25. 対決【2】
ヘンドリックは宙に浮いている女性の足下に跪くと、シモンに向かって飛び出した。
被告席から祭壇に到達するまでのほんの僅かな間にも、死んでいった騎士団員たちの顔が次々と頭を過る。
騎士として戦場に散るでもなく、忠義のために命をかけることも叶わずに刈り取られた若い命たち。
――奴にとって、自分が目障りだった。ただ、それだけの理由で。
「覚悟しろ!!」
ヘンドリックは胸中でとぐろを巻く悔しさと怒りを叩きつけるように、勢いよく剣を振り下ろす。シモンは何処からともなく現れた柄も刀身も黒い剣でそれを防いだ。
二つの剣の刃が擦れ合い、ギチギチと耳障りな音を立てる。
「……覚悟しろ、だろ? 人間風情が、調子に乗るんじゃねえ!!」
シモンが歯をむき出しにして押し返した。ヘンドリックは後ろに跳び退り、間髪入れずにシモンの間合いに飛び込んで斬りつけるが、シモンの黒いプールポワンの肩を切り裂いただけで、傷を負わすまでに至らなかった。
「このような茶番で私を殺したところで、彼女の心は手に入らないと、何故理解できない!?」
ヘンドリックは利き足で踏み込んで斬り上げる。シモンの剣が弾かれて回転しながら宙を舞った。その隙を狙って剣を突き出すも、虚無から現れた黒い剣で防がれる。
「うるせえ! 俺たち夢魔のことが、てめえに分かってたまるか!」
ヘンドリックは内心で舌打ちしながらも、次々と攻撃を繰り出していった。始めは互角に戦っていたシモンだったが、徐々に疲弊してきているのか、動きが鈍くなってきた。攻防の合間に何かをしようと試みているようだが、上手くいかないようで、苛立たし気に顔を歪め、時折被告席のそばにいるバルバラを睨め付けている。
どうやら、バルバラがシモンの企みをことごとく妨害しているようだ。
「罵って貶め、自分以外に彼女を受け入れる者がいないと思い込ませ、依存させようとする。そんなことで、彼女の心が手に入るとでも思っているのか!? 彼女を愛しているのなら、真心を尽くせばよいものを!」
「愛、だと……?」
シモンは広間の壁際まで跳び退った。憎悪に燃える紫色の瞳が彼の白い顔を照らし、より一層彼の表情を禍々しく見せている。
「俺たち夢魔に、番に対する愛なんて概念は存在しねえ。欲しけりゃ奪う! 逆らうなら心が折れるまで叩きのめす! 憎しみでもなんでもいい。俺はあいつの心に楔を打ち込んで支配してみせる!」
シモンは床を蹴った。剣を振りかぶり、物凄い速さでヘンドリックに向かって突っ込んでくる。
「彼女はお前などに支配されるような、弱い女性ではない!!」
繰り出された攻撃をすんでのところで躱す。その反動を利用して、力いっぱい剣を薙いだ。柄を握る手に、刃が肉に食い込む鈍い感触が伝わった瞬間、温かい飛沫が視界一面に散った。次いで鉄臭い匂いが鼻腔を突く。戦いの場で幾度となく嗅いだそれは、身体が慣れることはあっても、いつまで経っても心まで慣れることはない。
シモンの瞳が驚愕に揺れた。一瞬の後に苦痛に顔を歪め、背中から床に倒れ込む。
ヘンドリックはすかさず身を屈め、シモンの心臓に剣を突き立てた。剣の切っ先が石の床を噛む硬質な感触がして、手を止める。
シモンの薄い唇からコポリと赤黒いものが溢れ出た。紫水晶の瞳が光が差す天井を彷徨い、彼の足元方へと流れていく。
口を固く引き結んで己を睥睨する娘を捉えると、血糊に塗れた唇が声もなく彼女の名を呼んだ。
シモンの白い手が震えながら宙を掴んだ。それは視線の先に佇むバルバラに向けた最後の執念だったのか。しかしそれも束の間、彼の手はすぐに力を失くして床に転がった。
その瞬間、祭壇の脇にいたシモンの紫色の髪の「使い魔」の姿が、煙のように掻き消えた。
静寂が広間を支配した。
誰もが固唾を呑んで床に倒れたシモンに見入っている。広間を恐怖に陥れた悪魔は、やがてその足から黒い灰のようなものに変じていった。
シモンの全身が黒い灰の塊になると、ようやくバルバラが動いた。彼女はさきほどまで幼馴染だったものの傍らにしゃがむ。
彼女は琥珀色の瞳でじっと塊を見下ろした。そこに侮蔑の色はなく、幾ばくかの寂寥感が滲んでいるように見えた。
「……さようなら、お馬鹿さん」
ポツリと呟いて、白くて細い指でシモンの頬だった部分に触れると、そこからボロボロと崩れ出した。窓のない室内に何処からともなく風が吹く。黒い灰は風に乗って舞い上がり、光の降り注ぐ天井へと吸われて消えていった。
宙に浮かんでいた女性は、今一度ヘンドリックの前まで来ると、両手を差し出した。彼は小さく頷き、手にしていた剣の露を払ってから彼女へ渡す。
女性は剣を受け取ると天井まで昇っていく。広間の面々を見渡すと、眩いばかりの光を放った。ヘンドリックは咄嗟に目を瞑り、両手を顔の前にかざして庇った。
瞼の裏から光が消え、そっと目を開けると、すでに女性の姿はなく、天井から差し込んでいた金色の光も消えていた。
「……奇跡だ……」
「悪魔が退治された……」
「我らは天からの使者を目撃したのか……!?」
部屋の至る所からざわめきが聞こえてくる。
バルバラはゆっくりと立ち上がると、呆然自失した様子の審問官や聖職者を振り返る。
「セラリアン卿に与えられた奇跡は一時的なものです。彼の肉体はすぐに異端審問を受けた際の状態に戻るでしょう」
バルバラは射貫くような目線で黒衣の審問官を睥睨した。
「よもや神の僕ともあろう方が、悪魔を滅ぼした勇者に無体を働くことはないとは思いますが」
「あ、ああ。天からの使者がセラリアン卿の無実を訴えられたのだ。彼は無罪放免とし、手厚く手当させていただく」
「お言葉、しかと聞き届けました」
バルバラはぷっくりとした唇で弧を描いた。彼女が恭しく淑女の礼をすると、急に眩暈に襲われ、ヘンドリックの身体から力が抜けた。全身に激痛が戻って来て、彼は堪らず床に頽れる。
――現実に引き戻されたのか。
バルバラはヘンドリックの傍らにしゃがみ込むと、彼の顔を覗き込んだ。
「遅くなって申し訳ございません」
耳元で囁く声に苦笑する。
「……またあなたに救われたな。騎士、失格、だ」
バルバラはくしゃりと顔を歪めた。
「もう、誰にもあなたを傷つけさせたりいたしません。……安心して、おやすみになって」
「ああ……」
張りつめていた気力が尽きたのか、顔から血の気が引いていき、耳鳴りがする。
徐々に闇に侵食される視界の端で、バルバラが泣きそうな顔で笑ったのが見えた。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




