23. 異端審問
バルバラが審問室で気を失ったヘンドリックの夢を訪れてから二日後の日曜日。
ヘンドリックは簡素な衣服へと着替えさせられ、大聖堂の敷地内にある一室に連れて行かれた。一歩歩くごとに身体がバラバラになってしまいそうなほどの激痛に見舞われる。
(騎士団長たる私が無様な姿を晒すわけにはいかない)
ヘンドリックは奥歯を噛み締めて痛みに耐え、毅然と顔を上げて進んだ。
昼間だというのに薄暗い広間の壁には、一面に天使や神の子が描かれている。広間の両脇には長方形のテーブルが置かれ、左右合わせて三十名ほどの聖職者たちが並んで座っており、ヘンドリックが足を引きずりながら入場した途端、侮蔑を湛えた視線が彼を射殺さんばかりに降り注いだ。
正面の祭壇には大きな十字架置かれ、その前に厳めしい顔をした異端審問官とクピドス司教が立っている。ヘンドリックは祭壇前に置かれた被告席に立たされた。
背後で重厚な扉が閉まる重々しい音が聞こえる。現世から切り離され、地獄と現世の間に位置する煉獄に閉じ込められたような気がした。今からここで、自分は神の僕たちによって裁かれる。彼らの手中に己の命と運命が握られているという残酷な事実を前に、胸の奥に重たく凝ったものが沈んでいった。
「皆さま、お集まりかな? よろしい」
クピドスは室内を見渡し、用意された席が全て埋まっていることを確認すると小さく咳払いをした。
「それではこれより、ヘンドリック・セラリアン第二騎士団長の異端審問を始める。この審問は教皇様より任命された異端審問官並びにデセバル司教区の司教である私、クピドスの主導で行わせていただく」
クピドスは祭壇の前に立ったまま、ヘンドリックを頭のてっぺんからつま先まで舐めるように眺めると、肉付きの良い頬を持ち上げてニタリと笑んだ。祭壇の脇に控えていた助祭のひとりが恭しく聖書を差し出した。
クピドスは両手でをそれを受け取ると、ヘンドリックに歩み寄った。彼は聖書を床と水平に持ち、ずいっとヘンドリックへ近づけた。
「ここでは全て真実を述べると、神に誓えますかな?」
「……はい」
ヘンドリックは両手に鎖の付いた枷を嵌められたまま、右手を聖書に載せて真直ぐにクピドスを見返した。
「私、ヘンドリック・セラリアンは真実のみを口にすると、神の名の下に誓います」
掠れ声で宣誓すると、クピドスは面白くなさそうに口元を歪めた。部屋の両脇に並ぶ聖職者たちをちらりと一瞥する。彼らは皆、ヘンドリックが聖書に触れても何の反応も見せなかったことに少ながらず驚いているようで、互いに顔を見合わせて何やら囁き合っている。
教会の者は悪魔は聖水や十字架を苦手だと信じている。祭壇に掲げられた十字架にヘンドリックが反応しなかったのは距離があったからだと推測していた連中も、悪魔に魅了されているはずのヘンドリックが直に聖書に触れたにも拘らず、何の痛手も負っていない様子を不思議に思ったのかもしれない。
室内に広がったざわめきを制するように、クピドスは声を張り上げた。
「告発によると、昨年の十月上旬、セラリアン卿の所属する第二騎士団では、記憶の一部を損失する団員が相次いで現れたというが、これは事実ですかな?」
ヘンドリックはグッと唾を呑み込んだ。あの時は事情が分からなかっただけに、騎士団の団員数名を使って調査をさせていたので、このような証言が出てくることは想定していた。彼は小さく息を吐いた。
「……事実です」
「その際、あなたは率先してその奇怪な現象の調査を指示したとか?」
「はい、その通りです」
「現象が発生してから暫くして、あなたは大聖堂に私を訪ねていらっしゃいましたな。あの日、あなたは私に悪魔祓いがどのように行われるかお尋ねになった。それと同時に、あなたは『市中で妙な気配があるという報告があった』として、私に聖水の聖別を依頼されましたね?」
「……はい」
「それは何故でしょうな? あなたは騎士団員の記憶の一部が欠けるという現象について調査をしていたはず。それなのに、何故悪魔祓いの話を聴きたがったり、聖水を手に入れようとなさったのか?」
ヘンドリックの背中に冷たい汗が流れた。自分は先ほど、虚偽の発言をしないと神に誓ったのだ。絶対に真実以外を口にすることはできない。しかし、それは不都合な真実は口に出さない選択もできるということだ。
「……当初、私は記憶の部分的な欠損という症状は、質の悪い酒の飲み過ぎか、あるいは何らかの病によるものかと考えていました。しかしながら、調査を進めていくうちに、それは違うのではないか、もしかすると、悪魔のせいなのではないかと疑うようになりました。そのため、自衛手段として悪魔祓いの方法を司教様に伺いに参りました」
「ふうむ。それは妙ですな。それでは何故、あなたは私に市中で妙な気配を感じる、などと仰ったのか?」
「実際、私が市中を巡回中に感じたからです」
バルバラと初めて遭遇したあの夜、実際に妙な気配を感じたのは嘘ではない。
「ほう。まあ、よいでしょう。あれから暫くして、ピタリと騎士団員の身に起きていた奇妙な現象が起こらなくなった。そして、それとほぼ同じ時期から、あなたは公の場にある女性を伴って現れるようになった。そうですな?」
「――私が聖カタリナの祝宴からある女性をエスコートするようになったのは、事実です」
「なるほど。そして今回、騎士団の中で紫色の髪と金色の瞳の女の夢をみた者が六名ほど、相次いで亡くなっていると」
「……はい」
「そして、偶然にも、その女はあなたが宴や舞踏会にお連れになっている女性と同じ顔をしている、と?」
クピドスは「偶然」の部分を皮肉気に強調した。
「……それに関しては、私には答えられません。私はその夢をみたことがありませんから」
「そうですか、あなたにはお分かりにならない、と?」
クピドスは低く唸りながら、丸っこい顎を手で摩った。
「ならば、私が教えて差し上げましょう」
彼は被告席に立つヘンドリックの正面に立つと、ぐっと身体を乗り出して顔を近づけてきた。でっぷりとした腹が被告席の木枠につっかかって動きを止める。
「あなたは、騎士団員が記憶の一部を失くした際に行った調査で、それが悪魔の仕業であることに気付いていた。違いますかな?」
ヘンドリックは言葉に詰まって唇を噛んだ。ここで否定しては、嘘をつくことになる。
何も答えない彼をニタニタと見やって、クピドスは更に続ける。
「そしてある日、あなたは悪魔と対峙した。しかしその美しさに魅了され、こともあろうに悪魔の下僕に成り下がった。彼女の愛を得んと、彼女が目をつけていた男たちの魂を差し出した!」
「っ、違うっ……!!」
「嘘をつくな!!」
祭壇の左側から男の怒声が響く。
「お前の部下であり、犠牲者のひとりから証言が上がっているのだぞ!」
クピドスはゆったりと祭壇を振り返ると、両脇に控えていた助祭に目配せした。もうひとりの助祭が布に包まれた何かを恐々といった手つきで持ち、早足でクピドスに歩み寄る。
クピドスはそれを受け取ると、布に包まれていた木札を取り出してヘンドリックに見せる。
「ここには、何が描かれていますかな?」
「……頭部に顔が三つある、半裸の女性です」
室内の至る所からどよめきが上がる。
「これは先日、セラリアン卿の自室から見つかったもので間違いありませんな?」
「っ……ですがそれは、私のものではありません!」
「あなたの部屋から見つかった、悪魔が描かれた木札ですな? 発見当時、あなたも室内にいらした。違いますかな?」
クピドスはゆっくりと、しかし部屋中の全員に聞こえるように、一字一句を明瞭に口にした。ヘンドリックは悔しさに顔を歪ませたが、仕方なしに頷く。
「……はい、私も部屋におりました。しかし! 私のものではありません。誰かが故意に私のチェストに入れたとしか考えられない」
ヘンドリックの返答に、部屋中に怒声が響き渡った。興奮したように椅子を蹴って立ち上がる者が続出したため、椅子が硬い床に倒れ込むけたたましい音が次々に聞こえてくる。
「審問官が不正を働いたというのか!?」
「何という侮辱か! 神の僕を疑うとは、恥を知れ!!」
「天に唾を吐く邪悪な魂め! 地獄へ堕ちるがいい!!」
罵声が部屋を呑み込んでいく。誰もが口々にヘンドリックを罵るので、もはや自分の呼吸音すら聞こえない。
「静粛に!」
クピドスは肉厚の手を何度か打ち鳴らす。途端に、室内は水を打ったかのように静かになった。
黒い衣を身に纏った審問官が祭壇の前に進み出てきた。彼は部屋の両脇に並んだ面々をゆっくりを眺め、最後に己の正面に辛うじて立っている状態のヘンドリックを見据えた。
「この期に及んでもまだ己の罪を悔い改めないとは。誠に強情、かつ反省の色も見られない」
審問官は首から下げていた十字架を掴むとヘンドリックに向かって突きつける。
「ヘンドリック・セラリアン! お前は悪魔に魅了され、罪なき人々の魂を悪魔に捧げた!! よってこれを有罪とし、火刑に処す!!」
非情な宣告に、目の前が真っ暗になる。
異端審問を受けて無罪放免になった前例は聞いたことがない。分かっていたことだが、それでもヘンドリックは絶望に打ちのめされた。
異端審問で異端、もしくは魔女であると断定された者の末路は悲惨なものだ。刑に処された後、財産は没収され、国と教会に分配される。異端者や異端者をかくまった者の家は取り壊される。
不意に膝から力が抜け、ヘンドリックは被告席の木枠に縋りついた。血の気が引いた顔で、祭壇の上に鎮座し、人々を見下ろしている金色の十字架を見上げる。
(神よ。やはり、私はここまでのようです。それが、あなたが私に科された試練なのでしょう。――しかしどうか、私の家族や補佐官のノルベルトはお助けください……!!)
クピドスはレーズンのように小さな目を三日月形に歪めながら、打ちひしがれるヘンドリックに顔を寄せてくる。
「残念だったなあ、ヘンドリック・セラリアン」
耳元で響いた低い声に、ヘンドリックは目を瞠った。
――この声は。
「……シモン・アステージャ!?」
「あばよ、色男」
クピドスは嘲笑を顔に張り付けたまま、ゆっくりと身を引く。瞳がほんの一瞬、紫水晶のように輝いた。
「待てっ……!」
咄嗟に伸ばした腕の傷が引き攣れて、ヘンドリックは顔を顰めた。両手首に嵌められた枷が硬質な音色を奏でる。
(馬鹿な! あれは、確かにシモンの声だった。しかし、あの姿は一体……!?)
困惑していると、背後に立っていた衛兵が退室を促そうと、ヘンドリックの肘を引いた。咄嗟に身を捻って逃れようとしたとき。
「その判決、異議あり!!」
勢いよく扉が開かれる音がして、室内に日の光が差し込んできた。逆光の中、緩やかに曲線を描く長い髪を垂らした小柄な人陰が見えた。
「何者だ!?」
衛兵のひとりが声を上げる。駆け寄ろうとする彼を手で制して室内に入ると、その人物はつかつかと部屋を縦断し、被告席のヘンドリックの隣で立ち止まった。
ヤギの乳のように白い肌、茶色の髪に琥珀色の瞳のその娘は毅然と顔を上げ、祭壇の前のクピドスに向かって勢いよく指を突きつけた。
「この男はクピドス司教の皮を被った悪魔です! そして奴こそが、この茶番の黒幕ですわ!!」
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




