24. 対決【1】
広間に突如として現れた娘、バルバラに指を突きつけられたクピドスは、少しも揺らがない余裕たっぷりの表情で顎を摩った。
「ほう。私が悪魔であると? 寝言は寝てから言った方がよいぞ、娘」
「そうですか。それでは、そういたしましょう」
バルバラは悠然と微笑むと片足を少し上げた。彼女が足裏を床に叩きつけるようにして踏み込んだ瞬間、ヘンドリックは酷い眩暈を覚えた。目の前がグニャリと歪み、反射的に目を瞑る。そして再び目を開いた時には既に眩暈は治まっており、先ほどと同じように広間の被告席に立っていた。
ヘンドリックは慎重に室内を見渡した。その場にいたクピドス以外の全員が、目を擦ったり、軽く頭を振ったりしているので、彼らもヘンドリックと同じように眩暈を感じたのだろう。
(もしや、強制的に白昼夢か夢に引きずり込んだのか?)
ヘンドリックは、バルバラが人間を夢に引き込む方法は二つあることを、これまでの経験から察していた。彼女が好意的に夢に「招待」する場合、人間の肉体と精神に負担がかからないよう、視界を金色の粒が混じった霧のようなもので覆いながらゆっくりと夢の中へ移動する。
一方で隙をついて強制的に人間を「引きずり込む」場合は、相手の負担を全く考慮しないため、今のように酷い眩暈がするのだ。今回の場合は確実に後者だろう。
「皆さまにはまず、あたくしとクピドス司教様の間にあった確執についてお話ししなくてはなりません」
バルバラは室内にいる一人一人の顔を見渡した。
「……あたくしは以前より司教様から、自分の愛人になるようにと迫られておりました。ヘンドリック様と共に聖カタリナの祝宴に参加した際には、『今すぐ自分と肉体関係を持て。誘いを断ればセラリアン卿の身に何が起こるか分からない』と脅迫されましたが、あたくしはそれをお断りいたしました。そして今回のこの騒動です。偶然にしてはできすぎているとお思いになりませんか?」
部屋の両脇に座っている聖職者たちは、皆一様に戸惑ったように顔を見合わせた。
「ヘンドリック様が捕らえられてから、あたくしは毎日お祈りいたしました。そして昨晩、あたくしの夢の中に眩いばかりの光を纏った女性が現れ、こう仰ったのです。『現在クピドス司教の姿をしているのもは偽物である。司教は既に悪魔に喰われてこの世を去っている』と」
衝撃的な発言に、薄暗い室内がどよめいた。
「何と……!」
「それは本当なのですか、司教様!?」
クピドスは口の片端を吊り上げた。額に浮かんだ脂汗が蝋燭の光を受けて輝いている。
「ははっ、小娘の戯言ですぞ? まさか皆さま信じるのですか?」
「司教様の仰る通りだ!」
「罪人の愛人が嘘をついているに違いない!」
他のヨーロッパの国々の例に漏れず、このグランティア王国での女性の地位は低い。異端審問に突如として乱入してきた女、それも罪人であるヘンドリックと親密であるとされる娘の証言の信憑性は皆無に等しい。
波のように押し寄せる怒声に全く怯む様子も見せず、バルバラはクピドスを一瞥すると、腰に下げていた鞄から掌サイズの瓶を取り出した。
「彼女はあたくしに、この聖水を授けてくださいました。これをかければ悪魔は真の姿に戻るでしょう」
「何を馬鹿なことを」
クピドスは忌々し気に顔を歪める。無意識なのか、ソーセージのような指で縋るように祭壇の端を握った。
バルバラは片手に液体の入った瓶を持ったまま、少々演技がかった仕草で、両手を突き上げて天を仰いだ。
「聖なる光よ! 悪しき者の姿を暴き給え!!」
鈴を転がすような声に応えるように、突如として広間の天井から眩い金の光が降り注ぎ、祭壇とクピドスを照らした。
光に包まれたクピドスはふくよかな身体を丸め、己を守るように両腕で顔を覆う。その隙をついて、バルバラは持っていた瓶の中身を彼に向かってぶちまけた。
いつぞやにヘンドリックが彼女に対して行ったことが再現された形になって、ヘンドリックは思わず口を歪めた。
あの時バルバラには何の変化も起こらなかったが、聖水がかかった途端、クピドスの身体から銀色の煙が立ち上った。
「があっ……!!」
彼は苦悶に呻きながら身体をくねらせる。煙は徐々に全身を浸食していき、灰のようにボロボロと崩れていく。クピドスだった者が姿を消し、茹でた卵の殻を剥くようにその下から全くの別人が姿を現した。
銀糸のような長髪に、紫水晶のような瞳。
人間にはありえないようなその色に、芸術品のような美貌。
誰もが息を呑んでその姿を食い入るように見つめた。
「あ、悪魔だ!! 悪魔が現れた!」
「主よ! 我らをお守りください!」
呆然としていた聖職者たちが、我に返ったように悲鳴をあげながら広間の出口に殺到するが、扉はびくともしない。
「あ、開かない!?」
「助けてくれぇ!!」
「衛兵、何をやっているんだ! さっさと扉を破らないか!!」
室内にいた数名の衛兵も、槍を構えながら恐怖に呑まれたように立ち尽くしていたが、聖職者のひとりが怒鳴るとハッとしたように急いで扉へ向かう。押しても引いても扉が開かないと気付くと体当たりを始めたり、持っていた槍で突いたりしていたが、扉には傷ひとつつかなかった。
広間はたちまち混沌と化した。
擬態を暴かれたシモンは祭壇の端に縋りつきながら、苦痛と憤怒に燃える双眸でバルバラを睥睨した。
「バルバラ、てめえ!」
バルバラは横目でシモンを一瞥しただけですぐに彼に背を向け、扉に殺到していた審問官や聖職者たちに向かって声を張り上げる。
「皆様!!」
彼らはたった今バルバラの存在を思い出したというような表情で、一斉に彼女を振り返った。
「この悪魔は、クピドス司教様に擬態し騎士団の方々を襲ったのです! ヘンドリック様に罪をなすりつけるために、わざわざあたくしに似せた使い魔まで用意して!!」
シモンの傍らに、バルバラにそっくりな娘が現れた。紫色の長い髪と金貨のような瞳がギラギラと輝いている。
「あれは……! 騎士たちの夢に現れたという女ではないか!?」
「ではやはり、あの悪魔の使い魔だったのか……!?」
娘が身体を寄せると、シモンは彼女を振り払おうともがいたが、光に身体を縫い留められたまま動けないようだった。
「こんな小細工までしやがって!!」
シモンの舌打ち混じりの呟きは、泰然としたバルバラの言葉に掻き消される。
「夢の中で、女性はあたくしにこうも仰いました! ヘンドリック・セラリアンこそ、悪魔を討ち滅ぼす勇者であると!」
それを合図とするように、クピドスに降り注いでいた光が、今度はヘンドリックに向かった。先ほどシモンに向けられていた焼きつけるような強烈な光と違い、それは柔らかく暖かい日差しのようだった。光に包まれると、全身の傷が見る見るうちに癒えていく。鉛のように重く感じられた身体も軽くなり、被告席に縋りついていなくては立っていられなかった脚にも力が入るようになった。
「み、見ろっ……! 天使……、いや、聖母様か……!?」
聖職者のひとりが天井を指差した。顔を上げると、光の中にゆったりとした長衣を纏った髪の長い女性が佇んでいた。女性自身も金色に発光しているため、はっきりとその容姿を捉えることはできない。
女性は宙に浮かんだまま、愕然と己を見上げるヘンドリックを見やった。彼女は口の端を微かに吊り上げると、何かを抱えるように胸の前に恭しく両手を構えた。ひと際強い光が迸り、女性の腕の上に黄金の柄に銀色の刀身をした一振りの剣が顕現する。
女性は長衣の袖と髪を翻しながらヘンドリックの目の前まで移動してくると、彼にその剣を差し出す。
ヘンドリックは困惑に目を瞠った。光り輝く女性の顔と剣を交互に見つめた。
「これを、私に……?」
女性は大きく頷く。ヘンドリックは枷の嵌った両手を剣に伸ばした。女性が目を眇めると、枷は粉々に砕け散る。
ヘンドリックは自由になった両手で、しっかりと剣を受け取った。
女性は背後のシモンを振り返ると、「悪魔を退治せよ」と言わんばかりに力強く彼を指差した。
「……承知いたしました」
ヘンドリックは宙に浮いている女性の足下に跪くと、シモンに向かって飛び出した。
長いので区切ります。次回に続きます。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




