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ミッドナイト喰らい夢 ~夢喰い姫は見目麗しい殿方を鑑賞したい~  作者: 柏井猫好


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30.  眠れる森の夢喰い姫

 鬱蒼と茂る森の中、薄い色の煉瓦の道を辿って行くと、急にひらけた場所に出る。草の上に敷いたタペストリーの上に高級な家具が配置されたこの空間こそ、この領域の主の私室であるとヘンドリックは解釈している。


 そのうちのひとつ、豪奢な寝台には人間貴族には一般的である天蓋はなく、そこに仰向けに寝ている娘のあどけない顔を、柔らかな日差が照らしている。その様子はさながら物語の一節のようであると、ヘンドリックは思った。


 バルバラは上掛けをかけるわけでもなく、ただ寝台に身体を横たえていた。白魚のような両手は鳩尾のあたりで組まれ、呼吸の度に緩やかに上下している。


「バルバラ嬢……」


 ヘンドリックは寝台の脇に歩み寄ると、小さく呼びかけた。しかし、それに対する反応はない。日差しに照らされているにも拘らず、ヤギの乳のように白い顔は青ざめている。普段の彼女の凛とした様子は微塵も感じられない。あまりの弱々しさに、ヘンドリックの胸がざわついた。


 彼は背後に立っていたヒルデガルドを振り返る。


「……本当に、眠っているだけなのだろうか?」


 ヒルデガルドは肩を竦めた。


「まあ、厳密に言うと眠っているわけではないんだよね。余計な力を使わないように、内側に籠っていると言った方がいいのかな? あたしたち夢魔は人間みたいに睡眠を取るわけではないから」


 ヘンドリックはバルバラの耳に顔を近づけるため、その場に跪いた。無意識のうちに、敷布の上に広がる豊かな紫色の髪を一筋手に取っていた。


「バルバラ嬢。私を窮地から救ってくれたこと、心から感謝している。……あなたには助けられてばかりで、何も返すことができていないな……。本当に不甲斐ない」


 その首の細さ、腰の細さ、手の小ささ。男性で騎士である自分と比べ、彼女の華奢さは何とも無防備で儚く目に映る。


 夢魔の世界において男女は平等であるのだという。彼女らからしてみれば、女性であるバルバラが男性であるヘンドリックを守ったのは何ということでもないのかもしれない。


 しかしながら、人間社会に身を置くヘンドリックは、女性とはか弱く、男が導き守ってあげなくてはならない生き物であると教えられてきた。彼にとって、男が女を守ることこそが常識であり正義だった。それ故に、彼女に比べて圧倒的に体格が大きく、腕力もある自分が彼女の力に縋るしかなかったことが悔しくて堪らなかったし、矜持も傷ついた。もちろん、バルバラの実力に嫉妬したわけではないし、彼女には感謝しかない。ヘンドリックは自分自身に対して深く失望したのだ。


「思えば、出会った頃、私はあなたに対してとても失礼だったな。為人も知らずにあなたを悪魔の一種だと決めつけて……」


 それは、神を信仰している者としては当然の感覚だったのかもしれない。悪魔とは天に背き、人を陥れる邪悪な存在だとされているのだから。しかし、教えを妄信することは神に恭順を示すことと同義ではないのだ。


 そうでなくては、少し通常と違う見た目や習慣を持っていたり、大多数と異なる考え方をするなどの理由で少数派の彼らを「異端だ、魔女だ」と糾弾し、排除することで不安を取り除いている者たちと同類に堕ちてしまう。


(あれが、神が我らに求める姿だとは到底思えない。己の見たもの、感じたことを元に正しい判断をしなくてはならない)


 ――それを気付かせてくれた女性。


「どうか早く良くなってほしい」


 呟いた懇願は、自分でも驚くほど切なく耳に響いた。


 ヘンドリックは紫色の髪をそっと敷布にもどし、恐々と右手を伸ばした。現実では痺れて動かしづらい手は、ここでは以前の通り己の意思に従順に従った。

 バルバラのまろい額にそっと触れると、その肌は予想していた通り滑らかで柔らかく、温かい。途端に胸がキュッと締め付けられたのと同時に、小鳥でも飼っているのかと思えるくらい、ざわざわと落ち着かなくなった。


 熱に浮かされたように頭の芯がふわふわする。白い額に吸い寄せられるようにして、気付けば彼はそこに口づけを落としていた。


「うっほお!」


 ヒルデガルドの奇妙な感嘆にハッと我に返り、ヘンドリックは慌てて後退った。顔が燃えるように熱くなる。バルバラが目を閉じていてよかった。朱色に染まっているであろう頬を見られないで済む。


「こっ、これは!」

「いやいや、いいんだよ? あたしのことは気にせず続けて……」


 ニヤニヤと頬を緩めていたヒルデガルドは何かに気付いたように真顔になった。その様子に違和感を感じたヘンドリックは、彼女の視線の先に目を向けた。


「ん……」


 バルバラが小さな声を漏らすと、うっすらと目を開いた。


「バルバラ!」

「バルバラ嬢!」


 ヘンドリックとヒルデガルドは競うようにして寝台に駆け寄る。バルバラは眩しそうに顔をしかめ、緩慢に瞬きを数回繰り返した。


「……あたくし、休眠しておりましたの?」


 掠れる声でバルバラがそう呟くと、ヒルデガルドは何処からかゴブレットに入ったワインを差し出した。


「愛しい男の口づけで目覚めるなんて、いかにも人間たちが好きそうだね。後世で恋物語に多用されそう」


 ヒルデガルドがぼそりと呟いたが、最初の方は聞き取れなかった。「親しい」と言ったのだろうか。

 ちびちびと舐めるようにして飲んで喉を潤すと、バルバラはそこで初めてヘンドリック気が付いたように目を丸くして硬直した。


「ヘッ!?」

「へ?」


 みるみるうちにバルバラの首から上が朱に染まる。彼女は両手で顔を覆うと、二人の視線から逃れるように上半身を捻って顔を背けた。


「ヘンドリック様! いらしていたのですか!? いやだわ、あたくし、涎など垂らしていなかったでしょうね……」


 後半は小声だったので何を言ったのかは分からなかったが、ヘンドリックは寝起きの淑女を間近で見下ろすのは礼儀に反していると思い立ち、ゆっくりと数歩後退った。


「ああ、許可もなく立ち入って申し訳ない。あなたが昏睡状態だというから、居ても立っても居られずに来てしまった」


「ちょっ……とお待ちになって。身なりを整える時間をくださいませ」

「ああ、そうだな。気が利かず申し訳なかった……」


 ヘンドリックは急いでバルバラの私室部分を離れると、煉瓦の道を辿って森の中へ入った。頭の中では恥じらうバルバラの姿が何度も繰り返し蘇り、何とも落ち着かない気分になる。

 しばらくしてヒルデガルドが呼びに来て元の場所へ戻ると、バルバラは淡い赤色のシュールコートゥベールという脇が開いた上着を着て椅子に座っていた。きちんと髪も梳ったようで、先ほどより艶が増している。顔色はまだ悪いようだが、背筋を伸ばして座っていられるくらいは回復したようだ。


「お待たせいたしましたわ」


「いや、私の方こそ、先ほどの無作法をお詫びしたい。……やはり、あなたには淡い赤色が似合うな」


 安堵の息を吐き口元を緩ませると、バルバラの頬がうっすらとバラ色になった。彼女はいたたまれないといった様子で視線を泳がせる。


「はいはい、お邪魔虫はもう退散するから、そういうのはあたしが帰った後にやってもらいたいね」


 ヒルデガルドは半眼で二人を交互に見渡すと、踵を返して歩き出した。


「ヒッ、ヒルデガルド! まだいいではありませんか!」


 バルバラは縋るように手を差し伸べたが、ヒルデガルドは振り返ることもないままヒラヒラと手を振って姿を消した。

 急に訪れた沈黙が気まずい。ヘンドリックはできるだけ平静を装った。


「力を使い果たしたとのことだが、もう大丈夫なのだろうか?」


「ええ、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。精気が枯渇するほど無茶をしたのは初めてだったので、自分でも驚いていますけれども、もう大丈夫ですわ。後は毎日人間から精気をいただいて、少しずつ回復していくしかありません」


「そうか……。私の精気は不味いのだろうが、必要なだけ喰ってもらって構わない」

「そんな、お気持ちだけで充分ですわ……」


 バルバラは微妙な顔をして視線を彷徨わせた。やはり「激マズ」精気は食べたくないのだろう。外見のいい男の精気を貪っているバルバラを想像すると、モヤモヤした不快な感情が湧き上がった。


 その感情が何であるか既に気付いている。これは嫉妬だ。


 ヘンドリックは徐に立ち上がると、テーブルを挟んで向かい側に座っているバルバラの方に足早に移動した。彼女の前に跪き、そっと両手で小さな白い手を取った。


「バルバラ嬢」


 金貨のような双眸を覗き込む。


「シモンの領域でのみならず、此度も私の命を救ってくださったこと、深く感謝申し上げます。私の精気はお気に召さないことはよく分かっているが、どうか私にあなたを弱らせてしまった償いをさせてほしい」


 ヘンドリックはポカンとしたバルバラの顔を見つめたまま、彼女の手の甲に唇を寄せた。すべらかな肌が唇に触れると、彼女が小さく震えたのが分かった。

 バルバラは真っ赤な顔で口を開いたり閉じたりしていたが、やがてぐっと唇を噛むと、ヘンドリックに力強い視線を返してきた。


「あたくしは当然のことをしたまでです。あたくしのせいであなたを夢魔の争いに巻き込んでしまったのですもの。それに、あなたに義務感から何かをしてほしいとは思いません。先ほどのお言葉だけで充分ですわ」


 そう言って引き抜かれそうになった手を放すまいと、ヘンドリックは両手に力を入れた。


「違う。義務感から申し出ているのではない。……私が卑怯なだけだ」


「卑怯?」


「……今回のことで、あなたは今後私と関わるのを止めようと考えているのではないか?」


「……それは……」


 バルバラはくしゃりと顔を歪ませた。


「だって、あたくしと関わったせいで、あなたはあんな……」


 ぷっくりとした唇が戦慄いた。金色の瞳が潤み、眦から雫が零れる。


「あんな酷い目にっ……!」


 ヘンドリックは掴んでいたバルバラの手を己の額に押し当てた。


「あれは決して、あなたのせいではない。だからどうか、離れるなんて言わないでほしい。……私は、あなたとこれからも関わっていく口実が欲しいのだ」


 一瞬とも永遠とも思える沈黙の後、バルバラは自由な方の手で、そっとヘンドリックの髪を梳いた。


「では、あなたの体力が完全に回復したら、その時は、あたくしにあなたの精気を少しわけてくださいますか……?」


 ヘンドリックは押抱いていたバルバラの手を解放する。夢が覚めれば不自由になってしまう右手で、彼女の頬に触れた。


「ああ、約束しよう」

「それまではあたくしが他の殿方の精気を食べても、怒らないでくださいませね?」

「……夢喰い姫のそばにいるためだ、努力しよう」


 花が綻ぶように微笑んで、バルバラはヘンドリックの額に口づけを落とした。


「それではヘンドリック・セラリアン様。あなたをこの夢喰い姫バルバラの騎士に任命いたしますわ」


 夢魔は悪魔の一種だという。悪魔に魅了された者の行きつく先は地獄だとも。それは単に教会が主張しているだけなのか、本当に神自ら仰ったことなのかは分からない。けれど――。


 ――神がこの想いを罪だと見做すなら、喜んで罰を受け入れよう。


「ああ、私の生涯をあなたに捧げよう。私の愛しい夢喰い姫」


 どちらからともなく顔を寄せ合い、目を閉じる。

 唇に感じたバルバラの熱は、甘い痺れとなって心の奥底まで広がっていった。

文字数が……多い……。次回最終話です。

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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