法があるから、そこまで特殊な創造力はないけど……
氷魔法の応用で似たものが作れるかもと思って」
氷の結晶は光を反射する。
うまく制御すれば拡散光を作れるかもしれない。
リーネが考えながら話しているのがわかった。
「試してみる価値はあると思う。やってみろよ」
リーネが杖を握り、先端に意識を集中させた。細い氷の結晶が浮かび上がり、焚き火の光を受けて幾百もの光の粒を散らした。
「……あ、できた」
「おおっ」
焚き火の橙がプリズムのように分散して、石壁に虹色の光の模様が映し出された。
炎と氷の光が混ざり合い、洞窟全体が色とりどりに揺れる。
「きれいだな」
「魔導士の実用的な使い道は少ないけど……
こういう応用もあるのね。新しい発見ね」
「いいね、知識は財産だ」
リーネが杖を下ろすと、虹色の光が消えた。また橙と紫だけの静かな夜になった。
「でも、昨日の治癒魔法もそう。記憶消去もそう。
体系にない魔法を即興で創造する。そんな能力、聞いたことがない」
リーネが焚き火越しにアクロスを見た。
深紅の瞳に炎が揺れている。
「怖くはないわよ。あんたの魔力は温かいし、
作るものは掃除魔法とか蒸しタオルで意味わかんないけど。
世界で一番危険じゃない異能者って感じ」
「褒めてんのか貶してんのか」
「褒めてる。……たぶん」
ふ、と笑った。
リーネが笑ったのを見るのは、これが二度目だ。
三つの月が昇り、光る苔の紫と焚き火の橙が混じり合う。
石壁の家。毛布の寝床。塩と蜂蜜と薬草。温かい水。
数日前は草原に一人で立っていた。
今は屋根のある建物で暮らし、うまい飯がある。笑える仲間がいる。
「……悪くない生活だな」
今日もリーネが笑った。
それだけで、今日は十分だな。と思った。




