3. 強欲司教と聖水
ヘンドリックは早速コンティーヌ家について調べてみたが、貴族名簿や宮廷舞踏会の記録などにも見つけることができなかった。やはり外国の貴族、またはグランティア王国の平民なのだろうか。
平民であるとすれば、見つけ出すのは困難を極めるだろう。誰が何処に住んでいるとか、教会で洗礼を受けたのはいつかなどの詳細な記録は存在しないからだ。
バルバラが夢魔であることを堂々と告白したことを考えると、偽りの家名である可能性も高い。何せコンティーヌ家が夢魔の一族であることが知れ渡れば、確実に異端審問や魔女裁判にかけられ一族郎党処刑されるのだから。
落胆を覚えつつも、頭のどこかで「やはりそう簡単に見つけられないか」、と納得していた。悪魔とは本来の姿を偽り、巧妙に人間社会に紛れているものなのだろう。
実在するかも分からない一族の捜索に勤しむより、バルバラの厄介な能力に対抗する術を模索する方が合理的であると判断したヘンドリックは、非番の日に私服でデセバルの大聖堂を訪れた。
教会は古より悪魔祓いを執り行ってきた実績がある。多くのエクソシストを抱える彼らであれば、夢魔であるバルバラを撃退するために有効な対処方法も知っているだろうと踏んだのだ。
十三世紀に建築されたというゴシック様式の大聖堂は尖頭アーチとステンドグラスをはめ込んだ大きな窓が美しい。正面の主祭壇には十字架と聖母像が安置されていた。
助祭に案内されて回廊を進み、司教の執務室に通される。
「司教様。セラリアン卿がおいでになりました」
助祭が執務室の扉をノックすると、中からだみ声で「入れ」と返事があった。
「失礼いたします」
ヘンドリックが執務室に入ると、ふくよかな中年のクピドス司教が両手を広げて出迎えた。
「これはセラリアン卿! ようこそおいでくださいました」
「司教様、本日はよろしくお願いいたします」
「まあまあ、そう畏まらず! 楽になさってください」
クピドスの身につけている豪奢な衣服に、ヘンドリックは鼻白んだ。カズラという長いマントのようなものは一見質素だが、見る者が見れば高価な布で誂えてあると分かるし、その下に白地に金糸で過度に煌びやかな刺繍が施されたダルマティカを着ている。おまけに彼は本来であれば戒律で禁止されている肉や豪華な食事をたっぷりと食べているのか、腹がでっぷりと突き出ていて、むっちりとしたソーセージのような指には金に大きな宝石をあしらった指輪がいくつも嵌められていた。
近頃は大司教や司教ともなると絶大な権力を持ち、清貧を良しとする聖職者であるにも拘らず貴族のような生活を送り、妻帯をする者までいるという。クピドスも例に漏れず、一部では王都の別宅に愛妾まで囲っているという噂もあった。
(噂を鵜呑みにしてはならんが、このようにギラギラと飾り立てているところをみると、あながち単なる噂でもなさそうだな。何とけしからんことだ!)
ヘンドリックは強張った頬の表情筋を総動員して、何とか微笑みを浮かべる。
クピドスは彼に椅子を勧めると「どっこらしょ」と自分も向かい側の椅子に腰かけた。
彼は脂ぎった額を手巾で忙しなく拭きながら口を開いた。
「それで、本日はどのようなご用件でしたかな?」
「実は、悪魔祓いの記録を閲覧したく参った次第して」
「悪魔祓い!? それは、何でまた?」
クピドスはレーズンのように小さな目を白黒させて身を乗り出した。
「実は、街中を巡回している衛兵たちから、最近街中で妙な気配を感じるという報告が騎士団の方へ上がってきておりまして。万が一ということもありますから、街中で突然悪魔に襲われた場合はどのように対処したらいいのか、調べているのです」
騎士団が夢魔の被害に遭っているなど醜聞以外の何ものでもない。できることならヘンドリックひとりの手で始末をつけたかったので、彼は予め考えていた言い訳をする。
クピドスは腑に落ちないといったように首を捻った。
「ですがなあ。悪魔祓いは、悪魔に憑かれた者を礼拝堂や教会に連れて来て行われるべきとされているのですよ。悪魔祓いに関しては素人の衛兵が対応するよりも、その者を近くの教会かこちらへお連れいただいた方がよろしいと思いますぞ」
「そうなのですか……」
ヘンドリックは黙考した。
バルバラは自身を夢魔と言っていたが、あれは果たして人間が悪魔に憑依された状態なのであろうか。
彼女は二度、ヘンドリックが気付かぬうちに彼を昏倒させ、無理やり夢の中に引きずり込んでいた。
――いや、あれは到底、悪魔に憑りつかれた人間が成し得る技ではない。
であれば、バルバラ自身が悪魔の一種・夢魔であると考えて間違いないだろう。
「……悪魔祓いとは、一体どのような方法で行われるのでしょうか?」
「事前に色々と準備はありますが、儀式自体は聖水の散布から始めますな」
「聖水を」
「ええ。その後、悪魔憑きが苦しみ出したら、十字架を掲げて追いつめるのです」
(ふむ。それであれば、バルバラを探し出し、聖水をかけてみればいいか)
そこで撃退できれば重畳、それで効かないのであれば、十字架を押し付けてみればいい。
ヘンドリックは何度か小さく頷いた。
十字架は彼も持っているが、生憎と聖水は司教や司祭が水を聖別して作るもので、一般的な家庭で常備しているものでもない。
「もしよろしければ、私に聖水を分けていただくことは可能でしょうか?」
「聖水ですか?」
「はい。万が一に備えて持ち歩こうかと思いまして」
クピドスはにんまりと口の端を歪めた。
「ほうほう、それでしたら、私がいつもより念入りに祈祷をして、特別な聖水をお作りいたすことも可能ですぞ。ただ、その……」
「その、何でしょうか?」
クピドスはダルマティカの袖に隠れるようにして指で貨幣を表現する。
「何せ特別な祈祷ですので、少しばかり……ね?」
要するに、特別な聖水を作ってやるから、金を寄越せと言っているのだろう。
――何と強欲な……。
ヘンドリックは思わず眉を顰めた。
しかし、これも夢魔を退治し、騎士団の団員たちを守るためだ。背に腹は変えられない。
彼は咳払いをひとつして、腰のベルトに下げた鞄から財布を取りだし、少なくない額の銀貨を手巾に包んでクピドスへ渡した。
クピドスは手巾の中を確認すると、肉付きの良い顔に満面の笑みを浮かべた。
「ほほほ、これはありがたいことです。セラリアン卿に神のご加護を! それでは明日聖水をお渡しいたしますので、同じ時間にお越し願えますかな?」
「承知いたしました」
何やら自分が教会の腐敗に加担している気がして罪悪感を覚えつつも、首尾よく悪魔祓い用の聖水を手に入れることができた。
「本日はお時間をいただきまして、ありがとうございました」
「いえいえ、何かご相談がございましたら、いつでもどうぞ」
司教の執務室を退出する間際、クピドスは仄暗い笑みを浮かべながら、ヘンドリックに顔を寄せる。
「もしも悪魔や魔女の疑いのある者を見つけた場合は、直ちに私にお知らせ願えますかな?」
ヘンドリックはハッとして彼を見返した。
「奴らはこの世を混沌に陥れる存在。決して赦してはならぬのです。また黒死病を広められぬとも限らないですからな。早めに手を打っておくに越したことはないでしょう?」
百年ほど前にもヨーロッパでは黒死病が大流行して人口が大幅に減少したことがあったが、異教徒が井戸に毒を撒いたことや魔女が原因とされ、他国では多くの人が虐殺されたと聞く。
黒死病の流行以降もここグランティア王国のみならず、ヨーロッパの至る所で異端審問や魔女裁判が行われ、有罪と断定された者が処刑されることも少なくないのが実状だ。十数年前にもフランスを勝利に導いた戦乙女が異端尋問にかけられ処刑されたという。
しかしながら、ヘンドリックは処刑された者の殆どは冤罪であったのではないかと考えていた。人は社会情勢が不安定な時ほど疑心暗鬼になる。他者を糾弾することで不安を和らげようと、少しでも疑わしい者を苛烈なまでに追いつめるのだ。
だからこそ、ヘンドリックは異端審問については慎重になるべきだと考えていた。下手をすれば、バルバラに関わったというだけで、無実の者まで刑場に引きずり出されかねない。
――それをこの司教に意見したところで、自分の方が異端審問にかけられそうだが。
「……そうですね」
ヘンドリックは感情を表面に出さないように細心の注意を払いながら、重々しく頷いた。
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