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6.  バルバラの領域【1】

 再び七色の霧に包まれて連れて行かれた先は、森を切り拓いて作られた道の上だった。


「ようこそ、あたくしの領域へ」


 バルバラはにっこりと微笑むと、色の薄い煉瓦を敷き詰めた道を悠然と歩き出す。


「ここが、おま……いや、あなたの領域だと?」

「ええ。この先にあたくしの棲み処がございますのよ。付いていらして?」


 ヘンドリックはバルバラの後に続いて歩き出した。

 鬱蒼と茂る森は七色の霧で煙って遠くまでは見通せないが、木々の合間から穏やかな日差しが差し込み、何とも心地よかった。時折視界の端々をキラキラと輝く金色の粒子が踊る。


 しばらくすると、大きくひらけた場所に出た。庭のように見えるが、青々と茂った草の上にはいくつものタペストリーが無造作に敷かれ、その上に王侯貴族が使用するような上等な家具がドンと配置されていた。

 バルバラはその中にあったテーブルに近づくと、ヘンドリックに椅子を勧めた。


 ヘンドリックは落ち着かない気分で庭を見渡す。


「……まさか、野宿しているのか?」


 バルバラはきょとんとした後、クスクスと笑い出した。


「野宿! おかしなことを仰いますこと! ここはあたくしの領域で、あたくしが許可したもの以外、虫の一匹たりとも入ることができません。雨も降らなければ風も吹きませんのよ」


「しかし……」


「まあ、邸の体を成していた方があなたが落ち着くと仰るのなら、そういたしましょう」


 バルバラが言うなり、二人は一瞬で石壁に囲まれた部屋の中に移動していた。いや、移動したのではない。周囲の景色が形を変えただけのようで、草の上に置かれていた家具は同じ配置のまま、今は床板の上にある。違うところといえばタペストリーの位置くらいなものだろうか。先ほどまでは床に敷かれていたが、今は全てが壁にかけられていた。


「ワインでもいかが?」


 バルバラが首を傾げながら問うと、テーブルの上に黄金のゴブレットが現れた。中には並々とワインが注がれている。


「……これは、あなたの精気でできているのか?」

「少し違います。幻のようなものとでも申しましょうか」


 そんなものとはどんなものなのか。それが知りたかったのだが。


「……遠慮しておく」


 バルバラは肩を竦めた。


「それで、ここはあなたの領域ということだが、あなたの白昼夢の中という解釈で合っているだろうか?」


「いいえ。あたくしたち夢魔には、人間と違ってに夢や白昼夢というものがありません。あたくしたちはそれぞれ、自分しか立ち入ることのできない領域を持っていて、他者の夢や現にいないときはこうして自分の領域に棲んでおります。例えるなら、自宅といったところでございましょうか」


 詳しい説明は省略されたが、夢魔とは肉体を伴ったまま夢と現、自分の領域を行き来できる生き物らしい。子供のうちは親の領域で育つが、自分の領域を創り出せるようになると一人前と認められて独り立ちするのだという。


「待て。あなたは肉体を伴ったまま夢と現を移動できると言ったが、私は今、どうなっているのだ?」


「あなたは先ほどあたくしを問い詰めた街角で、お独りで眠ってらっしゃるはずですわ」


 人間は夢魔に招待されると他人の夢の中や、夢魔の領域に入ることができるが、それはあくまで寝ている間だけで、要するに夢を見ている状態なのだとか。


「何と無防備な! 誰かに身ぐるみ剥がされているかもしれん!」


「安心なさって? 現実とここでは時間の流れが違いますから、ほんの一瞬ウトウトした程度で済むはずですわ」


 バルバラは立ち上がると、部屋の壁際に置かれた書架から一冊の大きな本を取り出してきた。金の装飾が施された革張りの表紙が見事で、大きさはバルバラの胴体ほどあるのではなかろうか。

 バルバラはテーブルの上に本を置くと、軽く咳払いをした。


「さて、あなたの騎士たちが記憶を失う件についてですけれども。あたくしは確かに、あなたの騎士たちの白昼夢や夢の中に入って見目麗しいお姿を鑑賞し、感情豊かな美味しい精気をいただいておりました。ここまでは先ほどの奥様と同じですわ」


「ああ。しかし、騎士団の団員たちは彼女と違って記憶の一部がなくなっている」


 バルバラは頷くと本の留め金を外した。


「その理由は、ここにありますわ」


 本のページを捲ると、飾り文字や色とりどりのインクで描かれた柄や絵などが次々と姿を現した。しかし、どういうわけか、絵に違和感を感じる。


「ん?」


 ヘンドリックはページを捲るバルバラの手を止めて身を乗り出し、食い入るようにその絵を見つめた。


「これは! エメリックではないか!」


 あまりの衝撃に、ヘンドリックは声を上げた。


 それは、ヘンドリックの部下である人妻好きのエメリックだった。絵と呼ぶにはあまりにも生々しく写実的で、まるで彼らがそのまま本の中に閉じ込められているようだ。


「うわあっ!!」


 ヘンドリックは思わず悲鳴を上げて立ち上がった。椅子が後ろへ倒れて床に転がる。


「こ、これは何だ!? 一体どういうことだ!」


 怒りと恐怖に打ち震えるヘンドリックに対して、バルバラはあっけらかんと答える。


「何って、あたくしのコレクションですわ。気に入った殿方の夢の一部は切り取って持ち帰り、更に彼らが美しく見える瞬間を切り出して、ここに貼り付けてありますの」


 夢を切り取られた者は前後の記憶が曖昧になるらしい。ということは、バルバラは部分的に記憶がない団員全ての夢をこうして本に綴じているのだろう。


「人様の夢を勝手に蒐集するんじゃない! 悪趣味な!」

「んまあっ!!」


 バルバラは不服そうに目を吊り上げた。


「けち臭いこと仰らないでくださいな! 別に失くして困る記憶でもございませんでしょう!?」


 言いながら、バルバラはページを捲って彼女のコレクションを一枚一枚指差していく。


 エメリックが人妻とワインを飲み交わしている場面や、ミハイが娼館で馴染みの女とイチャイチャしている――コトに及ぶ前で卑猥とまではいえない――場面、第一騎士団の団員が恋人に振られて嘆き悲しんでいる場面など、本人たちの極めて個人的な夢や空想が次から次へと出てくるではないか。


「人の私生活を何だと思っているんだ! 返してこい!!」


 ヘンドリックの剣幕に、バルバラは急いで本を閉じると、ぎゅっと腕の中に抱え込んだ。立ち上がって彼の手届かない所まで足早に移動する。


「嫌ですわ! これはあたくしの趣味、いいえ! 生きがいでございます!」

「生きがいだと……?」


 バルバラは涙目になりながらもヘンドリックを睨め付けてくる。気が昂っているのか、金色の瞳が煌々と輝きだした。


「そうですとも! 何の楽しみもなく、ただただ永い年月を生きるだけだったあたくしでしたが、儚くとも強欲で怠惰な人間たちの生活を垣間見ると、何とも心躍ることに気が付きましたのよ。ただし、見目麗しい殿方の生活に限りますが」


「美青年に限る……」


「ええ! むくつけき男どもの跋扈せし世の中にあって、彼らは乙女の心を癒す尊き救世主なのです! 朝露を纏いし美しき薔薇! 美の巨匠が創りし芸術品! ああっ、見目麗しい殿方万歳!!」


 声高く宣って、バルバラは片手で本を抱えたまま、空いている方の手を天に突き上げる。まるで神の教えを説く司祭のような風情だが、その佇まいと主張している内容との乖離が酷すぎる。


 被害者本人に聞かれたら反論されそうだが、彼女が言うように、彼らが失ったのは愛人との逢瀬の一部の記憶だったり、悲しみに暮れている記憶だったりと、それほど大事なものでもないのではなかろうか。特に後者は忘れたままにしておいた方が、本人の精神的にもいいのではないかとすら思える。


 人の夢に侵入して精気を喰った挙句、気に入った男の夢を切り取って集めるという質の悪い付き纏い犯(ストーカー)のような行為を除けば、精気を喰われた後も身体の不調を訴えている団員はいないし、人間社会に及ぼしている影響はそこまで甚大とはいえない。


(私生活を覗き見されている男たちには同情するが、要するに記憶さえ無くさなければいいわけだ)


 ――ここは少し譲歩してみるべきではないだろうか。

バルバラの夢の蒐集ですが、今でいうと動画を撮っておいて、後から一部を画像として切り出すようなものです。

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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