1. 奇妙な事件【1】
時は少し遡る。
秋も深まってきたグランティア王国の王都・デセバルの第二騎士団では朝から剣の鍛錬が行われていた。
「へーっくしょい!!」
訓練場に響き渡るほど大音量のくしゃみに、ヘンドリックは精悍な顔立ちをした金髪碧眼の騎士ミハイを見やった。
「何だミハイ、風邪でもひいたのか?」
「それが、昨晩贔屓の店のジェネットちゃんと屋外で盛り上がっちまいまして」
「……最近夜は冷え込むっていうのに、何をやっているんだ」
呆れて眉間に皺を寄せると、ミハイは照れたように頭を掻いた。彼は少々女癖が悪いが見た目がよく、愛想がいいので女性に人気がある。
「お前、この間まで別の店に通っていなかったか?」
ミハイの訓練相手が揶揄すると、彼は悪びれる様子もなく肩を竦めた。
「あの子は最近、ちょっとしつこくてさあ。それに、つい先日も、彼女と過ごしていた時、妙なことがあって」
「妙なこと?」
訝し気に首を傾げるヘンドリックに、ミハイは軽く首肯した。
「あの夜、俺は店の客室で彼女とイチャイチャしていたはずなんです。でも、ベッドに押し倒したあたりから記憶が無くなってて、気がついたら朝、自宅のベッドにいたんですよねぇ」
それほど酒を飲んでいたわけでもないのに、どんな風に睦みあい、何処を通って帰宅したのかも覚えていないという。
ヘンドリックは眉を寄せた。
「エメリックも同じようなことを言っていたな……」
エメリックも第二騎士団に籍を置く若手騎士のひとりだ。彼もまた派手な見た目を裏切らず女性関係も派手で、過去に女性問題で謹慎処分をくらったことがある。
「ああ、そうですよね。あいつも人妻との逢瀬を楽しんだ後の記憶がなくなっているって言っていました」
話を聞いていた別の騎士がそろそろと手を挙げた。ヘンドリックが視線で発言を促すと、彼は恐る恐るといった風に口を開いた。
「ヤンも部分的に記憶がないって言っていました」
「何だか、最近多いな。変な酒でも流行っているのか?」
休憩に入った騎士たちも、「そういえば、あいつも」とか「僕もこの前」とか、次々と体験談を語りだす。
酒の飲みすぎで酩酊していたとするには、あまりにも数が多い。ヘンドリックは妙な胸騒ぎを覚えた。
「……ふむ。少し調べてみるか」
ヘンドリックたちが聞き取り調査を行ったところ、第二騎士団のみならず、第一騎士団と第三騎士団でも同じように記憶の一部を失っている者がいることが判明した。
「記憶を失った場所は自宅、娼館、酒場、道端など様々だな。……中には訓練所の厠というやつまでいる」
ミハイとエメリックの件から娼館の女が何かしているのかと思ったが、調査結果を見ると、記憶を失くした場所や直前までの行動はバラバラだった。
「唯一共通しているのが、全員若い男で、女性が好みそうな外見であること、か」
騎士団長室の机の上に調査報告書を投げ出し、椅子に背を凭れる。眉間をグリグリと揉んでいると、補佐官のノルベルトが苦笑した。
「ははあ。でしたら、団長も気をつけなくてはいけませんね」
「私が?」
ノルベルトは揶揄うように片眉を上げた。
「団長はご自分がどれほどの美青年であるか、無自覚でいらっしゃるから。その榛色の瞳に見つめられて卒倒したご婦人たちが何人いることやら。それに二十八歳とお若くていらっしゃる」
「大げさな。そのような事実はない」
ヘンドリックは無意識に顎を摩った。確かに、ヘンドリックの父は女性と数々の浮名を流した色男で、ヘンドリックは彼の瞳の色を受け継いでいる。そして豊かなダークブロンドは美女と名高い母親譲りだ。そんな美男美女の両親の良いところをバランスよく受け継いだと言われるが、自分ではよく分からない。
「そんなことより、この件については早急に捜査をするように。もしかすると、王の盾と剣である我々騎士団を弱体化させんとする陰謀かもしれない」
「承知いたしました。ミハイとエメリックの件もあったことですし、団長はくれぐれも、事件が解決するまで女性関係は慎重にお願いしますよ」
ヘンドリックはムッとして顔を顰めた。
「私は妻となる女性以外と閨を共にする気などない」
「ははっ、相変わらずお堅くていらっしゃる」
ノルベルトが呆れたように肩を竦めたので、ヘンドリックは憮然と口の端を引き結んだ。
本来、この国の教会には、結婚式後の初夜までは男女ともに清い身体でいなくてはならないという教えがある。ヘンドリックはそれが当然のことだと思っているが、世の男性、特に戦いに従事する騎士団の面々は精力旺盛な者が多いからか、欲を発散させるために娼館を利用したり、平民の女性と関係を持つ者が後を絶たない。中にはエメリックのように貴族の既婚女性に手を出すやつもいる。
下手に取り締まると団員の士気が下がったり、溜りに溜まった鬱憤を喧嘩で晴らすなど問題行動を起こしかねないので、ある程度の節度を守っていれば目を瞑っているのが現状だが。
「とにかく、結果が出次第、すぐに私に共有するように」
――誰が何の目的で騎士たちを記憶障害にしているのかは分からないが、すぐにでも犯人は割り出せるだろう。
しかしヘンドリックの期待を裏切り、どれだけ捜査を行っても事件の原因は突き止められなかったのである。
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