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ミッドナイト喰らい夢 ~夢喰い姫は見目麗しい殿方を鑑賞したい~  作者: 柏井猫好


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18.  救出

※若干卑猥な言葉が出てきますので、苦手な方はご注意ください。

 視界が反転した直後、平衡感覚を失ったヘンドリックは硬い地面の上に倒れ込んだ。

 痛みに顔を顰めて目線を上げる。どうやらタチアナの領域から移動したようだ。美しい庭園とオスマン様式の邸は消え失せ、禍々しい深紅の空の下、おびただしい数の真っ黒な茨が地平線まで覆いつくしている。


「てめえ、気に入らねえぜ。バルバラは俺のものになるって昔から決まっているんだよ」


 地を這うような低い声に振り向くと、嫉妬に燃え盛る紫色の瞳と目が合った。


 シモンは鼻に皺を寄せ、歯茎をむき出しにしながらこちらを睥睨している。彼の銀色の髪が宙にたなびき、背後の深紅の空に浮かぶ雲のように見えた。


 ヘンドリックはシモンを見据えたまま、慎重に立ち上がった。少しでも隙を見せれば殺される、そんな確信めいた予感があった。


「そう思っているのは貴殿だけではないのか?」

「あいつがどう思っていようが関係ねえ。俺がそう決めたんだ」

「何と独善的な」

「黙れ」

「……それを彼女が受け入れるとでも?」


 シモンは口の端を吊り上げて獰猛に笑んだ。


「そんなもの、一度でも俺のモノを咥え込ませりゃあ、どうにでもなるさ。俺たち夢魔は欲望と快楽に従順な生き物だ。身体を篭絡しちまえば、夜も昼もなく俺を求めて縋ってくるようになる」


「下種が! 反吐が出る」


 あまりにも下卑た考えに憤る。顔を歪めたヘンドリックを、シモンはくつくつと嗤った。


「黙れ下等な家畜が。てめえの意見なんて訊いてねえ。俺は百七十年前にあいつに出会った瞬間から決めているんだよ。どんな手を使ってもあいつを手に入れるってな」


 百七十という数字に、ヘンドリックは目を瞠った。どうやら、バルバラは見た目よりも随分年上であるようだ。夢魔は人間よりはるかに長命な生き物らしい。


(今はそのような事に驚いている場合ではない。ここが何処なのかは分からないが、現実でないことだけは確かだ)


 ヘンドリックはちらりと自分の腰を見下ろす。運の悪いことに、本日は帯剣していない。

 夢や夢魔の領域で人間である自分が丸腰でどれだけ抵抗できるのか。


 ――いや、剣を持っていたとして、大した役にも立たないだろう。バルバラに夢に引きずり込まれた際に彼女を斬りつけたことがあったが、かすり傷ひとつ負わせることができなかったではないか。


(……体術なら、あるいは……)


 ヘンドリックは動揺を押し隠して考えを巡らせる。


 そんなヘンドリックを嘲笑うように、地面から新たに茨が突き出してきた。棘だらけの蔓が両足首に巻きつき、鋭い痛みが襲う。


「くっ……!!」


 蔓はそのままヘンドリックの両脚に巻きつきながら体を這い上ってきた。両手両足を雁字搦めにされ、その場に縫い留められる。鉄臭い匂いが鼻腔を突いた。


 シモンは酷薄な笑みを浮かべながら、一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。


「ここは俺の領域だ。俺の許可なくば誰も侵入することはできねえ。……助けは期待できねえぜ? 残念だったなあ、お姫様」


 シモンはヘンドリックの目の前で立ち止まる。鼻と鼻が触れ合いそうになるくらいに顔を近づけた。炯々と輝く紫水晶の瞳には残虐な愉悦を湛えている。

 ヘンドリックは必死に手足を動かそうとしたが、棘が肌に食い込むばかりで、びくともしない。


「安心しろ。お前が死んだ後、バルバラは俺がたっぷりと可愛がってやるからよ」


 言うなり、シモンはヘンドリックの首筋に喰らいついた。歯が肌を突き破り、肉に食い込んで激痛が走る。


「があっ!!」


 痛みで額に脂汗が浮かんだ。心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。

 首から上は自由がきくため、何とか首を捻って抵抗を試みていると、不意に脱力感に見舞われた。


(何だ、これは……?)


 シモンの喰らいついている箇所から、急速に体の熱が奪われているようだ。酷い倦怠感がして、次第に身体が震えてくる。


 一体、自分の身に何が起きているのか。


 ――人間は実体を伴ったまま他人の夢や白昼夢を訪れることができない。夢魔の領域もまた然り。


 ふと、脳裏に以前バルバラが言っていたことが蘇った。


(そうか、私は現在、精気の塊なのだ)


 バルバラは夢の一部を抉って口に入れ、咀嚼、嚥下という工程を経て精気を喰っていたが、もしかすると、夢魔によって精気の喰い方は様々なのかもしれない。


 シモンは現在、精気の塊であるヘンドリックに喰らいつき、精気を吸い上げているのではないか。


(考えろ、考えるのだ。どうしたらこの状況から脱却できる……!?)


 必死に考えているうちに、視界が霞み、耳鳴りがしてきた。酷い悪寒がして、奥歯ががちがちと音を立てるほど体が震えている。


 ――もはや、ここまでか。


 騎士団長ともあろう者が大した抵抗もできず、嫉妬に狂った夢魔に喰い殺されようとは、何ともお粗末な最期か。


 諦観の境地に至ったその時。


 地響きと共に、大地が慄いた。


「なっ……!」


 シモンはヘンドリックの首から顔を離し、警戒したように周囲を見渡す。


 雷鳴が轟き、深紅の空に亀裂が走った。


「そんな、はずは……、いくらあいつでも……!」


 下から突き上げるような振動に、シモンがたたらを踏んだ直後。


 陶器が割れるような音がして、空の一部が砕け散った。その隙間から、小柄な人物が躍り出てきた。

 ヘンドリックは意識が朦朧としながらも、何とか顔を上げた。

 掠れる視界に、輝く金色の双眸と、燃え盛る炎のように揺らめいている紫色の髪を捉える。


「バルバラ! てめえ、どうやって」

「――跪け」


 凍てつくような冷気を孕んだ声が耳朶を打つ。シモンは小さな呻きと共に、何かに押さえつけられるように地面に頽れた。


 それを見届けると、バルバラはヘンドリックの方に向かって小さく手を振り上げた。途端に彼の身体を戒めていた茨が塵となって崩れ去る。支えを失って倒れかかった彼の身体はしかし、見えない何かに抱きとめられた。そのままゆっくりと地面に横たえられる。


 バルバラは地面に降り立つと、ヘンドリックの脇にしゃがんだ。ひんやりとした細い指先が首筋に触れ、全身を痛いほどの悪寒が走り抜けた。


 バルバラはハッとしたように手を引く。数秒の間押し黙った。


「……よくも」


 ポツリと零れたものには怨嗟が色濃く滲んでいる。


 バルバラは壊れ物を扱うように優しくヘンドリックの首裏に腕を差し入れると、ゆっくりと頭を上げさせた。


「少し我慢してくださいませ」


 耳元で囁くと、顔を寄せてくる。


 唇に柔らかいものが触れ、ヘンドリックは瞬いた。それがバルバラの唇であると頭が理解した時には、既に熱く湿ったものが唇の隙間からそっと侵入してきていた。それは歯列を割り開き、奥に縮こまっていたヘンドリックの舌を探り当てると、労うようにやわやわと撫でてくる。

 触れ合った箇所から痺れるような幸福感が湧き上がる。それは春の日差しのように暖かく、心地よい。


 チュッという音を立てて唇が離れると、寂寥感を覚えた。

 ぼんやりとした頭で、ずっとあのまま触れ合っていたかった、もっと彼女の唇の甘さを味わいたかったと考える。


 バルバラはそっとヘンドリックの頭を地面に戻した。勢いよく立ち上がると、地面に両ひざをついて平伏しているシモンに向き直った。


「ヘンドリック・セラリアンは、この序列三位である夢喰い姫、バルバラ・コンティーヌの所有となった。よって以後の手出しを禁ずる。禁を犯せばその命をもって償うように」


 その意味するところを理解したのか、シモンはギリギリと奥歯を噛み締めながら、見えない力に抗って顔を上げる。


「てめえ……」

「黙れ。伯爵風情が、身の程を弁えよ」

「グッ!!」


 一層強い力に押さえ込まれたように、シモンの額が勢いよく地面に叩きつけられた。

 バルバラはそれを睥睨する。


「これまでは浅はかな小者の愚行と目を瞑ってまいりましたが、あなたは図に乗って、越えてはならない一線を越えました。あたくしのお客様に危害を加えたこと、許しがたい」


「くそっ……!」


「あなたごときの領域に侵入するなど容易いこと。もはやあなたに逃げ場はございません。あたくしを本気で怒らせたこと、後悔するといいですわ」


 吐き捨てると、バルバラはヘンドリックに向かって再び手を振り上げる。ふわりと身体が宙に浮いた。


 バルバラは次に、天に向かって右手を突き上げた。


「滅せ」


 その言葉に呼応するように、先ほどとは比べようもないほどの揺れがシモンの領域を襲う。バキバキと音を立てて大地が裂けた。

 茨はバルバラを中心として、水面に波紋が広がっていくように塵と化して舞い上がる。

 ひび割れた空は強風に煽られた硝子窓のように木っ端みじんに砕け、深紅の無数の破片が地表へ降り注ぐ。


 ――それは、この世の終焉を思わせた。


「それでは、ごきげんよう」

「くっ……! このままじゃ済まさねえぞ、バルバラ!」 


 地面に這いつくばったままのシモンを尻目に、バルバラはヘンドリックを伴って空へ舞い上がる。


「忘れるな、お前は俺のものだ! 俺だけのものだ!!」


 狂気に満ちたシモンの叫びが、崩壊する世界に吸われていった。



 目を開くと、見慣れた天蓋があった。緩慢に瞬きを繰り返し、首を巡らせる。どうやら自室の寝台に横たわっているようだ。


「――帰って来れたのか」


 安堵の息を漏らす。


 寝台の脇で身動ぎするような気配がして、ヘンドリックはハッと振り向いた。

 夢の中の衣装に身を包んだままのバルバラが椅子に腰かけ、神妙な面持ちでヘンドリックを凝視していた。


「……お加減はいかがですか?」


 ヘンドリックは全身に意識を向ける。酷い倦怠感がするが、手足も動くようだし、問題はないだろう。


「大事ない。少し身体が辛いが、寝ていれば回復するだろう」


「――申し訳ございません。あたくしがあなたを巻き込んだばかりに、こんな目に遭わせてしまって。シモンが……あの男が、かくも愚かだとは思いませんでした」


 バルバラはぷっくりとした紅い唇を噛んだ。


 その様子を見るなり、先ほどシモンの領域で彼女に深く口づけられた記憶が蘇って、いたたまれない気持ちになる。思わず目を泳がせた。


 ――あれは一体、どういうことだったのだろう。


「あなたのせいではないのだから、気にしないでほしい。……それにしても、騎士団長であるにも拘らず姫に救出されるようとは。情けない男だな、私は」


 自嘲に口元を歪めるヘンドリックを、バルバラは愕然としたように見下ろす。

 徐々に眉間に皺が寄り、金色の瞳に涙がせり上がってきて、ヘンドリックはギクリと硬直した。


「あなたはっ……! 馬鹿ですの!? あたくしは仮にも、あなたがた人間が恐れる悪魔の一種なのでしょう? そんな邪悪な存在にいいように利用されたというのに、何故あたくしを責めないのです!? 何故恨まないのです!? ……っ、お人好しが過ぎますわ!」


 バルバラは顔を伏せ、寝台の敷布を強く握りしめた。力が入り過ぎているのか、白い手がふるふると震える様を見ると、何故か心が切なく締め付けられる。


「……どうか、泣かないでほしい」

「な、泣いてなど」

「あなたに泣かれると、どうしたらいいか分からなくなる」


 ヘンドリックは鉛のように重い手を持ち上げる。次から次へと溢れ出ては柔らかな頬を濡らす涙を、そっと手の甲で拭った。

 バルバラの頬がじわじわと朱に染まる。彼女は躊躇いがちに己の頬に触れているヘンドリックの手に小さな手を重ねた。


「……どうしてこんなに胸がキュウッとしますの……?」


 その答えは、彼女しか持ち合わせていない。ヘンドリックは困って眉尻を下げた。


「さあ、何故なのだろうな。もしや、疲れているのではないだろうか。他者の領域に侵入するのは並大抵のことではないのだろう?」


 バルバラはヘンドリックの手に触れたまま頷く。彼女の柔らかい髪が滑り落ちて、彼の腕をくすぐった。


「ですが、力の差が大きければ、不可能ではありません」

「そうか……。そのように大変な思いをして、私を助けに来てくれたこと、感謝する」


 バルバラは頬に触れていたヘンドリックの手を両手で包み込んだ。


「あたくしも、あなたに感謝を。あたくしの我儘に付き合ってくださって、ありがとうございます」


 ヘンドリックの胸の内が暖かいもので満たされていく。


 瞼が重くなってきたのを見ると、バルバラはそっと囁いた。


「さあ、もうお休みくださいませ。あなたが眠るまで、そばにおりますから」

「――ああ……」

「おやすみなさい、良い夢を」

「おや、す……み」


 ふわふわとした気持ちのまま、ヘンドリックは深い眠りに落ちていった。

ちょっと長いのですが、二つに分けるまでもないので、ギュッと入れました。

文字数多くて申し訳ないです。汗

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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