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そこには、ただ暗闇があった。
それ以外には緑色に光り輝く河が流れているだけだ。
河には蛍が飛び交っているが、点滅しているその光は青い。
空も大地も見えない。
空間は、ただ黒かった。
そんな場所で、紺色の和服を身に纏った男が、煙管をくわえて地面らしき辺りに寝転がっていた。
男は無造作に腰辺りまで伸ばした黒髪をかき上げて、大きな欠伸をこぼす。
着崩した着物が妙に色っぽいのは、この男の容姿が麗しいからだろう。
そこへ、ひょっこりと白い狐がやって来た。
そして、足音もなく男の隣まで来ると声をかけた。
「鬼灯さん、仕事してくださいよ」
「ああ?めんどくせぇ」
鬼灯と呼ばれた男は起き上がりもしない。
狐はもう一度大きな声で名前を呼んだ。
「鬼灯さん!」
「わぁったよ」
鬼灯は本当に面倒臭そうな表情を浮かべながらも起き上がり、河辺に浮かぶ光の塊を手のひらに載せた。
どこからか流れ着いたのか、まるで占いに使われる水晶玉のようなそれに額を付ける。
「……んあ?」
鬼灯は素っ頓狂な声を上げて玉を見つめた。
それを見て、白い狐が問いかける。
「どうですか?」
「“こんなことなら、誰も愛さなければよかった”……だとよ」
鬼灯は卑屈な笑みを浮かばせて、光の玉を緑色に輝く河に放り投げた。
「馬鹿な奴だ。また繰り返せ」
「また、“昌樹”ですか?」
「希望通り、ぴったりだろ?」
「意地悪なひとですね」
「なんでだよ。誰も愛せない人生を選んだのは、こいつだろ」
消えては灯る青く儚い光の中で、鬼灯の笑い声が響き渡った。