29. 傷痕
「団長! よくぞ生きて戻ってくださいました……!」
補佐官のノルベルトが寝台の横で、腕に顔を押し付けながら咽び泣いている。心労からか頬がこけ、目の下には隈が広がっている。ヘンドリックが不在の間、かなりの精神的負担をかけてしまったのだろう。
「心配をかけてすまなかったな、ノルベルト」
「いいえっ! お恥ずかしながら、私は団長を疑った時もあったのです。しかし、天はあなたを見放されなかった……!」
王都の住民全員が第二騎士団長ヘンドリック・セラリアンが悪魔を退治する夢を一斉にみた「デセバルの奇跡」から二週間ほど経過した日、ヘンドリックはやっと寝台の上に身体を起こすことができるまでに回復した。
あの日、大聖堂の一室で手当を受けてから第二騎士団の宿舎にある自室に担ぎ込まれたヘンドリックは、拷問で受けた全身の傷が化膿し、更にはあちこちの骨が折れたりヒビが入っていたため、数日間高熱を出し、意識不明の重体に陥っていたらしい。
「あの日以来、騎士団から犠牲者は出ていないか?」
ヘンドリックの問いかけに、ノルベルトは手巾でブ~ンと勢いよく鼻をかんでから、神妙な面持ちで頷いた。
「はい、あれ以来、ひとりとして紫色の髪に金色の瞳の女の夢をみた者も、原因不明の体調不良を訴えた者もおりません」
ヘンドリックが寝込んでいた間に、第三騎士団が今回の一件について詳しい調査を行ったらしい。それによると本物の司教は未だ見つかっておらず、生死不明のまま行方不明という扱いになっているらしい。
「そもそも、司教がデセバルの大聖堂に着任した時には既に悪魔だったのか、途中で悪魔が彼を殺害して入れ替わったのかも定かではないのです。司教は、その――」
ノルベルトは言いにくそうに口ごもった。
クピドスは聖職者とは思えないほど強欲で色欲に塗れていたので、実は生まれながらに悪魔でしたと言われても納得してしまうだろう。おまけに本人が不在である以上、入れ替わった時期を問い詰めることもできない。真相はこのまま闇の中に葬り去られるだろうと思われた。
「そう、だな。お前の言いたいことは分かる。司教の遺体が見つかっていない以上、確実に亡くなっているとも言い切れない。このまま暫く捜索を続けてみて何の手掛かりも得られないようなら、第三騎士団長も諦めて捜索を打ち切るだろう」
重々しく頷くヘンドリックに、ノルベルトも同意し、報告を続ける。
それによると、ヘンドリックの部屋のチェストに悪魔の木札を忍ばせたのは、第二騎士団の宿舎で働いていた下女だった。
女は以前から、酒場で出会ったこの世の者とは思えないほどの美丈夫に夢中だったらしい。
「団長が捕らえられる五日程前、男は女に布包みを渡し、団長の部屋に隠すように指示したそうです。女は中身は確認しなかったようですが、団長が捕らえられた当日に掃除に入った際、団長のチェストにそれを入れたとのことです。男とは団長が捕縛された日以来会えていないとのことでした」
「なるほど……」
その男とは、十中八九シモンだろう。盲目的な恋に落ちた女は、男に甘い言葉で婚姻を仄めかされ、従ってしまったらしい。多少憐れに思わなくもないが、出会って数日の男、しかも酒に酔った状態で閨の中で囁かれた言葉を鵜呑みにするのは浅はかとしか言いようがない。
「それと、団長のお身体ですが……」
ノルベルトはちらりとヘンドリックを見やると、またしても言葉に窮して口を噤んでしまう。
「……覚悟はできている。話してくれ」
ノルベルトは意を決したように息を吐いた。
「医師の見立てによると、右腕は完全に治らず、以前のようには動かせなくなるだろう、と……」
「……そうか」
ヘンドリックは己の右腕を見下ろした。先ほどからずっと、右手が痺れたように動かしづらく、腕の可動範囲も自分が思っていたよりもずっと狭いようだ。
苛烈を極めた拷問は、肉体だけでなく精神にも深刻な影響を及ぼしていたようで、あの地下室での体験は悪夢となって今もヘンドリックを苦しめている。
――利き手がこれでは、団長はおろか、騎士として復帰することも難しいだろう。
(体力が回復次第、団長職を辞し、騎士団を去った方がいいだろう)
諦念に苦い笑みを浮かべる。
騎士を目指した時より、命を賭して戦う覚悟はあった。戦場で負傷して退職を余儀なくされることは想定していても、まさか異端審問で受けた拷問がきっかけで退職するはめになるとは夢にも思わなかったが。
バルバラと出会ったことは後悔していないし、彼女を恨んでもいない。しかし、夢魔の嫉妬によるいざこざに部下を巻き込んでしまったことだけは、悔やんでも悔やみきれない。罪悪感は心の底に澱となって留まり、生涯自分を苦しめ続けるだろう。
――それが自分に与えられた罰なのだから、謹んで受け入れよう。
敵は討った。それをせめてもの餞に、彼らが安らかに眠ることを祈ることしかできないことが歯がゆかった。
ノルベルトは報告を終えると、たっぷりと休息を取るように言い残し、ヘンドリックの部屋を去った。
再びうつらうつらとしていると、不意に枕元に人の気配を感じた。
「誰だ!?」
反射的に枕の下の短剣を握ったが、利き手が痺れて柄が滑り落ちてしまう。
すでに日が落ちかけているのか、室内は薄暗く、相手の顔が良く見えない。
「おや、起きたかい?」
どこか人を食ったような声は聞き覚えがある。じっと目を凝らし、寝台脇に置かれた椅子に腰かけている人物の長い髪と、ゆったりとした衣服のシルエットを確認する。
「ヒルデガルド嬢、か?」
「当ったりぃ~」
ヒルデガルドはケラケラと笑うと、枕元の燭台に火を灯した。朱色の光の中に、眠たそうな顔のヒルデガルドが浮かび上がる。
「バルバラが来られないから、あたしがお見舞いに来たんだよ。え~っとお加減はイカガデスカ?」
丁寧な言葉遣いは慣れていないのか、彼女は口の端を引き攣らせながら小首をかしげる。
「ああ、大分良くなった。ご心配いただき、感謝する。……それで、バルバラ嬢が来られない、というのは何故か訊いても?」
ヒルデガルドは椅子の背もたれに背を預け、長い緑色の髪の毛を弄びながらのんびりした口調で答えた。
「力を使い果たして、自分の領域でずっと眠っているからさ」
「力を使い果たした!?」
「あ~、あんたを助けに行った日に、デセバルの住民が全員夢をみたでしょ? あれ、実はバルバラがやったんだよねぇ」
「何ということだ……。あの日以来、ずっと眠ったままなのか!? 彼女は無事なのか!?」
身を乗り出して掴みかからん勢いのヘンドリックに、ヒルデガルドは気圧されたように仰け反った。
「いや、近い近い。落ち着いてよ……。まあ、無事っちゃ無事、かな?」
曖昧な返事に、ヘンドリックは眉根を寄せた。
「どっちなのだ……」
「ん~、心配なら見舞いに行く?」
「できるのか? 彼女の領域で眠っているのだから、許可が出せなくて、入れないのでは?」
「あたしはいつでも入っていいって許可もらってるし、大丈夫。多分、あんたも大丈夫だと思うよ。何たってす」
言いかけて、ヒルデガルドは慌てたように口を手で塞いだ。小さな声で「あっぶな」と呟いたように聞こえたのは気のせいだろうか。
「す?」
ヒルデガルドは誤魔化すようにヒラヒラと手を振る。
「んにゃ、何でもない。兎に角、ほれ、バルバラの領域に行くなら、さっさと眠ってくれないと。あたしが『ご招待』しなくても、あんた今大分眠たい状態でしょ?」
何やらスッキリしないが、ヘンドリックは渋々寝台に横になり、上掛けを肩まで引き上げた。ヒルデガルドが灯りを消すと、すぐに眠気が襲って来る。
「……頼みがあるのだが」
「ん、何?」
「彼女の領域に行く前に、あなたの力で服を着替えさせてくれないだろうか」
ぷっとヒルデガルドが吹き出す音が聞こえるが、瞼が重くて開けることができない。
「お安い御用だよ」
ヒルデガルドの声が闇に溶ける。
これで寝巻のまま淑女を訪ねる無作法は犯さずに済みそうだ。
ヘンドリックは安心して眠りに落ちていった。
長くて申し訳ないです 汗。あと2話で完結を予定しています。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




