表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

毒の復讐

掲載日:2025/10/12

 橋本加奈子は泣き濡れていた。三日三晩の間、泣き濡れて過ごした。というのも、彼女が長年付き合って、仲もよく、結婚寸前まで迫っていた男性が、ある日突然に新しい女性と恋仲になってしまい、別れを切り出されたからだ。それは、あまりにも突然であった。まさに晴天の霹靂である。それほど、加奈子は彼を愛していた。心の底から愛していたのだ。あたしのどこが、いけなかったの?加奈子は尋ねた。しかし彼は答えなかった。

 加奈子の涙が枯れ果てたとき、彼女は心から、咲紀子を憎んだ。彼女から男を奪った山崎咲紀子。彼女さえ居なければ。彼女さえいなければどうだろう?加奈子は思った。咲紀子がもしも、この世から消えれば、あの人も、またあたしを振り向いてくれるかもしれない。そして、いつしか、加奈子の心に、殺意が芽生えていた。咲紀子を殺害するという強い殺意。

 それは、彼女の心で生まれて、やがて、現実として現れてきた。

咲紀子を殺そう。この両手で、咲紀子を殺すのよ。加奈子は決意していた。あの人を私に取り戻すために。

 そう決意すると、少し冷静に加奈子は殺人計画を練ることが出来るようになってきた。どうすればいいかしら?でも、あたし、逮捕されたくはない。どうしても完全犯罪を企てる必要が生まれた。どうすれば?どうすれば?必死になって彼女は考えた。そして、殺害犯人として疑われないためには、何らかのアリバイが必要だわ、と結論した。自分のアリバイが安全であり、犯行時にそこにいなかったという証拠が出来る方法。加奈子は考えて、考えた。

 加奈子は、大学時代に理学部の化学科を卒業していた。そのために、彼女には化学についての多少の知識があった。それで彼女は、咲紀子を毒殺しようと思った。もしもかりに、と彼女は想像したのである。もしもかりに、咲紀子に体内でゆっくりと溶けるカプセルに詰めた即効性の毒薬を飲ませておき、そしてアリバイをつくれば?もしも、カプセルさえ、死んだ咲紀子の体内から検出されなければ?ならば、アリバイの存在で、現場には居ない彼女は、即効性の毒薬だから、疑われないのではないか、と思ったのである。そこで、彼女は、大学時代の知識を駆使して調べ上げた。その結果として、即効性の毒薬として、青酸カリウムを用いることにした。青酸カリウムならば、服用後に数分以内に致死する。理想的である。そして徐溶性のカプセルとして、生分解性ポリマーのマイクロカプセルに決めた。これならば、数時間後に溶けて、中の青酸カリウムで即効性に死ぬだろう。おそらくは、その場に居る人物が疑われるはずである。その間に、安全なアリバイを作っておこうと。それからも、しばらく彼女は、計画を練りに練った。青酸カリウムは、卒業していた大学の化学科の後輩を訪ねる大義名分で、大学の研究室の薬品棚から、こっそりと盗み出しておいた。そして、徐溶性のカプセルは、通販を使い、専門の販売サイトで購入した。これでいい。あとは、犯行の時間と場所だ。加奈子は、カプセルを飲んだことを咲紀子に気づかれぬように、こっそりと栄養ドリンクと生卵を混ぜた飲み物を、元気が出るからと偽って、飲み込ませればいいと判断した。これならば、カプセルを噛まないだろう。と、すればである。彼女と咲紀子は親友の仲だから、殺害するのは、咲紀子が外出する喫茶店でも構わないから、一緒に喫茶店で、咲紀子の好きな紅茶を飲もうと誘い、店で、栄養ドリンクの瓶を出して飲ませて、その直後に用事が出来たと別れればいい。それから、少なくとも数時間後になれば、毒が効くだろう。それまでに、どこかでアリバイをつくっておけばいいのよ、と考えた。完璧だわ。これで、間違いなく、疑われなくて済む。これでいこう。彼女の涙は、いつの間にか、消えてしまっていた......................。


「待ったー?ごめん」

 加奈子は、駅前広場の噴水の前に立っている咲紀子の姿を認めて、駆け寄りながら声を掛けた。

「ううん、あたしも、今来たところだから。それよりもさ、加奈子から連絡してくるって珍しくってさ。何か、あったの?」

「ううん、ただ、咲紀子とは長年の親友じゃん。だから、また仲良く、よりを戻そうと思ってさ。あたしたち、色々あったわけだけどね?」

「加奈子にそう言って貰えると、あたし、嬉しい。じゃあ、また、よろしくね!」

「こちらこそ!」

 ふたりは、歩き出した。しばらくは、とりとめもなく、昔のふたりの思い出話に夢中になった。

「この店、素敵じゃない?」

と、咲紀子が、一軒の喫茶店で足を止めた。小さなヨーロッパ風のオープンカフェであった。

「いいわね。ここにしましょ!」

 ふたりは、道路際のオープン席に座ると、やって来たウェイターに紅茶を二杯頼むと、しばらくはふたりで、外の景色を眺めていた。やがて、加奈子が、

「どう、調子の方は?元気なの?」

と、尋ねた。咲紀子は、

「うん、最近は仕事が忙しくて、寝る暇も減った感じね、疲れたわ」

「そう、咲紀子も大変ね?」

と、答えてから、思い出したように、

「そうそう、あたし、よく効く栄養ドリンク、持ってるわよ。試しに飲んどく?」

と、ハンドバッグから、例のドリンク剤の瓶を取り出した。すると、咲紀子は笑って、

「ありがとう。貰うわ。これ、効くの?」

「まあ、おいしいから、飲んでみれば?」

 すると、咲紀子は、何の疑いもなく、それをひと息に飲み干して、

「助かるわ。やっぱ、持つべきは親友よね」

と、笑顔を浮かべた。大丈夫だ。これで、間違いなく咲紀子は死ぬだろう。加奈子は、ひとつ、溜息をついて、笑顔を浮かべ、

「ああ、そうだ!あたし、今日はトレーニングジムへ行く日だったわ。待ってるトレーナーに怒られちゃうわね。咲紀子、ごめん、あたし、先に帰るわ。あなた、ゆっくりとお茶、飲んどいて。また、あとで連絡するから。それじゃ」

と、呆気に取られている咲紀子を残して、加奈子は店を後にした。

 そして、アリバイ工作のために、加奈子は、行きつけのスナックへ赴いた。昼間から酒を飲むのは、少し気が引けたが、この際、致し方ない。その店までは、電車を使って、三十分少しで到着した。店内には、好都合なことに、客はおらず、中年のバーテンダーが、カウンターのむこうで一生懸命にグラスを磨いている。彼と付き合って酒でも飲んでいれば、彼が、あとで加奈子のアリバイを証明してくれるだろう。

 加奈子は、隅のカウンター席に座りながら、彼に、

「今日は、ちょっと早かったかしら。ねえ、今、何時?」

「今ですか?午後の2時過ぎですね。何にします?」

 それから、数時間の間、加奈子は粘って、彼と話し込んでは、グラスを空けた。それから、しばらくした頃だろうか、突然に、加奈子の携帯が鳴った。

 予想通りであった。それは、警察からの連絡であった。どうやら、咲紀子の携帯に、最後に彼女の受信履歴が残っていたために、念のために連絡してきたらしい。   咲紀子は、彼氏の由紀夫と会っている所で毒死していた。先方の言うには、やはり、加奈子の予想通りに、毒物による即死と判断されたらしい。それで、参考までに話したいので、今居る場所を教えて欲しい、すぐにお訪ねするという。それで、加奈子は、正直に大まかな住所とスナックの名前を教えた。


「いやあ、すみませんねえ」

と、スナックにやって来たのは、初老の刑事らしい男であった。彼は、愛想のいい笑顔を浮かべて、山村と申しますと自己紹介した。彼の話によると、咲紀子が死んだのは、午後の5時過ぎらしい。どうやら、毒死らしいが、不審死の疑いがあるという。それで、一応、関係者から事情を聴取しているらしい。現在のところ、殺人の嫌疑がかかっているのは、死亡時に一緒に居た由紀夫らしいが、前後の様子からみて、その容疑も怪しい。今のところ、捜査は暗礁に乗り上げているようだ。

 死亡時に、咲紀子が由紀夫と一緒に居たのは、正直、加奈子も驚いた。由紀夫といえば、彼女の元彼であり、今でも心から愛する人である。彼に悪いことがなければいいのだが。

「私が現場で検証した限りでは」

と、山村が、笑顔で、

「その場にいた由紀夫という男が怪しいのですが、毒を飲ませた痕跡が残っとらんのですよ。これは不思議ですね」

と、山村は、首を傾げていたが、

「ところで、あなたは、被害者の方とどういう関係で?」

 そこで、加奈子は、簡単に、咲紀子とは高校時代からの親友だと告げた。山村はうなづいて、

「では、さぞ気を落とされていることでしょう。お察ししますよ。で、今日は、どちらに?」

「ええ、午前中は、休日なもので、自宅のマンションで寛いでましたが、昼からは、このスナックに来て、マスター相手に飲んでましたわ」

 すると、山村は、そのバーテンダーとふたりで何やら話し込んでいたが、そのあとで、加奈子を振り返って、

「いやいや、どうもご協力ありがとうございました。また、何かありましたら、私にご連絡下さいな。では、これで」

と、スナックの扉の向こうに姿を消していった..................。


 翌日は、出社日であった。加奈子は、いつも通りに会社へ出勤すると、テキパキと仕事をこなして、お昼休みが来た。彼女が、広々とした社員食堂の隅の席で、カレーライスを口にしていると、突然に背後から声がかかり、びっくりして振り向くと、そこに例の山村刑事が立っていた。

「向かいに座ってもよろしいですかな。..................、いや、すみませんねえ、会社まで押しかけて。実は、ちょっとした事実が発見されましてね、ぜひ、あなたからお話をお伺いしたくてね?」

 向かいに座ると、山村が、笑顔で、

「実はね、被害者のハンドバッグから、栄養ドリンク剤の空瓶が見つかりましてね。どうも、怪しいもので、検査にかけたんですが、毒物の痕跡は検出されませんでした。それと、もう一点、被害者が山野由紀夫と会う以前の行動の後を追ってみたんです。すると、目撃者の情報からみて、被害者は、駅近の喫茶店で、女性と話し込んでいたってね。それで、その女性について調べたところ、あなたと酷似してるんですな。それ、あなたですかな?いかがです?」

「え、ええ。私ですわ。彼女とは、とりとめもない雑談をね。20分ほどで別れました。その時に何だか、無性にお酒が飲みたくなりましたの。それだけです」

「そうですか、やはり、あなたでしたか。じゃあ、あの栄養ドリンクをあげたのも、あなたですかな?」

「ええ、そうですわ。彼女、元気が出ないって愚痴ってましたの。で、たまたま、あたし、買っていたもので差し上げましたわ」

「そうでしたか、いや、分かりました。私の悩みが溶けましたよ。ありがとうございました。じゃあ、また、何か、ありましたら、お伺いしますよ」

 そう言って、山村は去っていった。残された加奈子は、食事を残したまま、ボンヤリと考えていた。大丈夫よ、加奈子。なんでもないわ。あの刑事に何か分かるはずはない。大丈夫。そう自分に言い聞かせて、残りの食事を口に運ぶのであった。


 マンションの居間で、加奈子は寛いで、ソファに座り、クラシック音楽を聴いていた。昼はもう過ぎていた。ひと休みしようと、ソファに寝転がったとき、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、来訪してきたのは、また山村刑事であった。今日は、実に悩ましげな表情をしている。加奈子は、

「あら、また刑事さんですの?今日は何か?」

「いやあ、捜査が行き詰まりましてね。また悩んでいるんですよ。実はね、検死解剖の結果が出たんですが.................」

「何ですの?」

「犯行に使われた毒物がタリウムと判明しましてね。このタリウムという奴は実に厄介でしてな、効くのに、数時間から、数日かかる代物なんです。だから、犯人の特定は、かなり困難になりましたよ」

 とたんに、加奈子は、焦った。それでは、あたしまで疑われる。加奈子は、必死になって訂正した。

「そんなはずはありませんわ。毒薬は青酸カリウムで、即効性のはずですわ。ですから、もう一度、調べ直されてー」

 すると、今まで悩ましげな表情をしていた山村刑事が、ニヤニヤと笑い始めた。

「どうかされて?」

と、加奈子が訊くと、山村は笑って、

「ははははっ、引っかかりましたな。すいませんねえ、罠にはめて。あなたの言うとおりに、毒物は青酸カリウムでした。でもね、その事実を知ることが出来たのは、犯人と、警察関係者だけなんです。なぜ、あなた、その事実をご存じなんですかな?どうです?」

 しまったと、加奈子は思った。彼女は、自ら墓穴を掘ってしまったのだ。もう、どうしようもない。

「負けましたわ。あたしの負け。あなたには降参ですわね。......................、あたし、許せなかったんです、咲紀子が。あたしの最愛の恋人を無残に奪い取っておいて、あんな、あんな......................」

 いつしか、加奈子は悲しみのあまりに泣いていた。その肩に、山村は、そっと手を置いて、

「あなたは、まだ若い。まだまだ、やり直せる人生がありますよ。決して、めげることはないんですよ」

 いつしか、加奈子は、山村にすがりついてすすり泣いていた。そんな加奈子を、山村は優しい瞳で、じっと見守っているのであった.......................。

 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ